南極・昭和基地から南へ約100キロ。真っ青な空の下に広がる「白瀬氷河」は、想像を絶するスケールで南極大陸からリュツォ・ホルム湾の定着氷に向かってのびていた。
日本の南極探検のパイオニア、白瀬矗(のぶ)陸軍中尉にちなんで名付けられた氷河は、1年に約2・5キロの速さで流れており、南極の氷河では最速とされる。幅は広いところで16キロにも及ぶ。
大陸から押し出された氷河は、海上で割れると氷山となって大海原へ流れていく。しかし、白瀬氷河は流れ出る先が定着氷に覆われた海で氷が流出しにくい。そのため「浮氷舌(ふひょうぜつ)」と呼ばれる、氷河が海面にせり出した部分が現在、約50キロに達している。
約20年間にわたって流出していない計算だ。定着氷がうねりを遮り氷が割れにくい、との見方もあるがメカニズムは解明されていない。第52次南極観測隊の山内恭隊長は「厚さ数百メートルの氷河を、わずか2メートルほどの定着氷がおさえられるのか、など不思議な点が多い」と話す。
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今から100年前の明治44(1911)年3月、わずか204トンの「開南丸」で極地に赴いた白瀬隊は、日本人初の南極圏入りを果たした。厚い氷に阻まれ、大陸への挑戦は次の夏に持ち越したが、日本が南極に記した第一歩だった。
現在はオーストラリアから観測船「しらせ」に乗れば、1カ月足らずで昭和基地に着くことができる。夏場であれば、飛行機を利用しての南極入りも可能だ。
白瀬隊から1世紀の月日を重ねて様変わりした南の果てへの旅路。白瀬氷河が250キロ流れる間に築き上げられた、極地へのアプローチ方法を白瀬中尉が知ったら、どんな思いを抱くだろうか。(写真報道局 芹沢伸生)
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1年に2・5キロの速さで流れる白瀬氷河。日本の観測隊が発見し、白瀬隊が初めて南極圏に入ってから50年後の昭和36(1961)年に名付けられた=2月9日、南極・昭和基地の南約100キロ (「しらせ」艦載ヘリから、使用機材・ニコンD700、AF-S NIKKOR 16-35ミリED VR)
氷海を行く観測船「しらせ」の艦橋では緊張が絶えない。分厚い氷を砕いて効率よく進むには経験がものをいう=2月21日