【核ドミノの時代】柳澤協二・元官房副長官補
小泉政権から麻生政権まで、約6年間にわたり内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)を務めた柳澤協二氏は6日までに、産経新聞の取材に応じ、日本の核保有など核をめぐる問題について語った。
--産経新聞が実施した世論調査で、「日本が核保有しなくても日本の安全は守られるか」の質問に、35・6%が「思わない」と答えた
「現在、安全保障の専門家の間には、日本の独自核武装は、米国から自立して自律的な軍事態勢を取ることを意味し、日米同盟と相いれないという共通認識がある。そのほか、唯一の被爆国であることから来る“核アレルギー”があり、核保有には否定的な傾向が強い」
--過去、日米同盟における拡大抑止の役割について、日米で議論はなかったのか
「私が官邸にいるときに事務レベルでやっていた。私自身は話を聞いた程度で、官邸自体がさほど興味を持っていたわけではなかった。外務、防衛両省のレベルで、閣僚まで報告が上がっていた程度だろう。その中で、オバマ政権での核態勢の見直しについて、核の役割を減らす代償として、抑止力全体の維持を日本から米国に要請した事実がある」
--「核トマホーク」の退役延期を米側に求めた件か
「その件は、日本も民主党政権になって受け入れた。冷戦時代、戦術核は、通常兵器の不利を効率的に補う兵器だという認識があり、さまざまな小型核の開発が進められた。オバマ政権になり、核兵器の役割を減らしていく動きが強まったが、日本から見た場合、核の役割が減ること自体は良いとしても、北朝鮮などの抑止はどうするのかという議論があった。識者の間では、核の役割は減らすが、減らした分を通常兵器でカバーしなければならないという意見が大勢だったと思う」
--著書『抑止力を問う』の中で「核と聞くと論理が停止する」と述べている。官邸で在任中、核抑止の検討をすべき時に議論にならなかったことがあるのか
「私がそこで言っているのは、核密約の文脈だ。米国が核を持ち込むときには、米国が使うことを前提に持ってくるが、それ以前に、その核を日本防衛のために使うのかどうかが本質的な問題としてあったはずだ。日本自身が核の使用に対してどういう立場を取るか、何も考えていなかったのではないか」
--官僚機構の中で全く考えていなかったのか
「全く考えていなかった。タブーという以前に、日米同盟の枠組みの基本原則の一つという認識だ。積極的に、合理的に、核のことを考えないのは当然だとの認識が共有されてきた」
--英国は冷戦中、自国の核保有の理由に、米国による核の使用を担保することを挙げていた。日本でも同様の議論があってもよかったのではないか
「正にそこが思考停止のゆえんだ。核アレルギーの存在が相当大きく、政治的な課題にならなかった。多分、今でもならないだろう。選挙で核武装を掲げて戦う政党は、恐らくないだろう」
--一部には現在の米国の核抑止を補完するものとしての日本の核武装はあり得るという議論がある
「(安全保障の)主流派の中に、その発想はない。そういうことを言ったとたんに、米国は『余計なことをするな』となる。米国にとって、日本の核保有は、地域の緊張を非常に高める。なぜ日本が持ちたいかといえば、米国不信があるからだ。本当に米国が日本のために危険を冒して核を使用するかという不信感があるからこそ、そういう議論が出てくる。われわれ政府の人間は、米国が日本を必ず守ってくれるかどうかについての疑問を持ったことはない。日本が情報収集衛星を持つときにも米国側と議論したことがあるが、米側は当初、『情報なら米国からもらえばいいのに、なぜそんな無駄なことに金を使うのか』という見方をしていた。情報収集衛星だからそれでだけ終わったかもしれないが、核保有となれば、米国は戦略計算が複雑になる上、日本からの不信感を感じ取り、まったく歓迎しないだろう」
--現在、日本が核攻撃を受ける可能性はないか
