【Campus新聞】
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110607/imp11060718460003-n1.htm
3月11日に発生した東日本大震災から間もなく3カ月。今なお8000人以上が行方不明で、避難者数も約10万人を数える。福島第1原発事故も、収束のめどがたっていない。天皇皇后両陛下は、そんな被災地を時間をかけて回り、被災者たちに希望を与えられてきた。全日本学生文化会議の学生記者が、大震災における皇室の役割を取材した。
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■今週のリポーター 全日本学生文化会議 学生記者
≪陛下から頂いた勇気と希望≫
天皇皇后両陛下は3月30日の東京武道館を皮切りに、宮城県、岩手県、福島県などの被災地や避難所を7週間連続で訪問された。放射能による風評被害にあえぐ福島では、地元でとれた野菜セットをご自分で購入されるなどの場面も見られた。
■一人ぼっちではない
平成の23年間を振り返ると、北海道南西沖地震や阪神・淡路大震災、新潟県中越地震など、日本は数々の大震災に見舞われてきた。だが、いずれも見事に復興した。復興の背景に、皇室の存在があることに気付いている人は意外と少ない。
2004(平成16)年10月23日午後5時56分、震度7の地震が新潟県の中越地方を襲った。
中でも山古志村(現・長岡市)の被害は大きく、家屋も道路も山もその形を変えてしまった。
当時村長だった長島忠美さんは「二度とこの場所に住むことはできないかもしれない」と、村の放棄も視野に入れぎりぎりの決断を迫られていたという。長島さんに「必ず村へ帰る」と決意させる契機となったのが、陛下のお言葉だった。
震災から2週間後の11月6日、長島さんは両陛下とともにヘリに乗り、上空から山古志村を視察した。その時、陛下は「どんなにかきれいな村だったのでしょうね」「牛はどうしていますか」「錦鯉はどうしたんですか」と長島さんに話しかけられた。錦鯉と牛は、山古志村を代表する産業だった。
「陛下は、山古志村の復活を願ってくださっていました。絶望の中にいた私たちでしたが、両陛下がおいでくださり、お言葉をかけていただき、私たちは一人ではないんだと思うことができました」
■闘牛場の再建
そう喜びを語った長島さんだが、復興に向けた実際の道のりはずいぶんと険しかった。
「家が全壊の人と半壊の人と何ともない人とがいましたから不満や妬みがありました。私が避難所を回って『皆さん、頑張りましょう』と言っても、『これ以上何を頑張ればいいんだ』とお叱りを受けることもしばしばでした。食べ物に困って、苦労して育てた錦鯉を食べなければいけない人もいました。さらに私たちの村は過疎に悩まされていましたので、復興に向けての課題は山積でした」
そんな数々の苦難に屈することなく、長島さんたち村民が復興へ向かうことができたのは、両陛下の存在だった。
陛下が「どんなにかきれいな村だったのでしょうね」と、村を褒めてくれたこと。自分たちが大切に育ててきた牛や錦鯉にまでも気を使ってくれたこと。そして何より、村の復興を願う両陛下の思いが、村民たちの気持ちを奮い立たせたのだ。
だからこそ、山古志村の伝統行事である「牛の角突き」を行うための闘牛場再建も急いだ。牛が家族同様に大切な存在であることはもちろんだが、復興した暁には「元気な闘牛の様子を両陛下にもお見せしたい」との気持ちがあったからだ。
■角突きの技
地震から4年後の08(平成20)年9月8日、両陛下は山古志村を訪問された。皇族が村を訪れるのは有史以来初めてだそうで、村挙げて盛大に迎えた。
もちろん、両陛下は再建された闘牛場で牛の角突きを見学された。その感動を両陛下は後に次のような短歌にされた。
天皇陛下
なゐにより避難せし牛もどり来て角突きの技見るはうれしき
これは、地震によって避難していた牛たちの角突きをこうして見ることができるのは何とうれしいことだろうか、という意味だ。
皇后陛下
かの禍(まが)ゆ四年(よとせ)を経たる山古志に牛らは直(なお)く角を合はせる
この短歌は、大地震から4年を経て、山古志村の牛の角突き行事が見事に復活したことだ、という意味だ。
「再び牛の角突きを行える村を絶対に復興させるんだ」という村民たちの思いをしっかりと受け止めてくださった両陛下。村民たちは感謝の思いを込め、両陛下の短歌を刻んだ碑を闘牛場の横に建立した。
(今週のリポーター:全日本学生文化会議 学生記者/SANKEI EXPRESS )
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≪大震災と天皇、皇后両陛下≫
3月11日 東日本大震災発生
14日 宮内庁、春の園遊会中止を発表
15日 皇居・御所で自主停電開始。4月末まで連日続ける
16日 天皇陛下が国民向けに初のビデオメッセージ
26日 那須御用邸(栃木)の入浴施設を被災者に開放
30日 両陛下、福島からの避難住民が身を寄せる東京武道館を訪問
4月8日 埼玉県加須市に集団避難した福島県双葉町民を激励
14日 千葉県旭市へ。被災地訪問スタート
22日 茨城県北茨木市へ
27日 宮城県南三陸町と仙台市宮城野区へ
5月6日 岩手県釜石市と宮古市へ
11日 福島市と福島県相馬市へ
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■全日本学生文化会議 わが国の歴史と伝統、国柄やアイデンティティーを踏まえ、大学生の立場から、外交や教育問題などに取り組んでいる全国的な学生のネットワーク。
沖縄の普天間基地移設問題や尖閣諸島問題についての見識を深めるための沖縄遊学や、拉致被害者救出のための活動、日韓で共鳴して拉致問題を解決するための韓国遊学を行っているほか、大東亜戦争で戦われた英霊の顕彰事業として「殉国沖縄学徒顕彰祭」(6月23日)、「大東亜戦争戦歿全学徒慰霊祭」(10月)を斎行する。また、明治維新を切り拓いた志士たちの足跡をたどる歴史探訪や、皇室と国民の間に生まれたドラマを取材する聖蹟調査、皇居や赤坂御所での皇居勤労奉仕(9月)などに取り組んでいる。機関誌「大学の使命」を発行(年会費3000円)。連絡先は(電)03・3476・5759。メール:info@bunkakaigi.org
【Campus新聞】岩手県宮古市の避難所を訪問後、バスの中から手を振る天皇皇后両陛下
=5月6日(産経新聞_松本健吾撮影)