~ Literacy Bar ~

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ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、
時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

まずはお知らせ。来週の更新はお休みを頂きます。年末年始を控えて、ここが最後の休暇になりそうなので、じっくり休んでしっかり楽しんでおきます。何卒、御理解御容赦の程、宜しくお願い申しあげます。実際、年末恒例の大河総評と下半期ベスト10は書きたいことが多過ぎて、嬉しい悲鳴をあげております。特に『いだてん』はカッツカツのスケジュールの中で、従来の総評やキャラクターベスト10の他にエピソードベスト10までやろうという、IOCカイロ総会で東京五輪と同時に札幌五輪の開催まで取りつけたアヘアヘ金欠ウホウホ借金おじいさんレベルの暴挙を画策しているため、未だに終着点が見えない模様。イザとなったら『おんな城主直虎』のように来年に繰り越すことも考えていますが、来年は『麒麟がくる』の感想に集中したいので、出来るだけ身軽な状態で越年したいんですよねぇ。何とか頑張る。そんな訳で来週お休みの分、今回は分量多めの感想日記です。題材は3つ。

 

 

1.『いだてん』第四十二話『東京流れ者』簡易感想(ネタバレ有)

 

嘉納治五郎(声)「情けない! 政治とスポーツは別物と繰り返し、口を酸っぱくして言ったろ! それはそうと田畑?」

田畑政治「喋るねベラベラと!」

嘉納治五郎(声)「今度のオリンピック何処で見ればいいのかね?」

田畑政治「知らねーよ!」

嘉納治五郎(声)「私じゃない、国民がだよ」

田畑政治「国立競技場は八万人収容出来るように改装しましたけど……それ以外の人たちはTVで見るんじゃないですか?( ゚д゚)ハッ!」

 

今は亡きアヘアヘ金欠ウホウホ借金おじいさんとの霊界交信を通じて代々木返還の秘策を思いついた田畑政治。科学的に説明し得ることである。意識の水面下に混在する思惟と感情のうちから、複数の水流が絡みあって上昇する。永遠に失われた一九四〇年の東京オリンピックに対する哀惜の念、それに伴う自己の過失への、増殖してやまない悔い。嘉納治五郎という偉大過ぎる先人に対する敬愛の思い。フィリピンをはじめとする先の大戦の傷跡に対する自責の念。オリンピック計画の何時にない鈍重さに対する苛立ち。六十億の金銭以外に事態を解決する有効な手段はないかと思索するプランナーとしての識見。

それらの混沌のうち、最も明澄な部分が嘉納治五郎という人格の中に統一され、結晶化される。田畑政治は無意識のうちに、困窮した事態を打開するための最も優れた方法を擬人化させたのだ……分析すれば、そのようになる。だが、人の世には分析しないほうがよい場合もあることを与力は弁えていた。アヘアヘ金欠ウホウホ借金おじいさんの傍迷惑な霊界通信が切迫した事態を打開した。それで充分面白いのだから……と『回廊の戦い』のキルヒアイス的ないい話風にまとめてみましたが、よくよく考えるとアヘアヘ金欠ウホウホ借金おじいさんが生きていたら、

 

嘉納治五郎「たかが六十億くらいの借金でガタガタいうな!」

 

と開き直るに違いないので、やはり、これは霊界通信ではなく、追い詰められた河童がない知恵を絞り出した名場面と評するべきでしょう。今週もトメクレを死守したのみならず、声だけでストーリーにもガッツリと関わった嘉納センセ。ここまで来ると、東京五輪開幕の聖火の中から頭上に天使の輪をつけた嘉納センセが現れても俺は意外に思わん。

そんな訳で先週と同じように何処を視聴者に配慮して編集したのか全く判らなかった(誉め言葉)今週の『いだてん』。徳井ィ! 今週もガッツリ映っとるやないかワレェ! 年頃の娘さんを親の前で『コイツ』呼ばわりするのはOUTで『ウマ』はOK&親の了解を得たから虐待ではないというガバガバアクロバティック大松理論狂おしくすこ。当時と現代の価値観の相違をコメディという形で紹介していました。NHKには引き続き、最終回まで現時点と同等の『配慮』をお願いしたいものです。

