知識を生かす智慧。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【一服どうぞ】裏千家前家元・千玄室




「知る」という字の下に「日」を入れると「智」となり、意味は変わってくるのである。そして見たり聞いたり体験すると、いろいろと知ることができる。「智」に慧、識、能、力がつくと、真理を認識する智慧、智識、智能、智力などの意味が生まれる。このように、「知る」を本として、人間性に大きな影響を与える熟語ができてくる。情報の氾濫するこの社会にあって、現代人は多くの知識を持っているが、それを生かす智慧を持たなくてはならないと思う。

 一日一日の過ぎるのが早すぎるというより、なさねばならぬことが多く、時間があっという間に経(た)ってしまう。昨日、そして今日から明日へと進むのだが、「目的に向かって生きる」という意志が確固としていれば、その人は「生きる」ことの幸せを感ずるものである。一日が終わり就寝前に「生きていてよかった」と感謝できる人は「生き甲斐」を持っているはずである。

 私の家には一つのエピソードが残っている。今から約400年前、利休の孫である3代の宗旦が敷地内に茶室を新しく造った。そして、かねて親交のある大徳寺の清巌和尚(第170世、1588~1661)を招いて茶事を催そうとした。ところが、清巌和尚は日を間違えたのか約束の時間になっても来られないので、他用があった宗旦は「明日おいでください」と伝言し、急ぎ外出をした。その後、清巌和尚は約束を思い出して駆けつけ、遅参したことを詫(わ)びた。しかし、折角(せっかく)なので茶室にあげて貰(もら)って、何かを書き残していかれた。宗旦が帰宅して茶室に入ると「懈怠比丘不期明日(けたいのびくみょうにちをきせず)」「怠け者の坊主には明日がない」との書があった。宗旦は「今日今日と言いてその日を暮(くら)しぬる 明日の命はとにもかくにも」との返書をもって改めて茶室披(びら)きをしたという。明日にしよう。まあ後でやろうという気持ちは怠惰である。今日という日が互いに大切で、今日を粗末にしては明日もないという、いわばお互いの悟りの境地を表している。

 国の重要文化財になっている裏千家の茶室の中でも、一番大切なこの茶室は「今日庵(こんにちあん)」と命名されており、歴代の宗匠方がその真意を心に持ち続けてきている。私も子供の時からこの話を両親から教えられ、何でも今直(す)ぐにやることが大事である、との覚悟でいる。人間は誰でも「ずるい」し、時には手間を省くために、物事を端折ってしまうことが日々の生活の中で多い。私も就寝前には、生かさせていただいた有難(ありがた)さに感謝を捧(ささ)げるとともに、今日一日を思い返しては反省ばかりしている。

 夏目漱石の草枕の一節に「智に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」とある。『草枕』が刊行された明治時代後期の人の世と現在の人の世の様子は、変わっていない。人間の置かれている立場は、いつの世も同じなのである。しかし、「自分は何の為に生きているのか。自分の生きる目的は何なのか」を常に自問自答し、しっかりとした信念を持っていれば、人の世に流されることはない。住みにくい世を、住みやすいように努めるのが、人間に与えられた智慧ではないだろうか。


                                   (せん げんしつ)