『どうする家康』第45回『二人のプリンス』寸感(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

今週の『どうする家康』の感想は休むと言ったな。

 

あれは嘘だ。

 

簡易総評も佳境を迎えて、少しでも時間が欲しいところですが、今回は俺は今年の大河ドラマでこーゆーのが見たかったんだよという展開が目白押しの秀作で、総評における本作の評価もやや上げを強いられそうなので、寸感という形で軽く触れておこうと思います。『豊臣の花嫁』以来、久々に概ね満足出来る内容だったな。尤も、イマイチに思えた箇所もないではないので、そちらにも言及予定。

 

まずは長所から。これは豊臣方のキャラクター設定、就中、成長著しい秀頼の描き方に尽きるでしょう。二条城の会見の場で家康と秀頼が上座をどうぞどうぞとダチョウ倶楽部のように譲り合うシーンは、豊臣を公家に祀りあげることで武家勢力と切り離し、その勢力を削いで立ち枯れるのを待ちたい家康と、この場の上座下座は千姫の御爺様とその夫の私的な会見であり、年長者の家康に上座を勧めるのは当然で、公の上下関係とは無関係という姿勢をやんわりと表明する秀頼による、お互いの本音を隠して繰り広げられるマナーという名の外交戦。しかも、秀頼……というか、茶々にとってはどちらが上座下座に着こうが問題なかったんだよな。秀頼上座なら『家康が頭を下げた! 天下は豊臣のもの!』と言えるし、秀頼下座なら『家康は秀頼に頭を下げさせた! 無礼千万!』と徳川方への戦意を煽ることが出来る。どちらに転んでもモーマンタイ。まさに百年に一人の逸材、秀頼。秀頼って史実でも創作でも誰の胤かで色々物議を醸しているけど、本作は間違いなく秀吉の血ってことがはっきりわかんだね。涼やかで容姿のよい秀吉って無敵じゃん?

家康、秀頼、茶々の三人の思惑も興味深いですね。家康は最終的には豊臣の武力を削ぎ落すにせよ、可能なかぎりのソフトランディングが目標に掲げているが、それは別に温情とか仏心とかではなく、不用意に大坂方を刺激して藪から大蛇が出てくるのを警戒しているため。対する秀頼は御爺様があの世にソフトランディングしてくれるのを泰然と待ち、自身はその後の政権移譲に備えて自らの大器を穏当な形で天下に示し続けている。そして、茶々は基本的には秀頼の方針を支えるけど、過去に母と自身が二度も家康に裏切られた(と勝手に思い込んでいる)トラウマと屈辱からか、天下は盗むのではなく奪うべきものというラインハルトみたいな思考に陥っている。フツーに家康の寿命を待てば、万事うまく行くのに余計なことを狙って最終的に失敗してしまう茶々、まさに本作の制作陣がスベる時の姿勢そのまんまですね。しかし、関ケ原以降の本作の茶々、『葵』の小川真由美感が半端ねぇな。これ、スタッフも絶対に狙っているよね。

 

逆にイマイチと思えたのは久々に登場したファンタジスタ。いや、いい使い方なのよ。往年の泣き虫家康を知る殆ど唯一の存在として、主人公の苦衷を吐露するシーンに用いるのは正しくはあるのですが、史実の氏真の立ち回りを思うと終盤限定復活&泣かせのための出演よりも、普段からフラッと現れては家康の愚痴を受け止める相談役のような役割を負わせておいてもよかったんじゃあないかな。愚痴を言える相手がいると主人公の人間臭さも出るし、公の場以外のシーンも増えるから日常感も演出出来る。本来、このテの役割を担うべき本多正信が、本作では再登場後は知恵者というよりも状況の解説者になってしまっているので、家康が腹を割って話せる相手として、ファンタジスタを設定してもよかったと思います。まぁ、それでも、今回の使い方自体は悪くないので、高望みと承知してはいるのですが。

 

よし、今回の感想はここまで。総評の執筆に戻ります。ちなみに毎年恒例の『食べ物に例える企画』は候補が二つまで絞り込めました。『シェフ大泉』と『わんこそば』のどちらがいいと思います?