謎だらけの金総書記の訪中。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【国際情勢分析 矢板明夫の目】



北朝鮮の金正日総書記(69)は20日早朝、特別列車で中朝国境を超え、昨年5月と8月に続き、ほぼ1年以内に3回目の訪中を開始した。黒竜江省、吉林省を回ってから南下し、江蘇省の揚州市と南京市を訪問したあと、強行軍で北京に戻って胡錦濤国家主席(68)とのトップ会談に臨んだとみられる。国内の食糧不足、三男の正恩氏(28)への権力継承問題、また自身の健康不安説が取りざたされている中、金総書記が外交慣例を無視して3000キロ以上も走破した訪中の目的とは何なのか。北朝鮮の思惑と今日の中朝関係について検証する。


なぜこの時期に

 

 最近の中朝関係から見れば、金総書記の今回の訪中は異例なところがいくつもあった。まずは首脳の相互訪問という外交慣例を完全に無視したことだ。

 中国と北朝鮮の最近の首脳訪問でいえば、2005年10月に胡主席が訪朝し、翌年1月に金総書記が訪中した。その後、北朝鮮は中国の反対を押し切って核実験とミサイル発射実験を強行したため双方の関係は悪化、3年以上も首脳の相互訪問はなかったが、09年10月に温家宝首相(68)が中朝国交樹立60年記念式典に出席するために訪朝し、翌年5月に金総書記が訪中した。

 ここまでは一回ずつの往来で外交慣例に従っているが、金総書記はその3カ月後の昨年8月に再び訪中し、さらに今回の訪中を入れると、中国首脳の訪朝を待たずに3度も連続して中国を訪問したことになる。面子を何よりも重要視している北朝鮮にしては珍しいことで、「国内に緊急な事態が発生したのでは」と推測する北京の朝鮮問題研究者もいる。

昨年3月の北朝鮮による韓国の哨戒艦・天安号撃沈事件や11月の韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃事件以降、日、米、韓による北朝鮮への制裁が強化されたため、北朝鮮が外交的にますます孤立し、頼れるのは中国しかなくなった。金総書記がこの時期を選んで訪中したのは、温首相が東京で行われる日中韓首脳会議に参加するため訪日したのに合わせた可能性もある。「北朝鮮と中国の緊密関係を国内外にアピールすることで、中国と日韓との接近を阻止したい思惑があるのでは」と分析する専門家もいる。


不明瞭な目的

 

 中国の温首相は22日、東京都内で韓国の李明博大統領(69)と会談した際に、北朝鮮の金総書記が訪中したことを認めたうえで、その目的については「中国の発展状況を理解し、(北朝鮮の経済)発展に活用する機会を与えるためだ」と説明した。

 金総書記のこれまでの訪中の際、中国は「相手国の意向を尊重するため」との理由で、事実関係を一切認めたことはなかった。金総書記が帰国した後に、国営新華社通信が国営朝鮮中央通信と同時に発表することが慣例になっていた。今回、中国の指導者が金総書記の訪中を認めたのは異例で、「温首相が北朝鮮に対する不快感を表している」と分析する中国人学者もいる。

 中国は北朝鮮に対し、これまでに中国と同じ改革開放路線を歩んで欲しいと何度も促しているが、それが一向に実行されていないことに対し、温首相は苛立ちを覚えているようだ。

金総書記は00年5月に訪中した際に「中国は改革開放を通じて国力を増強した。トウ小平路線は正しかった」と述べ、06年1月に広州を訪問した時も「広東省の変化に感動した」と語ったが、それらがすべて中国から援助を引き出すためのリップサービスに過ぎず、帰国後、中国の経済改革の経験を学ぼうとする行動を全く見せなかったことに、温首相ら中国の改革派指導者は不満を持っているといわれる。


ルートが語る意図

 

 金総書記は今回、牡丹江、長春、楊州、南京などと移動したが、いずれも父親の金日成主席(1912~94年)ゆかりの地だ。金主席は若いころ、牡丹江と長春の近くで中国軍のゲリラ部隊と一緒に旧日本軍と戦ったことがあり、楊州と南京は、金主席が1991年10月の生涯最後の訪中で訪れた都市だ。その際、楊州で行われた江沢民総書記(84)との会談で、中国と韓国との国交樹立問題について協議し、金主席は反対の意向を表明したにもかかわらず、聞き入れられなかったとされる。

 翌92年8月の中韓国交樹立を受けて北朝鮮は猛反発し、双方の首脳会談がその後約9年間も中断した経緯があった。

 北京の朝鮮問題研究者の分析によれば、金総書記が父親ゆかりの地を訪ねたのは、中朝間のこれまでの交流史を中国側に意識させる狙いがある。「双方は肩を並べて戦ったこともあれば、中国は北朝鮮を裏切ったこともあった」を暗にアピールすることで、胡錦濤指導部に対し、「北朝鮮との関係を大事にしてほしい」とのメッセージを送っているようだ。(中国総局 矢板明夫)



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                        金正日総書記の訪中ルート