選抜クラス、和田です。
先日選抜クラスにて、アニメーションや外画にてディレクターとしてお仕事をされている方を講師としてお呼びして、特別授業が行われました。
今回の授業は私にとって、「気付き」が多いものとなりました。その時のことを書けたらと思います。
今回は、アニメーションを使った所謂アフレコの授業が行われました。
この特別授業に臨む前に生徒にはそれぞれ自分の演じる役をいただいていました。
一週間という期間の中で、与えられた役を全うしようと私自身、たくさん考え、練習をし、それはもう作り込んで行きました。
いざ授業が始まり、頭から最後まで、一通りお芝居をしました。
講師の方からは、クラス全体に対して、「よく頑張ったね」という言葉を頂けました。ですが、それは最大限の譲歩であると授業を通して、思い知らされることになりました。
というのも、頂けた講評は、「よくがんばったね」それに尽きるといっても過言ではなかったのです。
講師の方は、「すごくキャラクターを作ってきたでしょ?みんなは役になろうと頑張ってる、でもそれではいけない。最初に考えること、土台の一番下は、お芝居でなければならない、役と自分は=(イコール)でなければならないんだよ」ということを話して下さいました。
今回私は、視聴者として客観的に見た時、かっこいいおじさんと感じるキャラクターを演じました。
役毎に、お芝居をしての講評を頂けましたが、私は「かっこよくやろうとしてるだけ」と、その一言で自分の実力を理解させられました。
今回お芝居をする中で、私は「上手く演じなければ!」と、とても焦っていました。
それがお芝居をしよう!ではなく、このキャラクターになろうという発想を強めていました。
実際に振り返ってみると、今回の授業に限らず、キャラクターになろうとして、本質であるお芝居を、無意識に蔑ろにしてしまっていたのだなと、このブログを書きながらも反省が止まらないです。
キャラクターは決して、自分がかっこいいと思って闘っている訳でもないし、素敵な女性は私は素敵な女性!と思いながら会話をしているわけではない(そんな役もあるかもしれませんが…)、目の前にあって見失いがちなことだなと改めて思いました。その授業のあと、ふと私は「そうじゃん!キャラクターは演じようと思ってそこにいない、自分が演じようっていう想いを前に出したら成立する訳ないじゃないか!」授業の中でたくさんの気付きがありました、しかし、お芝居の原点ともとれるこのことを忘れていたと気付くことができました。
それからはアプローチを変えてお芝居をするようになりました。すぐ変わることではないのかもしれません。
ですが、この気付きが最終的にはプロになるための道を照らしてくれる数ある光の1つだったのだと、未来で確信になるよう励みます。
選抜クラス 和田