それと、第一部から見て来た視聴者への御褒美も嬉しい。若い頃は師匠の落語を背中で覚えていた志ん生が弟子の背中で『富久』を聞くシチュエーションも萌えましたが、今回は森西運転手がMVPでしょう。第一話冒頭の戦後パートから登場していた森西さんが、こんな重要な役割を担うキャラクターであったとは! この人は明治編の清さんのポジションなのでしょうね。タクシー=人力車という連想が出来ていたら、もっと早く気づけたのに……無念! 政治パートの物足りなさは相変わらずですが、こちらは最近の感想で何度も述べたように現実のほうが物語に擦り寄ってきているので、結果的に描いたことになっているように見えてしまうのが怖い。安保闘争は別として、聖火リレーといい、開催地といい、グダグダっぷりがマジで来年を彷彿とさせます。

 

田畑政治「朝霞でやったら『埼玉オリンピック』だろうが!」

 

という河童の台詞も、シナリオ書いた時はここまで現実に響くとは予想だにしなかったでしょうからねぇ。歴史は繰り返す&事実は小説よりも奇なり。はっきりわかんだね。

 

 

2.『PSYCHO-PASS サイコパス』劇場三部作感想(ネタバレ有)

 

霜月美佳「貴方は『完璧なシステム』の綻びになるところだった……だから、少しは報いを受けなさい!」( 'д'⊂彡☆))Д´) パーン

 

監督「このあと滅茶苦茶土下座した」

 

咬噛でさえもしたことがないシビュラシステムへの物理的制裁ビンタ。やっていることはヘリからの脱出時に藤間幸三郎をジュラルミンケースでボコボコにした槙島聖護と程度の違いこそあれ、本質的には同レベルの暴挙です。監督は『霜月は烏丸を叩いたあとにエクストリーム焼き土下座で詫びを入れた筈』と夢のないことを仰っていますが、それを差し引いても霜月さんの成長が窺えます。第一期のラストで『期待の大型新人として再登場』からの『シビュラの走狗』となり果てた第二期の醜態は何であったのか……霜月美佳とかいう好感度マイナス200点から一気にプラス300点を叩き出した『サイコパス』のきりちゃん。第一期~第二期のギノさんでもマイナス100点からのプラス200点レベルの変貌やぞ。まぁ、第二期の霜月さんがあまりにもアレ過ぎたので『素行の悪いヤンキーが凍えている捨て犬を拾ったら善人に見える錯覚』かも知れませんが、現在放送中のアニメ第三期でも口喧しさと裏腹にシビュラシステムに逆らわない範囲で部下の独断専行を看過する有能(≠有情)な課長であり、ギノさんやコウちゃんたち外務省の暗躍も黙認しているフシがあるので、どうやら、この劇場版三部作を経て一皮剥けたのは間違いないようです。常守監視官が朱ちゃん~朱さん~朱さまへと呼称が変わったように、彼女も美佳ちゃん(第一期)あのグズ(第二期)~霜月さん(劇場版)~霜月課長(第三期)と私の中で出世魚のように呼び方が変わった次第。

そんな訳でレンタルリリースから鑑賞するまで暫く掛かった劇場版三部作。正直なことをぶっちゃけるとグロいだけで終わった第二期悪い意味での映画作品となった最初の劇場版の印象が強くて、なかなか手が出なかったのですが、公開時にブログにオススメのコメントを頂いていた通り、クッソ面白かったです。下半期のベスト3が、この三部作で独占されても俺は意外に思わん。第二期と最初の劇場版は何がマズかったって、近未来SFクライムサスペンスである以前に刑事ものであるという本作の大前提をガン無視して、小難しい設定を弄ったり、ムダに舞台を海外に設定してみたりして、第二期の霜月さんのようにグズグズになっていたのですが、今回の三部作(特に1と2)は刑事ものという本作の本質に原点回帰しているのですね。そのうえでSF設定や世界観を再構築しているのが好印象。

一作目の『罪と罰』。冒頭の霜月さんは『私の身を守るよりも潜在犯の執行を優先しろ』とギノさんに命令する程に潜在犯大嫌い人間なのですが、事件を通じて潜在犯にも守るべき市民がいることを理解していくのですね。シビュラシステムの選考があったとはいえ、霜月さんが監視官に就いた動機の一つは潜在犯に友人を惨殺された過去にある訳で、大事な人間を自らの生命を危険に曝しても守ろうとする夜坂泉の心意気に打たれるシーンはグッと来ました。

一方、冒頭で記したように烏丸にビンタを食らわせた霜月さんですが、その台詞からも判るように、彼女はシビュラシステム自体を否定している訳ではありません。朱さまやギノさんのように『必要悪を口実に真実をもみ消そうとしたことへの憤慨』ではなく、シビュラシステムの存在を危機に陥れそうになったことへの嫌悪感で、霜月さんはビンタを放ったといえます。この辺は同じ捜査課の監視官でも朱さまとのスタンスの違いが描き分けられていますね。『真実の追及』と『最大多数の最大幸福』のどちらを選ぶかという杉下VS官房長の対立構造に通じるものがあります。これも『刑事もの』のセオリーの一つであり、それを踏まえてくれているのが嬉しい。まぁ、完全に並列化されている筈のシビュラシステムの構成員である烏丸がリアルの身体で局長に会いにいく必要があったのかという疑問は残りますが、この辺は突っ込むのは野暮というものでしょう。