「いわゆる(放射能物質を飛散させる)ダーティー・ボムを用いる核テロの危険性はまったくないとはいえない。だが、典型的な、核弾頭を搭載したミサイルで核攻撃をするシナリオは、米国の核抑止力が働いているため、あり得ないと思っていた。では、米国の核報復を制約する要素がある中で、日本に対して核攻撃をするケースがあるか、というと、やはり核の使用は、通常の戦争と異なる。米国は国際的な核拡散を防ぐ観点からも、米国の安全保障上の国益からも核拡散を許さない。まして第三国間での核使用、特に相手が同盟国、友好国であれば、決して許せないはずだ。そういう認識があるから、核抑止力に信頼性があるのだと思う」
--中国の核兵器について、どの程度、脅威または対処すべきものと政府内で認識していたか
「核戦力ということで考えたのは、ソ連、ロシアだった。米中の核戦力には相当の開きがある。中国の核が日本にとって直接脅威となる状況は当分、出てこないだろう。実際に核を撃ち合うような戦争は、冷戦中の米ソならともかく、米中では考えにくい。中国を破壊して一番困るのは米国かもしれないし、米国を殲滅して困るのは最大の輸出国である中国かもしれない。それは日本についても当てはまることで、まともな国家であれば、核を使って日本を壊滅させる動機は持たないだろう」
--恫喝の手段として核兵器を利用する可能性はあり得るのではないか
「恫喝と実際に使用するのは別問題だ。日本を単独で屈服させるための通常戦力による侵攻に、軍事的な合理性はほとんどない。軍事力を他国に対する恫喝と侵略に使うことは、大国であればあるほど難しくなっている。グルジアやチベットなど、歴史的経緯のある問題を除けば、現代に国家間で軍事力で物事を解決することは、国際的なルールから、ほとんど選択肢として取りえない。まして核は、ほとんど使えない兵器だと私は思う」
--防衛研究所の所長時代、核保有について議論したか
「平成14年か15年、日本の核保有について、防衛研究所としてどう考えるべきかを議論した。核保有という選択肢が安全保障上、合理性があるのかどうかを当時の室長クラスも含めて議論し、ブリーフィング・メモとして公開している。核保有とは、第二撃能力を持つことだ。例えば中国やロシアに対抗するには、相当な量の生存可能な第二撃能力を持たなければ、報復的抑止力としては意味がない。だから、日本が有効な核戦力を独自で持つ選択肢は合理性がないというのが結論だった」
--北朝鮮が2006年に核実験をしたときに、ライス米国務長官が来日し、「抑止と安全保障についての日本へのコミットメントをあらゆる形で履行する」と述べた。
「日本を安心させ、核武装論が出てくるのを防ごうとしたのだろう。日本に対するリアシュアランス(再保証)だ。ただ、仮に日本が核攻撃を受けたとしても、ただ1発どこかに落ちた程度で米国が核報復をするかというと、なかなか難しいだろうという感じはある。正に、どういうケースで、どうなったら核報復をするのか、協議は日米間で一切していない」
--協議の必要性はなかったのか。
「私はどこかで議論しなければと思っていたが、全く議論はなかった。米国も、あらかじめ特定の国にコミットすることは基本的にはしない方針だ。後はもう信頼関係しかない。ただ、信頼関係だけで満足してはいけない。もう少し戦略のすりあわせが必要だし、それを踏まえて日本の防衛力の在り方を議論すべきだと思っていた。米国が核の使用方針を言わないのであれば、日本から提案するくらいのことをしなければいけない。では、どういうときに日本は核を使えと米国に言うのか、という非常に重い問題提起が、日本自身の中に生まれるはずだ。その点で日本の政治家も官僚も悩んでいない。それが私の言う『思考停止』の具体的な意味だ」
--「核密約」調査に関連し、有事に日本への核兵器配備を認めるため非核三原則の見直しが必要だという意見もある
「有事に日本は米国に核を使わせることを、本当に決心できるのか。冷戦時代、ソ連が北海道に侵攻くるシナリオの中には核を使う選択肢が恐らくあっただろう。圧倒的なソ連の通常戦力に対して核で殲滅するシナリオは、当時はあり得た。しかし、現在は、圧倒的な戦力で上陸してくる国はない。核兵器を日本国内で使えば日本人に相当な被害が出る。(日本周辺での核使用は)必要性もないし、戦術としても成り立たない。日本をベースに他国に対する攻撃力として核を持ち込んで使うことになれば、日本は唯一の被爆国であると同時に、唯一の核攻撃発進国になる。それが政治的に、あるいは軍事戦略的に妥当なのかどうかをまず議論すべきだ。それ抜きに原則だけ外すことに、ほとんど意味はない」