「夕刻の備忘録」 様のブログより。
年度末である。そして遂に民主党の最期の時である。もはや菅の汚らしい首など、何の値打ちも無い。民主党そのものを滅ぼさなければ、ゾンビ達は何度でも甦る。せめて綺麗に散ってくれ、と念じても無理な話であろう。せいぜい悪あがきを続けるがいい。
工作員が跋扈する季節でもあるようだ。ブログやツイッターで、掲示板や動画の書き込みで、目を疑うような台詞に遭遇する機会が増えてきた。しかし、工作ばかりとは言い切れない、この種の政治宣伝に未だに引き摺られる人も居るようだ。
それにしても、事ここに至って「小沢待望論」まで出るようでは、さすがに言葉を失ってしまう。何故なのか、何故こうした結論に至るのだろうか。それは如何に金に汚い暴君であっても、「今の空き缶よりはマシではないか」という発想から生まれた「危険な賭」であろう。
小沢問題を検察問題にすり替えて、小沢無罪論をそのまま「小沢有能論」にすり替えている人達がいる。無罪有罪はどうでもいい、小沢一郎は政治家として無能なのだ。政策無き政治屋であり、政局回しの裏工作担当に、政治的評価など出来よう筈もない。
長く与党の地位にあった自民党を、批判する人が居るのは当然である。しかし、その勢い余って、唯の一つも褒める所の無い民主党を飛躍させた。よく分からないが、「自民党よりはマシ」という二者択一の発想で、投票行動を決められた方も多いのだろう。最近はネットの名言が国会でも取り上げられる。
『自民党は100点じゃないから0点だ。
民主党は10点だから自民よりマシだ!』
これもまた、マスコミ主導の「世論」とやらを鋭く捉えた名言である。反省癖の強い自民党議員は、この名言に見られる有権者心理こそ調べるべきだ。
しかしもっと始末に悪いのは、「あれもダメ、これもダメ」と自分のダメさだけは棚に上げ、したり顔で虚無的発言に終始する人達である。しかし、これも実は二者択一である。既存政党は全部ダメだと断じておいて、ありもしない「夢の政党」に想いを馳せる。定義不明の「大連立」を熱弁する。虚無を装ってはいても、結局のところ、自分以外は全部ダメ、というのは、「自分かその他全部か」という二者択一の発想に過ぎないのである。
冷静に考えられない人は、必ず救世主を求める。
白馬の王子を待望する。
さもなければ、極端な悲観論を撒き散らす。比較にならないものを強引に比較して、頭を使ったつもりになっている。未だに多くの書き込みにある、「それでも民主党の方が自民党よりマシ」だとか、やはり「菅より小沢の方がマシ」だとか、「鳩山……」(まあこれだけは無いようだが)だとか、の乱暴極まる議論は、知的頽廃の印であろう。
情報の周知、拡散を心掛け、周囲の人達を説得する季節がやってきた。しかし、ここまでグダグタの民主党を、未だに支持する2割弱の人々にどう対応すべきか。そんなことよりも、「自民もダメ、民主もダメ」と気取っている無関心層を説得した方が効果的だという人もいる。どちらも厳しい闘いである。
今や最大派になった無党派層を、説得することは想像以上に難しい。それは「頽廃」であるが故に、なかなか特効薬が無いのである。民主党支持者を転向させる方が、むしろ容易いほどである。従って、現状の民主党を支持するような人に何を言っても無駄だから、他に目を向けて、とはなかなか結論付けられないのである。
工作員が跋扈する季節でもあるようだ。ブログやツイッターで、掲示板や動画の書き込みで、目を疑うような台詞に遭遇する機会が増えてきた。しかし、工作ばかりとは言い切れない、この種の政治宣伝に未だに引き摺られる人も居るようだ。
それにしても、事ここに至って「小沢待望論」まで出るようでは、さすがに言葉を失ってしまう。何故なのか、何故こうした結論に至るのだろうか。それは如何に金に汚い暴君であっても、「今の空き缶よりはマシではないか」という発想から生まれた「危険な賭」であろう。
小沢問題を検察問題にすり替えて、小沢無罪論をそのまま「小沢有能論」にすり替えている人達がいる。無罪有罪はどうでもいい、小沢一郎は政治家として無能なのだ。政策無き政治屋であり、政局回しの裏工作担当に、政治的評価など出来よう筈もない。
長く与党の地位にあった自民党を、批判する人が居るのは当然である。しかし、その勢い余って、唯の一つも褒める所の無い民主党を飛躍させた。よく分からないが、「自民党よりはマシ」という二者択一の発想で、投票行動を決められた方も多いのだろう。最近はネットの名言が国会でも取り上げられる。
『自民党は100点じゃないから0点だ。
民主党は10点だから自民よりマシだ!』
これもまた、マスコミ主導の「世論」とやらを鋭く捉えた名言である。反省癖の強い自民党議員は、この名言に見られる有権者心理こそ調べるべきだ。
しかしもっと始末に悪いのは、「あれもダメ、これもダメ」と自分のダメさだけは棚に上げ、したり顔で虚無的発言に終始する人達である。しかし、これも実は二者択一である。既存政党は全部ダメだと断じておいて、ありもしない「夢の政党」に想いを馳せる。定義不明の「大連立」を熱弁する。虚無を装ってはいても、結局のところ、自分以外は全部ダメ、というのは、「自分かその他全部か」という二者択一の発想に過ぎないのである。
冷静に考えられない人は、必ず救世主を求める。
白馬の王子を待望する。
さもなければ、極端な悲観論を撒き散らす。比較にならないものを強引に比較して、頭を使ったつもりになっている。未だに多くの書き込みにある、「それでも民主党の方が自民党よりマシ」だとか、やはり「菅より小沢の方がマシ」だとか、「鳩山……」(まあこれだけは無いようだが)だとか、の乱暴極まる議論は、知的頽廃の印であろう。
情報の周知、拡散を心掛け、周囲の人達を説得する季節がやってきた。しかし、ここまでグダグタの民主党を、未だに支持する2割弱の人々にどう対応すべきか。そんなことよりも、「自民もダメ、民主もダメ」と気取っている無関心層を説得した方が効果的だという人もいる。どちらも厳しい闘いである。
今や最大派になった無党派層を、説得することは想像以上に難しい。それは「頽廃」であるが故に、なかなか特効薬が無いのである。民主党支持者を転向させる方が、むしろ容易いほどである。従って、現状の民主党を支持するような人に何を言っても無駄だから、他に目を向けて、とはなかなか結論付けられないのである。