「西村眞悟の時事通信」 より。
四月に入り、一日は午前九時から堺市議会選挙の出陣式が各所であった。私は、楢葉の同志である杉本和幸候補の出陣式出席し、浜寺船尾の同志水の上成彰候補に廻り、次に菱木の平田たかあき候補そして百舌鳥の池尻秀樹候補と廻った。
出陣式冒頭は、東日本大震災犠牲者の霊に黙祷した。
今、この日本国に政府は機能していない。
現在、我が国が持ちこたえているのは、
おそれおおくも天皇陛下がおられるからであり、
大災害のなかにおいても、世界が驚嘆する忍耐心を以て秩序を失わず、助け合いと思いやりの心を失わない日本国民が存在し、
自衛隊と警察と消防が頑張っているからである。
今こそ、国民の命のために、政府を交代させなければならない。 しかし、この大災害によって国政選挙は執行できない。
従って、我々のこの堺の選挙こそ、如何なる堺にするかとともに、如何なる日本国政府でなければならないかを皆さんが発信する唯一の貴重な選挙なのである。
従って、私の同志、皆さんの代表、杉本和幸さんをトップで当選させるとともに、現在の日本の政府機構に寄生して無能をさらしている民主党に連なる議員を、この我々の堺から絶滅させていただきたい。
堺における杉本トップ当選と民主党絶滅の選挙結果は、この我々の堺から、菅内閣に痛烈な打撃を与え、国政を変革する重大な発信をなせるのである。
先ほど黙祷した三万に近い被災犠牲者は、遙か東北からこの堺に、我々の犠牲を無駄にせず、この選挙において、国政を変革し、国家と国民を護ってほしいと願っておられるはずだ。
以上が、杉本さんの出陣式における私の挨拶である。
この日、被災地では、航空機百機以上艦艇二十五隻以上を動員した三万人近い自衛隊とアメリカ軍による陸海空からの行方不明者の捜索が実施され、三十四人の遺体が収容されたと報じられた。
さて、四月には入り、入学式、入社式、辞令交付の時期となり、東北の被災地においても、家を失い、行方不明の家族を持つ若者が辞令を受け取るニュースが流れた。
被災地においても、四月が訪れている。
また、既に三月二十日過ぎ頃から、
テレビでは日中そして深夜の馬鹿馬鹿しいお笑い番組が復活している。こういう番組で育った者が、今、日本国の首都の首長選挙の候補者とは恐れ入る。
このような三月末、忘れえぬ報道に接した。
二人の名を書いておきたい。
一人は、津波で亡くなった二十四歳の美しいアメリカ人女性。被災地の中学校で英語の先生をしていたミス、テイラー・アンダーソンさん。
テイラーさんは、地震に際し、生徒達を安全な場所に移してから自転車で自分のマンションに戻ろうとした。その時路上で津波に襲われ亡くなった。数日後に遺体は発見され遺品とともにバージニア州の両親の元に還った。
テレビで、彼女の両親(五十四歳)がインタビューを受けていたが、彼女の行動を知り「娘を誇りに思う」と語り、娘の教え子の三人の中学生の「サンキュー、ミステイラー」という声を聞いて、「ああー、うれしい」と微笑んだ。
両親は、バージニアの自宅で、日本での彼女の楽しげな写真を見ていた。祭りの日に浴衣姿で生徒達と映っている美しい若い娘の写真があった。そして、いつかまた、娘が英語を教えた地を訪れたいと語っていた。
その立派な抑制された両親の態度に、深い悲しみが現れていた。
もう一人は、四歳の昆愛海ちゃん。愛海ちゃんの漁師をしていた両親と二歳の妹は津波にさらわれ、今も見つかっていない。
愛海ちゃんは、「お母さんに手紙を書く」と言って、一時間もかかって、「ままへ。いきているといいね おげんきですか」と手紙を書いた。そして、その手紙の上にうつぶして寝てしまった。三月三十一日、読売新聞朝刊。
嗚呼ー神よ、この絶対的な孤独に、
どうして、この四歳の子を選ばれたのか。
どうして、この少女に耐えよというのか。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
以上を書き終えて、外で所用を済ませて車内のテレビを見ると、
本日も航空機100機以上船舶50隻以上を以て、自衛隊とアメリカ軍合計2万5千人が行方不明者の捜索に陸海空から従事しているとの報道が為された。
そして次の映像で総理の菅直人君が、晴れやかな顔をして岩手に陸上自衛隊ヘリから降り立つ姿が目に入った。防災服でかっこをつけた役に立たない総理一行の被災地ご視察である。
すると、陸軍航空隊のベテランパイロットであった叔父の東儀正博が遙か昔に言っていたことが想い出された。
叔父の東儀正博は、複葉機時代からの操縦士で、戦前、戦中、戦後を飛び続け、昭和四十三年、五十七歳の時に、インドネシア、アンボン沖の海に墜落した。
叔父は、日華事変当時は、爆撃機に乗っていたが、戦争終盤は、ベテランパイロットとして、戦地における要人(将軍連中)輸送にあたった。
叔父に言わせると、
山下奉文ほど陸でも空でも立派な態度の将軍はなかったという。
しかし、陸で偉そうに威張り散らしている奴ほど空の上では臆病で、頻りに黒い雲が迫ってきたり機が揺れたりすると、大丈夫かどうか聞いてくるという。
そういうとき叔父はどうしたか。
飛行機をジェットコースターのように急上昇・急降下させ、要人をふらふらにしてガボット吐かせておとなしくさせたと言っていた。
この叔父のことを、菅君の姿を見て想い出したのだ。
そこで言う。
陸軍航空隊パイロットであった東儀正博の後輩である陸上自衛隊のパイロット諸君!
菅を乗せたら、飛行機を東儀と同じようにして、菅をふらふらにしてガボット吐かせろ。
その待遇が、無能のくせに陸で威張り散らしている彼には一番ふさわしいんだ。
もちろん、貴君らを「暴力装置」と呼んだ奴を、菅は官邸に帰らせているが、そいつが菅と同乗しておれば、「暴力装置」らしく三倍めちゃくちゃな飛行をするべきだ。
辻本清美の悪行・続報。