美白化粧品(上)「均一に輝く素肌」アジアへ。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






【日本発 アイデアの文化史】美白化粧品(上)



春になり、紫外線が気になり始めた。「美白」をうたう化粧品に手を伸ばすのは、日本人女性だけではない。

 中国語読みで「美白(メイバイ)」。日本で約20年前から盛んに使われるようになったこの言葉は、既に台湾や香港、中国本土に進出していた日本の化粧品メーカーなどによって現地に広まっていった。現在アジア14カ国・地域で展開している資生堂によれば、同社の美白専用商品「ホワイトルーセント」はここ数年、アジアで2桁伸長を記録。同社国際事業部の関川祥(しょう)課長(44)は「日本人の肌質や美容観に近い東アジア地域を中心に、美白用基礎化粧品への関心が高まっている」と話す。

 民間調査会社の富士経済によれば、日本の化粧品市場は2007(平成19)年をピークに徐々に縮小し2兆1503億円(10年見込み)。資生堂によると、中国市場はまだ1兆4千億円超(09年)とみられるが、成長率は約10%。有望なマーケットであることは間違いない。





 そもそも「美白」をキーワードに各メーカーの機能競争が激化したきっかけは、1990(平成2)年発売の資生堂の美容液「ホワイテス エッセンス」だ。「世界初、美白有効成分アルブチン配合」といううたい文句は、単なる化粧品ではなく医薬部外品であることを強くアピールしたもの。1万円と高額にもかかわらず、200万本以上を売る大ヒットとなった。その後も各メーカーがコウジ酸、ビタミンC誘導体など、シミの原因となるメラニン生成を抑える美白有効成分を相次いで開発してきた。

「百八十度の転換でした。リゾート地で日焼けした肌がステータスシンボルとする欧米の影響もあり、日本でも60~80年代、夏は健康的に焼く方がいいと推奨されてきたのですから」と石田かおり駒沢女子大准教授(哲学的化粧論)。「70年代末から紫外線の研究が進み、健康上のリスクだけでなく美容面でシミ、シワなど肌の老化につながることが分かってきた。いきおい紫外線は防ぎましょうというキャンペーンが始まったのです」

 とはいえ、欧米にはいまだ「美白化粧品という需要自体がほとんどない」(外資系化粧品メーカー関係者)。白色人種だからということではなく、美意識の違いが背景にあるようだ。

 石田准教授によると、日本人はシミやシワ、目の下のクマ、ホクロやソバカスなどすべてを“汚点”ととらえるのに対し、欧米では「チャームポイント」になり得るという。全体のメリハリとバランスを重視するのが欧米なら、全体が「均一」であることにこだわるのが日本人。それは中国や韓国など他のアジア各国の美意識にも近い。
「日本人が古来尊んだ『色白肌』とは、白色人種のような肌ではない。“汚点”がなく、キメが細かくて潤っている-そんな完璧(かんぺき)な状態を言うのです」




 

 実は、文字通りの「白い肌」への憧れは、古代から世界中にあった。「白粉(おしろい)は四大文明に存在しましたし、大英帝国をつくり上げたエリザベス1世は厚塗りで有名でした」と石田准教授。日本でも平安以降、主に貴族の男女に白粉の化粧が広まる。恐ろしいことに、20世紀初めまで白粉の原料は鉛か水銀。とりわけ水銀は貴重とされ、ゆえに白い肌は世界中で高貴と富、権力の象徴とされた。鉛毒などで健康を害する人も少なくなかった。

 一方で、日本人には先述したように美しい素肌を尊ぶ「色白」信仰がある。例えば、奈良時代に成立した歴史書『日本書紀』には、雄略(ゆうりゃく)天皇の前で、こんな風に妻を自慢する豪族が出てくる。「天下の美女もわが婦(め)には及ぶまい。(略)白粉や化粧も必要なく、世にもまれな抜群の美人だ」

 本来美しいのは白塗りの白ではなく、輝くような素肌。「白とはつまり、光の色なのです」と石田准教授は説明する。古来、神と結びつく「白」は光の色とされ、崇高で清らか、善であり美であった。「美白」とは、そんな日本人の伝統的価値観の延長上にあるのかもしれない。


                                       (黒沢綾子)





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