災害を生き抜く「日本人力」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【一筆多論】五十嵐徹



東日本大震災の発生から数日後、東京で1人暮らしをしている大学生の姪(めい)から無事を知らせるメールが届いた。電話事情などから連絡が取れず気をもんでいただけに、ひとまず安心はしたものの、聞けば、広島の友人宅に“避難”しているという。

 原子力発電所の建屋が水素爆発で吹き飛んだ直後のことではあったが、当時は何もそこまでしなくともと、すっかり呆(あき)れ、過剰反応をたしなめもした。

 しかし、今となっては、姪の反応を笑ってばかりもいられない。短期決着を目指した政府の対応は後手に回り続け、事態収拾には長期戦必至の情勢になっているからだ。

 国民の不安はいやが上にも募る。政府には無用な混乱を回避するためにも、なお一層の情報公開に努めるのはもちろん、最悪のシナリオへの備えも含め、事態打開に向けた対応策を正直に国民の前に示してほしい。

 さて、姪の話に戻る。そもそも彼女を慌てさせた直接の引き金は、インターネットで見たドイツ発の報道だった。

 欧州でも、とりわけドイツは人々の原発への抵抗感が強い。彼らにとって地震や津波による災害ですら想像を絶するのに、原発事故といえば、チェルノブイリの大惨事が真っ先に重なるのも理解できなくはない。

 これが日本在留外国人のパニック的な退避行動を誘い、それを報じる海外メディアを通じて本国が反応する情報の拡大再生産につながった。ドイツ留学の経験がある姪の反応からは、そんな経緯も容易に浮かんだ。

だが、一つだけいえるのは、どんな危機もいつかは収束に向かうということだ。政治のリーダーシップが見えない中でも、ひたすら日本人はこの危機に耐え、持ち前の互助精神で事態を切り抜けようとしている。誰が組織するでもなく被災者支援のボランティアや募金活動の輪が広がっている。支援物資を持ち寄る人々は後を絶たない。

 これを、あえて「日本人らしさ」というなら、それを支える大本は何なのか。

 司馬遼太郎の随筆集『歴史の中の日本』(中公文庫)に「日本人の安直さ」という小品文がある。

 幕末に函館の警備を求められた津軽藩の話である。厳しい財政下、100人以上の兵を送ったものの、翌年春を待たずして半数以上が病気になり、何人かは死亡した。安普請の兵舎もさることながら、同じ雪国だったことで北海道の厳冬を甘く見過ぎたからという。

 「春夏秋冬、四季がぐあいよくまわって」いる日本では、息を詰めて辛抱すれば、いずれ春が来ると人々は思っている。司馬は、それを「自虐をふくめた安直さ」と表現しつつも、いかに過酷だろうと自然環境に耐えてしまう、日本人の適応力、丈夫さに目を瞠(みは)るのである。

 災害大国といわれながら、この国が家屋構造はじめ生活様式を基本的に変えず、生き延びてきた秘密には、こうした良い意味での楽観主義があるのは確かだ。司馬は言外にそう述べたかったのではないか。(論説副委員長)