 

続いて、二作目の『First Guardian』は、のちの執行官・須郷徹平の視点で描かれる第一期の前日譚。不祥事の隠蔽を目論む組織の壁に挑む征陸のとっつぁんの伝説の名刑事ぶりを愛でる作品です。これが有本欽隆さんの遺作になろうとは……合掌。先述の『罪と罰』では征陸のとっつぁんを彷彿とさせる頼もしさを身につけていたギノさんが、第一期の常時ストレスマッハのヘタレギノに戻っていて草。中の人の演技スゲェ。それにしても、宜野座~沖縄~とっつぁんの嫁さんの実家とは恐れ入りました。ギノさんマッマも『ユーストレス欠乏性脳梗塞』であったのか。第一期最終回でとっつぁんがギノさんを『目元が俺そっくり』と語っていましたが、どう見ても母親似です。本当にありがとうございました。こちらも『罪と罰』に匹敵するクオリティでしたが、とっつぁんと共に物語の主軸になる須郷がね……いや、本人にはどうしようもないことと判っているのですが、どうしても、第二期で青柳さんを【リーサルエリミネーター】したことが今でも許せんのですよ。青柳さん、大好きなので……しかも、本作でも知らないこととはいえ、味方殺しをやらかしているしさぁ。とっつぁんが執行官へと誘った須郷が、当時同行していた青柳さんを【リーサルエリミネーター】するとか、ホント、のちの展開を知る人間には素直に喜べないんですよねぇ。

 

ラストは最初の劇場版後のコウちゃんを描いた『恩讐の彼方に』。これは最初の劇場版のエピローグ&アニメ第三期のプロローグの意味合いが強く、上記二作品よりは乗り切れず。花城フレデリカさんが只管エロイ&諸星すみれさんの演技が只管可愛いという印象しか残らなかった。特に主人公のコウちゃん。何、少年兵相手に無様晒しとるねんワレ。ギノさんや霜月さんに比べて、第一期の面影が欠片もない程のヘタレっぷりでした。生前の槙島がお前は成長がないなと評した通りになっとるやんけ……第三期での発奮を期待します。

 

 

3.『銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱編』感想(ネタバレ有)

 

ミュッケンベルガー「引退した自由な身ゆえ、敢えて一つ進言させてもらおう。事実を見ようともしない者たちを、あの男は一掃する気でいる」

 

映像化の際に優遇されることに定評のあるミュッケンベルガー。

 

原作本編では大した見せ場もなく退場&外伝でも石頭の上官という、同盟軍のパエッタ中将以下の扱いを受けているグレゴールさんですが、石黒版でも勇退の際に『パツキンの孺子は戦争の天才! はっきりわかんだね!』との言葉を残し、後任のラインハルトと階段ですれ違う名場面まで用意されていました。ノイエ版でも石黒版のジンクス通り、血気に逸る貴族連合の末路を予言する器量人として描かれていましたね。この人は何で映像化の際にスタッフに愛されるのか、理由を色々考えてみたのですが、ミュッケンベルガーはラインハルトの疑似父親の役割を担っているのですね。作中でアンネローゼが述べていたように、ラインハルトには精神的な意味での『父』がいなかった。姉を権門に売り渡した父はラインハルトにとって、侮蔑の対象であっても相剋の目標にはなり得ず、ラインハルトはその対象をゴールデンバイム王朝に求めざるを得なかった。そして、ルドルフの武人的な側面(武断性・強権性)を最も色濃く残したのがミュッケンベルガーであり、政戦両略の天才でありながらも、本質的には武人であるラインハルトは、自らの覇道を阻み、頭を抑え込もうとするミュッケンベルガーに無意識に打ち克つべき父親を投影していたのではないでしょうか。これは原作のニュアンスを分解・再構築する作業を要するアニメ化の際に多くのスタッフが同じ解釈に辿り着くのでしょう。そうであるからこそ、ミュッケンベルガーは優遇されるのかも知れません。実際、ラインハルトとミュッケンベルガーは結構似ているんですよね。ラインハルトはミュッケンベルガーが旗艦に母親の名前をつけたことをマザコンクソワロタと嘲弄していましたが、横で聞いていたキルヒアイスはシスコン乙と呆れていたに違いありません。似過ぎた者同士は憎みあう。はっきりわかんだね。

