復興財源の確保に大胆な発想を。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【正論】埼玉大学名誉教授・長谷川三千子



≪野生動物の如く逞しく生きる≫

 「なんだかあの地震の瞬間から何もかもが変つちやつたみたい」-。東日本大震災の後で久しぶりに会つた従姉(いとこ)がつくづくとさう述懐してゐた。「ほんとね。かうやつて家がきちんと残つてる私たちでさへさうなんですものね…」。さう答へて、しばし二人とも、家族を失ひ家を失ひ町を丸ごと失つた人々のことを思つたのであつた。

 このやうな大災害に見舞はれると、私たちはあらためて、人間はこの地球の表皮にしがみついて生きてゐるちつぽけな生物の一員に過ぎないのだといふことを実感させられる。けれどもそれは、だから人間は無力だと言つて諦めてしまふ、といふことではない。ちやうど野生動物たちが大火事や大洪水に遭つても逞(たくま)しく生きる営みをつづけてゆくやうに、我々(われわれ)もまた、まだ去らぬ危機に対処しつつ、あらゆる知恵をしぼつて、国民生活をたて直してゆかなければならないのである。

 その時なによりも必要となるのが復興のための資金である。

 単に、壊れた橋や道路を直すといふだけではない。3月27日付の産経新聞朝刊の「日曜経済講座」の言葉を借りれば、「復興のグランドデザインを描き」「大都市も地方も産業も電力も大地震に強い日本列島に作り替える」必要がある。そしてそのためには、100兆円にのぼる財源を準備しなければならないのである。面白いことに、ふだんは産経新聞と反対のことばかり言つてゐる朝日新聞も、「再生へ、総力で挑もう」と題する社説をかかげて、ほぼ同じことを主張してゐる。

 ≪列島立て直し100兆円必要≫

 それでは、そのための財源をどう確保したらよいのか?

 子ども手当、高速道路無料化といつた民主党の公約をすべて取り下げて財源にあてても、その総額は3兆3000億円にしかならないといふ。これでは全く役に立たない。また、特別の臨時増税といふ案も出てゐるやうであるが、ただでさへ景気回復が遅れてゐる日本経済に、震災と増税が重なつたらば、たいへんな大打撃となることは間違ひない。

 となると、もつとも頼れるのは国債といふことになる。現に先日も、日銀が全額を引き受ける「震災復興国債」を10兆円発行するといふ政府の方針が報道されたのであるが、当の日銀総裁はこれに難色を示してをり、また与党、民主党の岡田克也幹事長も「財政規律が失われる」と言つて反対の意向を示したといふ。

 さきの「日曜経済講座」が指摘するとほり、危機に臨んでテキパキと大胆な手を打つてゆくといふ気構へが、政府にも日銀にも見られない。ただし、いかなる形であれ国債といふ国の借金をこれ以上増やしたくないといふ気持ちが政治家を気弱にさせてゐるのはたしかなのである。なにかよい第四の道はないものだらうか?

 ここで一つヒントを与へてくれるのが、月刊誌『正論』昨年11月号における丹羽春喜氏と紺谷典子氏の対談である。そのなかで丹羽氏は、デフレ不況への対策として、政府の貨幣発行特権の行使といふことを提案してゐる。これが今回の震災復興の財源として有望ではないかと思はれるのである。

 ≪第四の、残された唯一の道≫

 具体的には、復興国債の場合とよく似たかたちをとることになる。すなはち、政府が法律に定められた「政府の貨幣発行特権」のうちの100兆円を日銀に売れば、それが政府の口座に振り込まれる。国債と大きく違ふのは、それが借金とはならない、といふことである。

 もちろん、この特権は野放図にふり回してよいものではない。丹羽氏自身が別の著書に語つてゐるとほり、これは「危急存亡の事態に国が直面したような場合に」、政府が「それを大規模に発動して危機乗り切りをはかる」ための基本権である。そして、現在はまさに、その「危急存亡の事態」なのである。

 多額の貨幣発行と聞くと、ただちにインフレを心配する人も多いであらう。ことに日本の生産能力が大きく傷ついてゐる現在は尚更である。しかし、このお金はまさに生産能力を回復し、悪性のインフレを防ぐために使はれるのだといふことを忘れてはならない。

 たしかに、このやうな方策は他国にも行はれたためしがない。復興国債についてすら「世界の多くの中央銀行が行っていない政策」であると言つて難色を示した日銀総裁は、ますますしぶい顔をするであらう。また事実、これはどんな国でも真似(まね)のできるといふ方策ではない。大きなデフレギャップに悩まされてきた日本だからこそ、可能な方策なのである。しかし、だからこそ、日本は自信をもつて独自の道を歩むべきであらう。

 諸外国の顔色をうかがつて、日本経済と日本国民を見殺しにするのか、それとも、本当に「再生へ、総力で挑む」のか、日本の政策決定者たちの真価が、いまもつとも切実なかたちで問はれてゐるのである。(はせがわ みちこ)