民主党の「方便行政」を許すな! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





【安藤慶太が斬る】



朝鮮総連との関係清算は公金支給の最低条件




菅内閣はもはや「火の車」である。転がり落ちるのを食い止めようと必死に自分では食い下がっているつもりなのだが、まるで下りのエスカレーターに乗って階段を「逆送」しながら駆け上がっているようにも見える。行けども行けども、ちっとも上にあがらない。悪戦苦闘が全く報われずに、気がつけば下へ下へと落ちていく。そんな感じだ。




手のひら返し…どうよ


 


 そこへ次々と身内が追い打ちを掛ける。酷いよな、民主党内部からの手のひら返しの数々。16人が会派離脱届を出すわ、松木謙公農水政務官が辞表を提出するわ、民主党愛知県連に至っては県連で首相退陣を求める決議を採択する勢いだとか。来るべき統一地方選を前に街頭に立つ民主党候補者が「にわか無所属」になる動きも目立つ。

 幟(のぼり)に書かれていた「民主党」の3文字を消して政権批判を口にする候補者もいるようだ。やりたい放題だ。これでは沈没寸前の「泥船」で、乗組員が乗客そっちのけで我先に逃げ出そうとして大混乱に陥るような光景に等しい。

 極めつけは鳩山由紀夫前首相の「方便」発言だ。首相在任中の昨年5月、沖縄県の米軍普天間飛行場の「県外移設」について断念した理由を「学べば学ぶにつけて、海兵隊のみならず、沖縄に存在する米軍全体の中で抑止力が維持できるとの思いに至った」。あっけらかんとこう語った鳩山氏だったが、今度はその発言について「方便だった」と発言したというのである。

 「頼む!頼むから何も言わないでくれ!」。そんな気分だ。わざと菅首相を困らせるためにこんな発言をしたのだろうか。この問題における自分の置かれた立ち位置というものが彼は相変わらずわかっていないようだ。発言する資格が自分にはあるだろうか、などと少しでも自問したならば、とてもこんな言葉遣いは出てこないはずである。




予算成立は大丈夫か?


 

 

 年度内の予算成立は果たして大丈夫なのだろうか。予算は3月2日までに衆議院を通過してくれれば、何とか年度内に自然成立する運びとなるのだろう。

 が、予算関連法案を成立させないことには、予算は成立して、お金だけ用意しても、執行ができないことになる。大体、参議院ですんなり審議入りできるのかまず疑問だし、関連法案の場合、審議入りできても否決されたら自然成立とはいかない。衆議院で3分の2の可決が必要になる。

 だがその要員は民主党だけではそろわない。このため社民党だ、公明党だとあれこれ模索はしてはみたが、結局のところ自分たちの党の結束が乱れ、足元からぐらついている。またしても繰り返されそうな党内政局に「何やっているんだ」と思う人も多いだろう。


うやむや決着は許されぬ


 今の菅首相にとっては、本日の本題である朝鮮学校への無償化適用問題をどう決着を図るか、などとても検討する余裕がないように思える。要は「それどころではない!」。政権維持に精いっぱいで何も手につかない感じがするのだ。

 だが、このまま年度末を迎え、政治が停滞するままに案件をぶん投げて、うやむやにする。そういう決着がいいはずはないのである。こんな無責任なことでは、民主党に期待する人が減っていくのは無理からぬことである。

 いうまでもなく、私は朝鮮学校への無償化適用に疑問をもっている。無償化の適用対象に朝鮮学校を含めるべきだという趣旨で書いているのではない。断固反対。とんでもないとすら思っている。ただ、この無償化問題を追及することによって、日本における朝鮮学校という存在やあり方まで根本から問い直す機会になりつつあることは収穫だったと考えている。

 国は無償化適用について、これまで散々拉致問題や外交とは絡めないと言いながら、北朝鮮の砲撃で、手続きをストップさせた。「矛盾ではないか!」という指摘にも「矛盾ではない」と強弁しながら、上辺(うわべ)の言葉で取り繕ってしまっている。こういう無茶苦茶を不問にして「ストップしているからこれでいいのだ」などと肯定する気にはなれないのである。




