本日は、2・26。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「西村眞悟の時事通信」 より。




本日未明、目が覚めた。午前4時、時計で時刻を確かめてまた眠ろうとした。すると、今2・26事件の時刻ではないかという思いがわきあがった。
 昭和十一年二月二十六日未明、歩兵第一連隊四百名、歩兵第三連隊九百名そして近衛歩兵第三連隊五十名の将兵は、青年将校に指揮されて、三十年ぶりの大雪の帝都で行動を起こし、高橋是清大蔵大臣、斉藤実内務大臣そして渡辺錠太郞教育総監を殺害し、首相官邸等永田町、霞ヶ関一帯を占拠した。
 フランスの特派員が、霞ヶ関の官庁街の街路に集まっている人に尋ねた。「クーデターか」。すると紳士が振り返って答えた。「天皇の国にクーデターはない」
 以上、寝床の中で思った2・26事件の情景である。

 起床後、昭和五年に三上卓海軍中尉が作詞作曲した
「昭和維新の歌」を観た。
1、泪羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ 混濁の世に我立てば 義憤に燃えて血潮湧く
2、権門上に傲れども 國を憂うる誠なし 財閥富を誇れども 社稷を思う心なし
3、ああ人栄え國亡ぶ 盲たる民世に躍る ・・・

 この「昭和維新の歌」の歌詞、今の世情とそっくりではないか。
 この歌詞が書かれる三年前、徳富蘇峯翁が次のように書いている。
「夫れ、国家興隆するときは、国民は理想を以て生活とし、国家衰退するときは、国民は生活を以て理想とする」
 
 ああ、二年前から「生活第一」を掲げて政権にありついた「盲いたる民」が「世に躍っている」、この者達が栄えて國亡ぶのか。

 まさに今、「義憤に燃えて血潮湧く」だ。
 また「身に老少有るも、心に老少なし」だ。
 年齢を超えて、全ての国民は祖国日本への愛を以て義憤に燃える時がきた。
 本日、東京の山手線各ターミナルで、チャンネル桜、「頑張れ日本、全国行動委員会」の呼びかけによる街頭演説とアピールが行われる。私は、午後から上京し、有楽町の街頭に参加する。
「6、天の怒りか地の声か そもただならぬ響き有り 民永劫の眠りより 醒めよ日本の朝ぼらけ
・・・
9、功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠 人生意気に感じては 成否を誰かあげつらう」

 最後に、私事ながら。
 2・26事件のことを思うとき、何時も母を思い出す。
 明治四十二年生まれの母は、二十七歳の昭和十一年二月二十五日の夜、東京の丸の内で劇を観ていた。
 劇が終わって劇場からでると路上一面に雪が積もり、動けなくなった市電が路上に放置され雪をかぶっていた。そして、和服で下駄を履いていた母達は、苦労して雪の中を歩いて赤坂の高橋是清邸の近くの家に帰り、そして就寝した。
 翌二十六日の早朝、起きてラジオのスイッチを入れた母の耳に、「赤坂付近の人は、タンスの影に身を隠して銃弾をさけなさい」というただならぬ放送が流れていた。
 これらは、母が時々私に語ったことである。
 
 母は、九十四歳まで生き抜いたが、九十歳を過ぎたある日、
突然私に尋ねた。
「真悟ちゃん、あんた、2・26のとき、何処にいたんやった」
「何を言うてんのや、生まれてないがな。僕の生まれたんは昭和二十三年やで」
 2・26は、母に強い印象を与え続けていた。
 そして、三島由紀夫にも、また私にも。






草莽崛起


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