大震災における皇室の役割(下) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【Campus新聞】




《皇后さまのスイセン 復興のシンボルに》


 ■家、家族を失った町

 被災者と皇室によるドラマが生まれたのは、山古志村だけではなかった。

 1995(平成7)年1月17日午前5時45分。震度7に及ぶ阪神・淡路大震災が発生し、6000人を超える犠牲者を出した。最も被害が大きかった神戸市長田区の御菅東地区では震災の後、火災が発生し被害を大きくした。立ち並ぶ商店街に一気に火が回り、9割が焼失、60人もの死者が出た。そこでは、瓦礫(がれき)に挟まれて身動きできない夫から「お前は逃げろ」といわれて奥さんだけ助かるという悲劇も起こった。

 その悲しみの地を、両陛下が訪問されたのは、震災からわずか2週間後のことだった。瓦礫が積み重なる商店街の前で、皇后陛下は皇居から摘んでこられた17本のスイセンの花を静かに手向けられた。

 ■人々が団結できる「何か」

 皇后陛下が手向けられた、このスイセンが神戸市長田区御菅東地区では、復興のシンボルとなった。なぜなのか。疑問に思った私は、現地で関係者にインタビューを行って、その理由を知った。

 廃虚となった街を復興しようと動き始めた神戸の人々にとって、復興への道のりは容易なものではなかった。

家族全員が助かった人と家族を喪(うしな)った人との気持ちのすれ違い、区画整理による軋轢(あつれき)など、数々の壁が立ちはだかったのだ。

 家族を喪った人、代々受け継いだお店を失った人、家財は失ったが家族は無事だった人…。ひとくちに被災者といっても立場は様々だ。そうした立場の相違を超えて、素晴らしい神戸の街を復興するためには、地元の人々が結集できる「何か」が必要だった。御菅東地区の人々は、皇后陛下のスイセンを団結のシンボルにしたのだ。

 被災者たちはまず、「水仙」という名の機関紙を発行した。次いで拡張された道路を「すいせん通り」と名付け、防災のための公園を「すいせん公園」と命名し、花壇にはスイセンの花束のモニュメントを設けた。

 ■結束の陰に天皇陛下

 「天皇皇后両陛下のご訪問がなければ、結束して街を復興させることはできなかった」-。御菅東地区の人々は、復興へのシンボルとなったスイセンへの感謝を、こう語ってくれた。

 私が訪れた際、すいせん公園では子供たちが遊び、すいせん通りでは主婦たちの井戸端会議が行われていた。皇后陛下が手向けられたスイセンの花はなんと、特殊な製法で当時のまま保存されていた。

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 大規模な自然災害に幾度となく見舞われながら、見事に復興してきた平成の日本。その背後に、皇室の存在があることを、全国の被災地を取材する中で実感させられた。皇室が「国民統合の象徴」だということは知っていたが、実際に平成の日本においても、皇室は人々を静かに結束させていた。

 大規模自然災害を力強く乗り越えてきた地元の人々の奮闘の陰に、皇室の存在があることにも目を向けていくべきではないだろうか。(今週のリポーター:全日本学生文化会議 学生記者(國學院大學4年) 上野竜太朗/SANKEI EX PRESS)

      


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 《国民との絆結ばれた「13のエピソード」 両陛下のご巡幸を編集・出版》

 全国の被災地を取材してまとめた『天皇陛下がわが町に~平成日本に生まれた物語~』(明成社)を編集した全日本学生文化会議事務局長の三荻祥(みつおぎ・さき)さんに話を伺った。

 --調査のきっかけは?

 「天皇陛下ご即位20年の節目を迎えるにあたり、『皇室って何だろう』という疑問がありました。天皇皇后両陛下は2003(平成15)年までに全国47都道府県全てをご巡幸になりました。陛下はそこで何をご覧になったのか、ご訪問先でどんなドラマが生まれたのかを知ることで、皇室について少しでも理解できるのではないかと期待して、この『全国聖蹟調査』を始めました」

--どんな取材でしたか

 「平成20年と21年の2カ年をかけ、大学生約40人が、北は北海道から南は沖縄、国外ではサイパンに至るまで、全国20都道府県55カ所を取材しました。夏季休業を利用した2週間ぶっ続けの調査では、あまり資金が無くレンタカーで寝泊まりし、夜通し運転して次の取材先に向かうというハードスケジュールもありました。これも、旺盛な好奇心と体力を備えた大学生の若さに支えられてできたことだと思っています」

 --スゴイですね

 「両陛下がご訪問になった場所から特に、兵庫県や三宅島など大規模自然災害の被災地、沖縄やサイパンなど大東亜戦争の激戦地、また苦難の歴史を強いられたハンセン病患者が暮らす療養所などを選び出し、訪ねました。お話を伺った誰もが『陛下は私たちの苦しみや悲しみを分かってくださる』と涙を浮かべて話していました。その姿を見て、私は皇室と国民の間に、強い信頼の絆が結ばれている事を確信しました。平成の20年は皇室の存在によって成り立っているのだと気付くことができたのです」

 --そのことをまとめたのがこの本ですね

 「取材の中から13のエピソードをまとめました。皇室あってのわが国であることを、一人でも多くの方にお伝えしたいと思い、一昨年に出版致しました。是非、ご一読ください!」

 (聞き手:全日本学生文化会議 学生記者(筑紫女学園大学4年) 井崎恵美/SANKEI EX PRESS)

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 《『天皇陛下がわが町に~平成日本に生まれた物語~』》

第一章 被災地ご訪問

 高齢者も島に戻れた  (東京都・三宅島)

 島鷹太鼓の響きよ、永遠に  (福岡県・玄界島)

 「心の復興」五年の軌跡  (北海道・奥尻島)

 ヘリで救出された千二百頭の牛  (新潟県・旧山古志村)

 両陛下からの「宝物」を胸に  (兵庫県)

第二章 福祉に寄せられる御心

 ハンセン病患者の手を優しく包み込まれて  (岡山県・長島愛生園)

 だんじょかれよしの歌声の響  (沖縄県・沖縄愛楽園)

 福祉に携わる人々に勇気と自信をお与えになられて  (東京都)

第三章 苦難の歴史に光を

 クロマツの森に甦った誇り  (北海道・襟裳岬)

 くり返し返し思ひかけて  (沖縄県・摩文仁)

 奄美群島の新しい朝  (鹿児島県・奄美大島)

 「かの日」の三文字に込められた開拓団の歴史  (栃木県・千振開拓地)

 サイパンにこだました「バンザイ」の声  (サイパン島)

       

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問い合わせ:全日本学生文化会議

info@bunkakaigi.org

書籍の購入 明成社 (電)03・3412・2871



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【Campus新聞】「天皇陛下がわが町に~平成日本に生まれた物語~」(全日本学生文化会議著/明成社)









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