言葉遊びの連続


 


 行政は言葉遊びではない。国民を幻惑しながら進めるものでもないはずである。ところが、振り返れば朝鮮学校の適用問題に対する民主党関係者が発してきた言葉は、いつもはじめに結論ありき、真摯(しんし)に耳を傾ける姿勢などほとんどなかったのである。

 かみ合わない国会審議もそうだった。徹底した秘密主義の専門家会議についていくら指摘しても文科省は全くといっていいほど耳を貸さなかった。周知期間もなく、拙速に制度はスタートした。

 北朝鮮や朝鮮総連をめぐり次々と明るみに出た問題点にも関係者は直視を避け続けた。それは「不作為」ともいうべき対応だった。追及や批判にも正面からは応えず、強引かつその場限りでお茶を濁してきた。

 終始、つじつま合わせのような国会対応ばかりだった。矛盾に満ちた対応を取りながら、新たな矛盾に満ちた説明が積み上げられる。そんな繰り返しだったのだ。

 こんな行政対応では国民はついていけなくなるし、行かなくなるだろう。政治家の言葉に疑念を抱き、安心して受けいれることができないとなれば、国民はやがて政治家の言葉を信用しなくなる。

 そういう状況は朝鮮学校の問題だけで起こっているのではない。表面的なごまかしや取り繕い、先送りの連続で済まされているのは在日米軍の問題も然りだし、尖閣をめぐる中国船衝突事件の処理にだって通じる話だ。国民はあらゆる問題が起きるたびに繰り返される「舌先三寸」の光景にもう飽き飽きしているのだ。




方便体質こそ民主党の真骨頂


 


 菅首相だけが悪いのではない。菅首相はもちろん、それを支えるべき立場にある人だって責任の一端は間違いなくある。むろん鳩山氏にもあるが、鳩山氏の「方便」体質こそが、民主党の体質を象徴したものだ。それは「民主党」の文字を消したり(幟をよくみると、透けてみえていたりするけど)、無所属に身分を変えて街頭に平気で立っていられる統一地方選の候補者や、首相に退陣決議を突きつけた民主党愛知県連にも一脈通じる体質なのである。




朝鮮学校こそ、拉致事件を正しく学ぶべきである


 

 

 ところで、朝鮮学校をめぐり今週また重要な動きがあった。24日の埼玉県議会で、上田清司埼玉県知事が朝鮮学校への助成凍結を打ち出したのである。

 上田知事は次のように答弁したのだった。

 「朝鮮学校への助成についてお答えします。埼玉朝鮮初中級学校の教育内容を調査した担当課からは拉致問題に関する記述が教科書にはないと報告がありました。教科書に記載がなくても朝鮮学校の生徒には拉致問題には正しい認識を持っていただかなければならないと考えています。拉致問題の解決の小さな第一歩となることも期待できますし、何よりも日本社会に暮らす生徒自身にとっても大切なことだと考えるからです」。

 拉致問題について朝鮮学校の教科書では「日本当局が極大化した」となっている。「大韓航空機事件は韓国のでっち上げ」と記載されてもいる。ここでいう日本当局という言葉が具体的に何を意味するのだろう。端的にここでいう日本当局者とは日本政府を指し、行政の頂点に立つ菅首相に向けられるはずである。にもかかわらず、彼らはこの点に至って鈍感である。自分のことを書かれているとは認識すらしていない恐れだってある。


独善的な教育をなくせ


 これに比べて上田知事の朝鮮学校の教育内容に対する見解は常識的であり、教育的である。

 「私も歴史の教科書の一部を見てみましたが歴史的事象について北朝鮮側から見た一方的な記述になっている個所が見受けられました。日朝間の歴史認識に違いを生徒にはっきり知ってもらいたい。政治や社会に対して多角的で柔軟な見方を身につけることが日本社会に生きる朝鮮学校の子供たちにとっても極めて重要だと考えています」


