「夕刻の備忘録」 様のブログより。
石破議員が繰り返し発言しているところであるが、「自民党は反省が足りない」「自民党は対案を用意すべきである」「反対だけではダメだ」などというような、些末な、下らない要求を我々はしていない。この点で石破議員は有権者を完全に見誤っている。
我々は反対に徹すべしと要求している。対案なんて後の話だと思っている。手段を選ばず倒閣に徹せよと願っているのである。確かに今は少数派の意見だろう。しかし、これを多数派にしてもらわねば、何も始まらない。現状の多数派に阿っているようでは、それこそ反省が足りないのである。
この意味で、美しく見事に相手を切って捨てようという侍の矜持は捨てて頂きたい。泥だらけになって、しがみつくようにして、手段を選ばす敵を倒す方法を選んで頂きたい。日本刀の鋭利な切り口ではなく、押し潰すような鉈の凄みで臨んで頂きたいのである。
先に記した自民党への要求、即ち「自民党は反省が足りない云々」は、確かに巷に溢れている。地元に戻った際に、有権者からそう切り出される場合も多いだろう。
「しかし、ちょっと待って欲しい!」と朝日新聞のように書く。果たして、それら「有権者の意見」なるものは、本当にその人個人の意見だろうか。またしてもマスコミ主導、マスコミプロパガンダに乗せられてのものではないだろうか。
実際、新聞、テレビでこの種の報道は、飽きるほど見せられているのである。こうした意見を表明する人は、実はつい先日までは所謂お灸層、「民主党に一度やらせてみて、ダメならまた変えればいい」と発言していた人達ではないのか。それが、流石に現状の民主党に呆れ果て、かといって今さら自民党に素直に頭を下げて、「あの時は誠に不見識でした」と言うのも悔しい人達が、悔し紛れに発しているのではないか。また、今なおマスコミ洗脳が解けず、真面目に真剣に、それが正しい意見だと信じている、困った人達ではないのだろうか。
自民党を応援する人達の声は様々であるが、批判する人達はパターン化している。何処かで聞いた台詞ばかりである。呆れるほどに一本調子である。同じ論理、同じ形容詞、同じ人物評で、眉をひそめるポイントまで同じである。自民党は自覚しているであろう。自覚しているであろうが、それを遙かに超える深度で国民は洗脳されているのである。この方面の対策を徹底しない限り、選挙で大勝することは難しいだろう。
倒閣を目指す以上、非暴力に徹する以上、我々は自民党に期待するしかないのである。デモもチラシ配りも、友人知人の説得も重要である。あらゆる行動が必要である。しかし、最も重要なことは、自民党の有効活用である。彼等を無視して、あろうことか敵視して、倒閣など達成できる筈がない。
その為には自民党にフリーハンドを与えねばならない。やれ対案を出せだの、追求が甘いだの、どっちもどっちだのといったマスコミ宣伝を封じて、自民党議員が自由に動けるようにアシストしなければならない。全ては民主党政権を倒した後だ。自民党批判などという楽しいことは、その後の話だ。今は歯を食いしばって野党連合を応援し、日本を取り戻さねばならない。
各地方での選挙も近い。我々も何らかの意思表示をしていこう。
ヤジるのもよし、黙って睨みつけるのもよし。×印を両手で作って笑ってやるのもよし。民主党候補者に対して、有権者の意志を示していこう。
彼等を相手に論理は無用である。
我々の感情の高ぶりをそのまま伝えれば、それでいい。
理論武装は評論家の仕事である。
我々はひたすら彼等に対する嫌悪感を表して、その息の根を止めてやろう。「何故チラシを受け取ってくれないのか」「何故、話も聞いてくれないのか」と問われたら、「オマエが民主党だからだ!」で充分である。今や民主党員であることは、人として軽蔑されるに充分な理由なのだ。「政府は嘘を吐いても構わない!」と閣議決定した連中を、幹部と担ぐ民主党員に明日など無いのである。
我々は反対に徹すべしと要求している。対案なんて後の話だと思っている。手段を選ばず倒閣に徹せよと願っているのである。確かに今は少数派の意見だろう。しかし、これを多数派にしてもらわねば、何も始まらない。現状の多数派に阿っているようでは、それこそ反省が足りないのである。
この意味で、美しく見事に相手を切って捨てようという侍の矜持は捨てて頂きたい。泥だらけになって、しがみつくようにして、手段を選ばす敵を倒す方法を選んで頂きたい。日本刀の鋭利な切り口ではなく、押し潰すような鉈の凄みで臨んで頂きたいのである。
先に記した自民党への要求、即ち「自民党は反省が足りない云々」は、確かに巷に溢れている。地元に戻った際に、有権者からそう切り出される場合も多いだろう。
「しかし、ちょっと待って欲しい!」と朝日新聞のように書く。果たして、それら「有権者の意見」なるものは、本当にその人個人の意見だろうか。またしてもマスコミ主導、マスコミプロパガンダに乗せられてのものではないだろうか。
実際、新聞、テレビでこの種の報道は、飽きるほど見せられているのである。こうした意見を表明する人は、実はつい先日までは所謂お灸層、「民主党に一度やらせてみて、ダメならまた変えればいい」と発言していた人達ではないのか。それが、流石に現状の民主党に呆れ果て、かといって今さら自民党に素直に頭を下げて、「あの時は誠に不見識でした」と言うのも悔しい人達が、悔し紛れに発しているのではないか。また、今なおマスコミ洗脳が解けず、真面目に真剣に、それが正しい意見だと信じている、困った人達ではないのだろうか。
自民党を応援する人達の声は様々であるが、批判する人達はパターン化している。何処かで聞いた台詞ばかりである。呆れるほどに一本調子である。同じ論理、同じ形容詞、同じ人物評で、眉をひそめるポイントまで同じである。自民党は自覚しているであろう。自覚しているであろうが、それを遙かに超える深度で国民は洗脳されているのである。この方面の対策を徹底しない限り、選挙で大勝することは難しいだろう。
倒閣を目指す以上、非暴力に徹する以上、我々は自民党に期待するしかないのである。デモもチラシ配りも、友人知人の説得も重要である。あらゆる行動が必要である。しかし、最も重要なことは、自民党の有効活用である。彼等を無視して、あろうことか敵視して、倒閣など達成できる筈がない。
その為には自民党にフリーハンドを与えねばならない。やれ対案を出せだの、追求が甘いだの、どっちもどっちだのといったマスコミ宣伝を封じて、自民党議員が自由に動けるようにアシストしなければならない。全ては民主党政権を倒した後だ。自民党批判などという楽しいことは、その後の話だ。今は歯を食いしばって野党連合を応援し、日本を取り戻さねばならない。
各地方での選挙も近い。我々も何らかの意思表示をしていこう。
ヤジるのもよし、黙って睨みつけるのもよし。×印を両手で作って笑ってやるのもよし。民主党候補者に対して、有権者の意志を示していこう。
彼等を相手に論理は無用である。
我々の感情の高ぶりをそのまま伝えれば、それでいい。
理論武装は評論家の仕事である。
我々はひたすら彼等に対する嫌悪感を表して、その息の根を止めてやろう。「何故チラシを受け取ってくれないのか」「何故、話も聞いてくれないのか」と問われたら、「オマエが民主党だからだ!」で充分である。今や民主党員であることは、人として軽蔑されるに充分な理由なのだ。「政府は嘘を吐いても構わない!」と閣議決定した連中を、幹部と担ぐ民主党員に明日など無いのである。