人類が経験した大パニックのひとつにハレー彗星(すいせい)の接近がある。1910(明治43)年5月に近づくことが明らかにされると、「地球が尾っぽのガスに巻き込まれ、生物は絶滅する」といったウワサが世界中に流れた。その瞬間大爆発が起きるという説も流れた。
▼このため世界中が大騒ぎとなった。日本では桶(おけ)の水に顔をつけ、しばらくの間息を止める訓練が行われた。彗星よけの強飯(こわめし)を売り出してもうけた、というふざけた話もあったらしい。西欧では密閉された地下室に逃げ込む者や自殺者まで出た。
▼天文学者による正確な軌道計算もないまま「接近」説が発達しつつあったマスコミに乗り、世界に流れた。中途半端な情報がパニックを生む典型的な例となった。言うまでもなく彗星は何の害ももたらさないまま、はるか上空を宇宙の彼方(かなた)へ去っていったのだ。
▼福島第1原発事故をめぐる「パニック」は落ち着きを取り戻しつつある。来日したロシアの調査チームは「東京の放射線値はモスクワの平均値より低い」という結果を得たそうだ。東京から西の方へ「疎開」した人たちも帰京を始めているようだ。
▼だが千葉では福島県から避難してきた小学生兄弟が「放射線がうつる」とからかわれ、転入をあきらめたという。根も葉もない風評被害はまだやまない。人間もこれだけパニックを経験したのだから、もう少し情報の真贋(しんがん)を見分ける能力を身につけていい気がする。
▼角川書店『OUR TIMES 20世紀』によれば「シアトル・ポスト・インテリジェンサー」紙はこう書いたそうだ。「彗星は来た。去った。…わが地球は悪くもならなければよくもならず、これまでのところ賢くもなっていない」