前置きが長くなりました。上映地域の都合で完全に諦めていた『星乱編』ですが、この度、友人の御厚意で鑑賞することが叶いました。本当にありがとうございます。劇場版は特に戦闘シーンのクオリティがいちいち高かった。単純に映像に迫力があるだけではなく、目で見て判るようになっているのですよ。石黒版ではイマイチ判りにくかったアムリッツァ会戦の推移が手に取るように理解出来る。同盟軍の後背を衝いたキルヒアイスが、何でヤン艦隊を挟んで前面にいるビッテンフェルトのフォローを命じられなければいけないのか、原作を読んでも石黒版を見てもピンとこなかったのですが、本作を見ると両者の位置関係が一目瞭然。こら、ラインハルトもそういう命令下すわな。他にもアルテナ会戦でのミッターマイヤーの動きや、レンテンベルク要塞での落とし穴といった具合に、原作や石黒版ではちょっとアレな場面も現在仕様の解釈で綺麗にリブートしてくれています。石黒版のオフレッサーの落とし穴はハマるほうがどうかしているレベルでしたので……。

 

一方、押しが足りないと思ったのはキャラクター関係。石黒版はストーリーのテンポや芝居の間がおかしくなるレベルで原作の台詞を可能なかぎり、ギッチギチに押し込んでいた(それはそれでどうかと思いました)ので、各キャラクターの人物像も伝わって来たのですが、ノイエ版はTVシーズンの頃から大事な台詞を一言欠くケースが多い。イゼルローン攻略直前のヤンの『人類が愚行の果てに石器時代からやり直すことになっても、それはそれでまた歴史さ』という、不良軍人のシェーンコップにさえこの人頭おかしいと思わせる台詞を挿れなかったのが悔やまれるのですが、星乱編でも同様の状況が結構ありました。例えば、少年兵の爆死事件を挙げて、和平の推進を唱えるジェシカに『帝国の侵略を受けたら平和も自由もない』と憤激する部下を、ビュコックが窘めるシーン。『人間が年齢の順に死んでゆくのが真っ当な社会だ。それを誰も指摘しなければ、問題は大きくなるばかり。彼女のような存在は社会には欠かせないのだ』と述べるのはいいのですが、本当に大事なのはそれに続く、

 

ビュコック「まあ、あんなに弁舌のたっしゃな女性を嫁さんにしようとは思わんがね」

 

なんですね。別に女性への偏見とかではなく、これは真面目な話をしたあとに照れ隠しをせずにはおれないビュコックの人柄を感じさせる台詞なんですよ。この台詞があるかないかで、ビュコックの印象が単なる良識派の軍人か、それとも、頑固爺の皮を被った懐の深い好々爺か分かれると思うのですが、この台詞は拾って欲しかった。石黒版では上記のシーン自体がなかったんじゃないかと思いますが、これは中途半端に入れるくらいなら、やらないという選択肢もアリという判断であったのかも。

それ以上に気になったのは捕虜交換式でイゼルローンに来たキルヒアイスに対するポプランのスカした野郎だという評価。これはハッキリとマイナスですね。キルヒアイスは初対面の相手でも好印象を抱かずにはいられない人物像がウリであり、シェーンコップと共に不良軍人の双璧であるポプランでさえも『ローエングラム侯には及ばない』という屈折した表現で容貌や人柄を認めざるを得ない点が大事なのですが、コーネフへの反発もあったとはいえ、露骨な嫌悪感を出してしまったのはキルヒアイスもポプランも両方ともキャラクター造型に失敗したと思います。銀英伝はストーリーと同等にキャラクターの逸話で物語が構成されているのですが、ノイエ版はストーリーに偏重するきらいがありますな。この分ではシェーンコップとポプランとA少尉とB曹長の関係とかやらなそう。あれ、最高に好きなのに。一応、初めての戦闘に衝撃を受けるユリアンの肩にそっと手を置いて気遣うフレデリカさんとか、ヤンをプラネタリウムデートに誘うシェーンコップとか、本作オリジナルのいいシーンもあるけれども、他に優先すべき情報があるよな。

とはいえ、全体としてはクオリティ高いし、純粋に面白いのも事実。キャスティングもなかなかのハマリ具合。第二章の三大ハマリ役は、

 

アンドリュー・フォーク・フォン・フレーゲル

ヒルデガルド・フォン・ポプテピピック

ジェイソン・ステイサム・フォン・メルカッツ

 

