【宮家邦彦のWorld Watch】
昨年5月鳩山由紀夫内閣が普天間飛行場移転をめぐり迷走した際には、同首相の「戦略観のなさ」が厳しく批判された。本年1月には米格付け会社S&Pが、「民主党政権には一貫した戦略が欠けている」として、日本の長期国債の格付けを引き下げた。
「戦略」とは実に便利な言葉である。日本人は戦略的思考が苦手であり、日本には国家戦略がないというのが通説だ。だから「戦略がない」などと批判すれば、結構もっともらしく響く。しかし、この「戦略」なる語、深い意味も考えずに、安易に使われ過ぎてはいないだろうか。
先週米国の著名な戦略問題専門家に会った。うっかり「日本には国家安全保障戦略がない」などと口走ったら、案の定彼は反論してきた。それは違う、日本は最少の軍事費で米軍という最大の抑止力を確保してきた、これぞ最も成功した戦略ではないか、と。
なるほど、言われてみればその通りだ。吉田ドクトリンは戦後日本唯一の安保戦略だった。この大方針が正しかったことは、冷戦後20年、政権交代を果たした民主党政権ですら、基本的にこれを踏襲したことからも明らかであろう。
それにしても日本人はなぜ戦略を公然と語らないのか。今もこの国では国家安全保障戦略どころか、軍事(防衛)戦略すら文書化されていない。あるのは防衛研究所が2年おきに開催している防衛戦略研究会議の報告書ぐらいだろう。
いやいや日本には防衛計画の大綱がある、との反論もあろう。冗談じゃない。「大綱」はあくまで防衛「計画」の基本であって、防衛「戦略」がなければ書けないはずだ。通常、計画は戦略から演繹(えんえき)されるのに対し、日本では計画から戦略が帰納されるのである。
だからかどうかは知らないが、最近外国との協議にはやたらと「戦略」が使われる。先日も日中戦略対話が行われたが、議論は来年の国交正常化40周年に向けたハイレベル交流の再開、衝突事件の再発防止策や北朝鮮問題ばかり。一体どこが戦略的なのだろう。
一昔前は日米間でも戦略対話があったが、これも常に戦術に終始した。米側関係者が、日本の国会答弁の調整ばかりで、米側が望むような中長期的議論はほとんどなかったと嘆いていたのを思い出す。悲しいかな、これも日米同盟の一側面なのだ。
国家戦略の本質は「生き残るため国家は何をやり、何をしないか」であり、安全保障戦略とは「いつ、誰と戦い、誰を味方にするか」の基本方針であるはずだ。防衛戦略はそこから演繹するのが筋であり、防衛計画などさらにその下の概念でしかない。
1945(昭和20)年以来、日本はこうした知的作業を回避してきた。いや、吉田ドクトリンなる戦略があまりに成功したため、冷戦後日本の政治家、官僚、学者は「誰と同盟すべきか」だけを考え、「誰と敵対しなければならないか」を明確にする必要などなかったのかもしれない。
東アジアにおける米国の相対的地盤沈下は現実であり、現在ワシントンの目は再び中東の騒乱に向き始めている。それにもかかわらず、今巷(ちまた)で語られる戦略論の多くは結局「日米同盟が機軸」としか語らず、「吉田ドクトリン」の見直しにまで踏み込んではいない。
世界のどこにも自国の安全保障戦略の詳細を全て公表している国などない。しかし、日本のように、安全保障戦略を公式文書化すらしないまま防衛計画だけが作られているのに、誰もそれを不思議に思わない国も、残念ながら、ないのである。
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【プロフィル】宮家邦彦
みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。安倍内閣では、首相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。