文科省の政務三役だって全員が朝鮮学校の教科書記述を「個人的」にはおかしいと国会では表明している。にも関わらず、無償化適用は止まらないし、止めようともしない。大体、教科書記述について尋ねられ「個人的には問題だと思う」で済まそうとするのがおかしな話である。

 


 さて上田知事はさらに続けて助成についてこう語っている。

 

 「朝鮮学校に対して、北朝鮮による拉致問題について生徒に正しく学ばさせること、歴史的事象について異なる見解がある場合に北朝鮮側からみた特定の見解のみを教えるのでなく、日本や国際社会の一般的な認識を踏まえた教育を行うこと、そしてそのさいには朝鮮総連の関与を受けることなく、学校が自主的に行うことなどを強く要請しました。運営費補助について学校からの回答を受けてから総合的に判断したいと考えています」




広がる補助金カット


 


 これは朝鮮学校への助成を凍結する方針を示したものである。東京、大阪、千葉に続く動きであることはいうまでもない。上田答弁の示した補助金支出の「条件」は次の3つに要約できる。

 一つは拉致問題について朝鮮学校の生徒にも北朝鮮による国家犯罪である拉致事件を公正に認識させる必要性を説いたことだ。これほど、拉致問題について踏み込んだのは上田知事が初めてだろう。東京でも大阪でもそこまで明確に求めてはいない。

 だが、そもそも北朝鮮に関するさまざまな懸案を考えるさい、拉致問題はまず第一に考えなければならない念頭課題のはずだ。上田知事は教科書に載っていなくても朝鮮学校では拉致問題について教育する必要性を掲げた。むしろ、日本社会に暮らしていく在日朝鮮人だからこそ、拉致問題を公正公平に認識しておく必要があるとしたのは、注目に値する。


2番目は、独裁国家のドグマに基づく偏狭かつ独善的な北朝鮮の見解のみを児童生徒に教えるのではなく、日本や国際社会の共通認識を踏まえた教育をやりなさいとした点である。

 朝鮮学校に通ったがために「国際的な常識が身につかない」「日本人に敵対する態度が身についてしまった」。これでは困るのである。

 大韓航空機爆破事件を韓国のでっちあげとしたり、朝鮮戦争は韓国の先制攻撃で始まったとか、北朝鮮による国際常識に背を向けた事実、歴史の歪曲(わいきょく)は他にもある。金日成、金正日父子の個人崇拝教育にしても「民族教育」「教育」に値するものではない。朝鮮労働党によって歪められた史実を疑わずに受け入れていく。そこに通う子供たちは気の毒である。

 そして3番目が朝鮮総連の関与排除である。実はここの改革が実現できれば、1番目も2番目の条件とも必然的にクリアできるのではないか、と私は考えている。そのくらい、朝鮮総連と朝鮮学校の関係はこの問題における核心テーマであり元凶なのだ。

 高校無償化策の朝鮮学校への適用の可否を判断するうえでも国は全くそうした点を今に至るまで考慮にいれずに来た論点である。




国も少しは見習え


 


 公安調査庁、警察庁など治安を預かる官庁にとって朝鮮総連の活動は調査対象となっている。その監視の目は朝鮮学校にいかなる影響を及ぼすか、といった点にも及ぶ。学校活動だからといって、「子供たちに罪はない」と免じるわけにはいかない面があるのだ。

 それが日本政府全体の考え方であり、立場である以上、純粋に「教育の論理だけで適用の是非を考える」としてきた文部科学省や民主党の考え方は大きな矛盾にぶつかることになる。というか、朝鮮学校を適用対象にする場合、この点をどう考え、改善を図るのか。壁として現に立ちはだかっている。

 今からでも遅くはない。東京や大阪、千葉や埼玉など朝鮮学校への公金支給について確固たる方針を示した自治体にならって、国も朝鮮学校に無償化策の適用対象としようとしてきたこれまでの考え方や条件をあらためるなり、方針そのものを見直すべきだと私は考える。


                                                           

                          (安藤慶太=社会部編集委員)









草莽崛起

            http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110227/plc11022707000003-n1.htm