【消えた偉人・物語】明治天皇
先般、この度の大震災に対して、天皇陛下は異例のビデオメッセージを発表された。多くの被災者はどんなに励まされたことだろう。この時、筆者はお言葉を拝しながら、遠き明治の御代の或(あ)る出来事を思い出した。
それは、平成7年制定の「海の日」にまつわる史実である。現在、この祝日は7月の第3月曜日に移されているが、制定当初は7月20日に定められていた。
もともとこの日は、戦前の一時期に設けられていた「海の記念日」であり、明治9年に東北・北海道へおよそ50日に及ぶ御巡幸に臨まれた明治天皇が、明治丸で横浜に帰港された日に因(ちな)んだものだった。
その目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦(かんなんしんく)の日々を送っていた人々を天皇みずから慰撫(いぶ)し激励するためにほかならない。出発は6月2日、馬車で福島から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿(たど)っている。
この間、東北の人々は御巡幸の先々で奉迎した。天皇も各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者をねぎらわれている。郡山では、荒野を拓(ひら)いてできたばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、5万円を下賜された。
弘前の東奥義塾では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語による発表を披露。天皇はその進取の気象に感心され、ウェブスター辞書を買う代金にと一人につき金5円を与えられたという。
また或(あ)る時は、小学生が献上してくれ