【消えた偉人・物語】佐久間艇長の遺書
かつて一世(いっせい)を風靡(ふうび)した映画「タイタニック」は、1912年に起きた沈没事故を扱った作品だが、大ヒットしたのは人気俳優演じるラブストーリーのたまものだった。一方、タイタニック遭難のちょうど2年前にあたる1910年4月15日、広島沖で海軍所属の第六号潜水艇が訓練中に海底に沈むという事故が発生。艇長の佐久間勉海軍大尉ほか13名の艇員は生還不可能となったが、こちらは沈没時にとった彼らの行動が国の内外に感動を呼んだ。
それは彼ら全員がみずからの持ち場を離れることなく、最期まで職分を全うして倒れていたからである。その様子は、佐久間艇長がガスが充満し酸素が刻々と欠乏する艇内で、窓から漏れてくるわずかの明かりのもと、手帳に書き綴(つづ)った遺書に残されている。
当時の文部省は『尋常小学修身書巻六』に「沈勇」と題してその勇姿を子供たちに示し、米国は議会議事堂の大広間に遺書の写しを丁重に陳列。英国ではアルフレッド・ジマーンが古代ギリシャ研究の著作のなかでその義務に殉じた生き方を紹介したほどである。
夏目漱石は感動に襲われて「文芸とヒロイック」の一編を書き上げた。人間の本能丸出しの自然主義文学が流行していた当時、漱石は言う。「一方に於て佐久間艇長と其部下の死と、艇長の遺書を見る必要がある。…獣類と選ぶ所なき現代的の人間にも、亦此種不可思議の行為があると云ふ事を知る必要がある」と。
人間の高尚な行為を俗に引きずり降ろそうとする自然主義派の諸君、佐久間艇長の遺書を刮目(かつもく)して見よ。義務が本能に克(か)つという「不可思議」がこの世にはあるのだと、漱石は言いたかったのである。
遺書には、福井県小浜中学時代の二人の恩師の名前が走り書きされている。その一人、成田鋼太郎は、最愛の教え子の生涯を後世に伝えるべく『殉難艇長 佐久間大尉』と題する伝記を執筆。巻末に「敷島の大和心を人問はヾ佐久間大尉の遺書を示さむ」という一首を捧(ささ)げて結びとした。
(福岡県立太宰府高校教諭 占部賢志)
遺書を取り上げた修身教科書