「脱ゆとり」への期待。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【小学受験日々多感】



40年近く前、私の教科書をパラパラとめくっていた父が、「1年かけて、こんな薄っぺらな内容しか勉強しないのか。これなら本気でやれば1週間だな」と、嘆いていたことがありました。小学校6年間で、今より約450時間も授業数が多かった頃のことです。その30年後、いわゆる「ゆとり教育」となった平成14年に小学校の教科書を目にした私は、嘆きを通り越してがくぜんとしたものです。

 そもそも、「ゆとり」と「教育」の組み合わせには違和感を覚えます。「ものすごいスピードで成長する子供はそれにふさわしい勢いで教育すべきであり、それでこそ長い人生を走り続けることができる」が私の持論であり、「ゆとりなど老後で十分!」と考えるからです。

 一方、学習指導要領の影響を受けず独自の指導方針にのっとって教育が行われているのが、私立小学校です。多くの学校では「ゆとり教育」の下でも、授業数、内容ともに従来通りに行われていました。テストや宿題も多いそうで、私学に通わせている母親は「思ったより大変で…」と口をそろえますが、私はこれでいいと思っています。なぜなら、当の子供たちは十分に楽しんでいるからです。

 もし宿題もテストもなければ家庭学習の時間は減り、その分、ゲームをしたりテレビを見たりする時間が増えて楽しいかもしれません。しかし、楽だから楽しいというレベルの低い楽しさを覚えさせてはいけないのです。

人は大変なことに挑戦すれば、すぐに上達しなかったり、うまくいかなかったりするからこそ夢中になれるのです。それが、いつの日か達成されたときの喜びも大きいもの。この「乗り越える楽しさ」を幼い頃から経験させることが、最も重要な教育と私は考えています。

 さて、来年度から全国の小学校で本格実施される新学習指導要領では、授業時間が一気に280時間ほど増え、学習内容もある程度戻ってきます。これは大変喜ばしいこと。「落ちこぼれが増えるのでは?」との不安の声も聞かれますが、もっともっと伸びる力を持った子供を足踏みさせて、楽な授業のために学習を飽きさせているとしたら、それこそ取り返しがつきません。

 勘違いしてはいないでしょうか? 頭の良い子が学習するのではなく、学習した子が頭の良い子になっていくことを。


                    (ジャック幼児教育研究所理事 大岡史直)





草莽崛起

     1分跳びに挑戦する年中児。学習も運動も目標を乗り越えることが自信につながる!