【転機 話しましょう】歌手の坂本冬美さん・本記
演歌「夜桜お七」やCMに使われた「また君に恋してる」などで人気の歌手、坂本冬美さん(44)は30代のとき、一度大好きな歌を捨てたことがあります。「歌うのが怖かった」という1年間。しかし、この経験が等身大の自分になれるきっかけに…。(道丸摩耶)
それが「成長の証し」
一日中駅のホームに座り、行き交う人を見ていたことがある。一度や二度ではない。
19歳でデビューしてから、表舞台を走り続けてきた。しかし、30代になり急に不安に襲われた。「仕事を消化するのに精いっぱいだった」。体力の限界、それに気力も。何より歌うことが怖かった。歌なんて、歌えない-。
平成14年4月、デビュー15周年で突然の休業。重病説も流れ、マスコミが押し寄せる。どこにも居場所がなかった。「フーテンの寅さんみたい」に、あちらこちらを転々としたという。
その夏、和歌山の実家でテレビをつけると、二葉百合子さん(79)の歌手生活65周年コンサートが流れていた。「こんな力強い声と精神力を身につければ、また頑張れるかも」
迷った末、秋になって手紙を出すと、連絡があった。「あなたも歌の壁にぶつかったのね。私も何度もぶつかって今があるの。大丈夫。壁に気付くってことは、成長してる証しよ」
二葉さんの練習にも呼ばれ、浪曲の発声を学び、何度も稽古をつけてもらった。その帰り道、休業後初めて、自身の代表曲「夜桜お七」を歌った。張りつめた冬の空気に高声が響く。「大丈夫だ」。休業から、1年がたとうとしていた。
師に怒られ…
歌うことが大好きな少女を見いだしてくれたのは、作曲家の猪俣公章(こうしょう)さんだった。昭和61年3月1日。審査員を務める歌謡大会で会ったのが最初だ。
「歌手になりたいのか?」「なりたいです」
1カ月後には上京。猪俣さんの自宅に住み込んだ。
「先生は『スカウトの時点で才能が80%。あとの20%はおれに任せろ』とおっしゃってくださった。譜面が読めない、と明かすと『バカ野郎。演歌歌手に譜面なんかいらないんだ』と怒られて」
内弟子時代は、掃除や食事の用意、運転手と何でもやった。繁華街で飲む猪俣さんを待ちながら、車内で歌の練習を続けた。出合いから1年後、猪俣さんが作曲した「あばれ太鼓」でデビューが決まった。
よく言われたのは「まず詩を読め、理解しろ」。しかし、これでちょっとした失敗をしてしまう。「石川さゆりさんのようなしっとりとした歌にあこがれていたので、『どうせ死ぬときゃ裸じゃないか』という歌い出しに『ダサい』と感じた。勇気を振り絞って、『先生、この曲は絶対、はやらないと思います』って言ったら…」
猪俣さんは激怒した。「バカ野郎、百年早い!」
自身の予想を裏切って、「あばれ太鼓」は大ヒット。そして、今も大切に歌う代表曲の一つとなった。
「当時は歌いやすいかどうかで考えていた。でも、先生は私の将来を考えて作ってくださっていた」
平成5年、猪俣さんは自分のために70以上もの曲を残し、55歳の若さで逝った。「私が年を重ねてから歌ったらいいだろうなと思う曲もあった。先生は父親のようでもありました」
普段着の自分に
二葉さんの導きで歌を取り戻して5年後のこと。ロック歌手、忌野清志郎さんとの共演など活動の幅を広げるなかで出合ったのが、兄弟デュオのビリー・バンバンが歌ったラブソング「また君に恋してる」だ。
周囲の勧めもあって、この歌では、着物を脱ぎ、ジーンズをはいた洋装でステージに立った。それが、普段の自分を見せることにもつながったという。
演歌の世界では、どこか演じている部分もあった。しかし、長年連れ添ったカップルを描いた詞は、40代の自分が等身大で歌えた。
「先生が生きていらっしゃったら、『やっとお前も詩の意味が理解できるようになったか』って喜んでくださると思う」
いまだに緊張もすれば、失敗もする。
「でも、『1杯飲んで寝ちゃえ!』みたいな開き直りができるようになった。自分を少し楽にしてあげられるようになった」
夢を実現しても、走り続ければ息が詰まるときがある。そんなときは一度立ち止まってみるのもいい。開き直りと言われてもいい。
師がくれた大切なデビュー曲を、19歳の自分はこう歌っていたではないか。
〈どうせ死ぬときゃ裸じゃないか〉
--今年はデビュー25周年ですね
「17日に新曲『桜の如く』が出ます。3年ぶりの演歌です。本当にお待たせしました」
--冬美さんにとって演歌とは
「難しいですね。演歌の詩の世界は生活に寄り添っているものだから、(誰もが)共感できるのだと思います。若いときはそう思わなかったのですが、最近はもっと寄り添えるように歌いたいという気持ちになりました」
--「また君に恋してる」などポップスのカバーにも挑戦していますね
「歌手は新しいヒット曲を出すことが目標ですが、いい歌を歌い継ぐのも大切な役割と思うんです。演歌のカバーも出したいです」
--歌うことは人生?
「そうですね。今は仕事として歌っているかもしれませんが、将来引退する時期が来ても、きっとカラオケで歌っているんじゃないかしら」
〈さかもと・ふゆみ〉
本名同じ。昭和42年、和歌山県生まれ。高校卒業後、地元の梅干し製造会社に就職したが、NHK「勝ち抜き歌謡天国」(和歌山県大会)で作曲家の猪俣公章さんにスカウトされ、62年3月に19歳でデビューした。代表曲に「祝い酒」「風に立つ」など。平成21年発売の「また君に恋してる」は焼酎のCMソングで、幅広い支持を得て、昨年暮れの日本レコード大賞特別賞に輝いた。今年はデビュー25周年ツアーで全国を回っている。出身地の「和歌山県ふるさと大使」も務める。
「曲との出合いが、歌手人生を左右する」と語る坂本冬美さん
デビューのきっかけとなった「勝ち抜き歌謡天国」(NHK)の収録日に、猪俣公章さん(右)と
(所属事務所提供)