首相対応がネット上で炎上・・・ | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【宮家邦彦のWorld Watch】

原発、危機管理の要諦…。



福島第1原発をめぐる戦いは長期戦の様相を見せ始めた。原子力は素人の筆者だが、「ついに来るものが来た」との思いを禁じえない。危機管理に際しては、よほどの確信でもない限り、常に最悪の事態を想定すべきである。このことを今回改めて痛感させられた。

 その「危機管理」能力に関し、菅直人内閣がネット上で炎上している。正しい情報を出さない、情報伝達が不十分、責任の所在が不明確、統治能力を欠く、パフォーマンスばかり、リーダーシップがない、国家意識が欠けている、等々かなり手厳しい内容だ。

 もっともらしく聞こえるが、実は的外れの批判も多い。「危機」になれば多くの方策が不調に終わり、その不満は必ずトップリーダーに向かう。首相を弁護するつもりはないが、今回の危機管理の議論を単なる政局談議や現内閣批判に矮小(わいしょう)化させてはならない。

 日本では、政府の「危機管理」を批判する側にも、「危機管理」の要諦(ようてい)をあまり理解していない人が多いのではないか。当然だろう。この国には万単位の犠牲者が発生し10万人単位の軍隊を運用する大規模「危機管理」作戦を指揮した経験など誰にもないからだ。

筆者が米国の「危機管理」を目撃したのは2004年のバグダッドだった。当時イラク全土に20万人の多国籍軍が展開し、毎日多数の米兵とイラク市民が手製爆弾の犠牲になっていた。当時米軍を内側から見ていた筆者が考えた危機管理の要諦は次の通りである。

 第一は、一度発生した「危機」は「管理」できないという悲しい現実だ。そもそも管理が可能なら、事態はまだ「危機」ではない。危機の真っ最中に個々の不手際の「犯人捜し」をすることぐらい非生産的なことはない。

 第二は、危機管理の具体的手順だ。ポイントは「危機の特定、評価、理解、対応と情報の管理」であり、この順番を間違えてはならない。最初にすべきは、情報パフォーマンスなどではなく、迫り来る危機の規模を正確に特定・評価することである。

 危機の規模さえ決まれば、後は最悪の事態を想定し、損害を最小にするため必要な資源を準備する。具体的な対応はその道のプロに任せればよい。国民へのメッセージの内容を考えるのは、これらの大筋が決まってからでも決して遅くはない。

 最後に重要なことは、政と官の役割分担だ。危機の特定・評価は職業政治家の仕事であり、理解・対応は基本的に軍、警察、消防など職業公務員の仕事である。間違っても政治家は、危機に際し全ての運用の詳細を管理しようなどと考えてはならない。

以上は簡単なようで、実は非常に難しい。04年のイラクでは、米国の文民トップがイラク軍解体の悪影響を読み違え、政治が軍事作戦に介入したため、信じ難い大失敗が何度も繰り返された。あの百戦錬磨の米国でも危機管理はかくも難しいのだ。

 今回の福島原発危機では、初動段階で原発「廃炉」という危機特定の判断が遅れる一方、首相官邸は現場の自衛隊、警察、消防各部隊の放水の順番まで決めていたと聞く。これでは狡(ずる)賢い官僚組織が危機後の「焼け太り」を狙って跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するだけだろう。

 今からでも遅くない。職業政治家は危機の最終的規模を見極め、指揮命令系統を統一し、必要なら政治責任を取る腹を決めるべきだ。個々の対応は専門家に任せればよい。このようなブレのない危機管理なら、国民も必ず支持してくれるはずである。


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【プロフィル】宮家邦彦

 みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。安倍内閣では、首相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。