■「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」(宮澤賢治)
宮澤賢治の主著『注文の多い料理店』の「序」である。《またわたくしは、畑や森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびらうどや羅紗(らしゃ)や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました》と続く。賢治が残した最も美しい文章の一つだろう。
『注文の多い料理店』は9つの作品からなる童話集である。表題作は猟に来た2人の金満紳士が山中のレストランに入ってごちそうを食べようとしたところ、逆に山猫に食べられそうになる話。
結局は助かるのだが、《(恐怖のために)一ぺん紙くづのやうになつた二人の顔だけは、東京に帰つても、お湯にはいつても、もうもとのとほりになほりませんでした》と結ばれる。この作品には、おごる都会人に対する自然の逆襲や文明批判がこめられている。
ところが、他の収載作品はいささか趣がちがう。『狼森(オイノもり)と笊森(ざるもり)、盗森(ぬすともり)』『水仙月(すいせんづき)の四日(よっか)』『鹿(しし)踊りのはじまり』でも、やはり自然と人間の関わりが描かれているのだが、そこにあるのは融和である。
冒頭の「序」が書かれたのは、9月に関東大震災が起きた大正12(1923)年の年末である。大自然への畏敬と共生への祈り。それがこの童話集の主題だったのではないだろうか。『狼森』の結びにはこんな一文がみえる。《さてそれから森もすつかりみんなの友だちでした》(文化部編集委員 関厚夫)