【古典個展】立命館大教授・加地伸行
エジプト周辺からアラビア半島にかけて政変が続きそうである。それら諸国の長は、大デモに必死になって対応していることだろう。
しかし、わが国の首相はのんびりしたものである。大デモのないのをいいことにして、記者会見ごとに「国民の求めることをいたしたい」などと称して、実は何もしない、何もできないでいる。
だいたい「内閣総理大臣」という称号がよくないのではないか。「内閣」という語は、中国の明代の制度にあるが、それを借りたらしい。それはまあいいとしても、「総理」が問題だ。「総(すべ)て理(おさ)める」ということだから、それができるには抜群の力量が必要。その力量がないときは、良きに図(はか)らえ、と人まかせになる。自分は何もせず、チンと座っていることになる。無能な現首相はまさにそれではないか。
それでは困る。しっかりと指導性を示す首相でなくては、となれば、やるぞという気構えを起こす称号に変えることだ。例えば、「内閣総理大臣」をこう変えてはどうか。「征夷(せいい)大将軍」と。
わが国の周囲、四海波高(しかいなみたか)し。北方から南方に至るまで、夷狄(いてき)がわが国を狙っているではないか。「征夷」とは「夷(えびす)を征(う)つ」、これですがな。
奈良・平安の天皇御親政から、民間人の統治へとなった鎌倉幕府以来、江戸幕府に至るまで、幕府の長の職名として征夷大将軍があった。わが国の首相は、自衛隊陸海空3軍の長でもあるのだから、征夷大将軍とあればぴったりで分かりやすい。「征夷大将軍の所信表明」-なんて、かっこいい。
もっとも、この将軍職、たらい回しの世襲はいけない。民主党幕府はもはやもたない今、将軍の代替わりではなくて、国民に〈大政奉還〉すべきである。
聞けば、現首相は高杉晋作気取りとのこと。高杉は、欧米列強の中、藩を超えて日本国という国民国家を作らねば生き残れないという先見の明のあった人物である。この高杉を見習うならば、日本国という視点からは総選挙が大道だ。
そういう転換の大時機に、倒幕リーダーの自民党がいまひとつ頼りない。民主党幕府の周りをチャーチャー言って歩いているだけ。
こういうときは大死一番(たいしいちばん)、伸(の)るか反(そ)るか、大勝負に出ることだ。その覚悟があるなら、術(て)を教えよう。
谷垣総裁は、まず自民党全衆院議員の辞表(日付は空白)を集め(断る者は除名し)、それを懐にぶちこんで、内閣不信任案を自民党単独で出す。同調する別党派があれば拒まず。そして否決されるや、即座に全員の辞表を出して辞任する。
もちろん、全員ただちに選挙区へ帰り有権者に訴える。比例代表制があるので繰り上げ当選者が生まれるが、必要手続き完了後、国会を欠席する。すると、衆院は議員の約3分の1(自民党ら)の大量欠員・欠席となるわけであるから、いちいち各選挙区ごとの補欠選挙などできない状況となり、解散、総選挙とならざるを得ないではないか。
政権がまともで道義があるならば任せよう。だが、しがみついているだけの政権に対して、国民はもう黙ってはおれない。『論語』季氏篇(へん)に曰(いわ)く「天下 道有れば、則(すなわ)ち(われわれ)衆人(は)議せず」と。
(かじ のぶゆき)