詩人の草野心平は昭和21年の春、中国から福島県上小川村(現いわき市)の実家に引き揚げてきた。「ひるまはげんげと藤のむらさき。夜は梟(ふくろう)のほろすけほう。」(『大字上小川』)。戦争直後でさえ故郷の村には、レンゲと藤の花が咲く、4月らしい風景が広がっていた。
▼それに比べて現在の福島県は、まるで季節を奪われたかのようだ。県境の茨城県沖でとれたコウナゴ(イカナゴの稚魚)から、放射性セシウムが検出された。春の風物詩といえる、漁の自粛を余儀なくされている。
▼イカナゴといえば、しょうゆや砂糖で炊きあげた「くぎ煮」が先月、兵庫県明石市の知人から送られてきた。阪神・淡路大震災の発生した16年前は、被災者が復旧したばかりのガスで炊き、お見舞い返しとしたものだ。
▼福島市の「花見山公園」では今、ウメやレンギョウなどが見頃だ。園主の阿部一郎さん(91)の一家が、代々の雑木林を開墾し、無料開放して半世紀近くになる。ただ今年に限っては、例年のにぎわいは見られない。福島第1原発の事故の影響は明らかだ。風評被害は、福島県産の農作物や海産物だけでなく、工業製品にまで及んでいるという。
▼「ほっ まぶしいな。ほっ うれしいな。みずは つるつる。かぜは そよそよ。」(『春の歌』)。「蛙(かえる)の詩人」と呼ばれた草野によれば、春になって地上に出てきたカエルの歌だという。福島と近県の人々が春の訪れを、こんなふうに寿(ことほ)ぐ気分になれる日は、いつ訪れるのだろう。
▼原発の作る電気を享受してきた首都圏の住民としては、その早からんことを祈るだけでは足りない。寄付でも、福島県産品の購買でもいい。行動を起こさなければ。