かな。フレーゲルは石黒版の印象が強かったので、どうなることかと思いましたが、最初の台詞を聞いた途端『これ、完全にフレーゲルやん!』と納得してしまいました。流石は古谷御大。ワルキューレに乗せたらラインハルト陣営に圧勝しそう(白い悪魔感)ざーさんヒルダはキュートの一言。先代はヒルダのオフィシャルとプライベートで明確に演技の線を引いておられましたが、ざーさんは敢えてテンションを大きく変えずに挑んでおられるようです。そして、メルカッツ……先代のヨブちゃんの急逝で山路さんの登板となった訳ですが、本当に素晴らしい役者さんに引き継いで頂けたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

与力「……徳井のシーンを視聴者に『配慮』して『編集』したんだよね?」

HK「ええと……そうだね」

与力「でも、今週の『いだてん』もいつもと変わらない面白さだったよね?」

「……そうだね」

与力「もひとつ質問いいかな?」

 

与力「本当に徳井のシーンを編集したのかな?」

 

NH「……君のような勘のいい視聴者(ガキ)は嫌いだよ」

 

『編集作業には限界があるから、そのまま黙って流せば楽』というショウ・タッカー的な禁断の発想を駆使したとしか思えないレベルのいつものクオリティを維持していた今週の『いだてん』。編集したうえで今回のクオリティを維持していたとしたら、その技術は目を見張るものがありますし、編集せずに放送していたとしたら、そのクソ度胸に恐れ入ってしまいます。或いは、

 

嘉納治五郎「これは極論なんだがね……そのまんま放送するっていうのはどうだろう? 徳井のシーンを編集せずに! そりゃあ、簡単にはいかない! BPOも一生懸命だ! だが! 番組の冒頭で『編集などで出来るだけ配慮します』という一文を出しておいたら、案外バレないじゃあないかなぁ?」

 

という彼岸からの治五郎電波を受信してしまったのかも知れませんが、何れにせよ、面白かったのでモウマンタイ。ピエールショックの時も今回も、事件の影響によるクオリティの低下はフォローしないつもりですが、編集に関するスタッフの判断は全面的に支持するつもりですので、今回の内容が編集されていようがいまいが、それは尊重します。実際、今週は冒頭から、

 

徳井ィ! ガッツリ映っとるやないかワレェ!

OPゥ! ジョジョみたいにSE入っとるやないかワレェ!

治五郎ォ! 声だけでトメクレにしがみついとるやないかワレェ!

徳井ィ! また普通に出とるやないかワレェ!

岩チン! 可児センセの後継者やないかワレェ!

治五郎ォ! 肖像画ズリ落ちとるやないかワレェ!

徳井ィ! 普通に三回も登場しとるやないかワレェ!

 

といった具合に『タイムリーな徳井ネタ』と『純然たる本編ネタ』が奇跡的に噛み合ったのか、物凄くテンポのいいコメディになりました(不謹慎)。『サンドイッチはパンよりも中のキュウリが一番美味しい。挟まれたほうがいい味を出す』というダー様の格言を思い出しましたよ。特に、

 

嘉納治五郎(声)「チッチッチッチッ、たーばーた!」

 

こんなん笑うに決まっているやろ! 反則や反則! 普通の大河でしたら、あの世の人間の声が聞こえるシチュエーションは感動かホラーのどちらかと相場が決まっていますが、まさかのコメディ……しかも、第6話の嘉納センセブチギレ~机ドン~肖像画ズリ落ちの天丼ネタを再利用するとは何とエコロジーな大河でしょう。マジで来年のオリンピックも見習え。

 

尤も、編集によるクオリティへのダメージは、即効性よりもボディブローのようにジワジワ効いてくる類なのも確かなので、引き続き予断を許さない状況が続くとは思います。これは総評で詳しく書こうと思っていますが、ピエールショックの時も直後の『百年の孤独』は本作屈指の神回であったものの、その後の第二クールは全体を通じて凡庸な出来が続いたので、油断は禁物。この手のダメージは後からくる。間違いない。しかも、今回は既に撮影スタッフをバラしているので、撮り直しが効かない点ではピエールショックよりも要注意かも知れません。

それと、今回のメインテーマと思しき、

 

田畑政治「国民のオリンピックと仰いましたな? 幹事長! おおいに結構! 大賛成! だったら渋滞何とかしてくれよ! 国民の生活、もっと豊かにしてくれよ!国民の一人一人がさ、俺のオリンピックだって思えるように盛りあげてくれよ、先生方! 功名心で組織委員会に名を連ね、記者が集まる公開討論にしか顔を出さん……そんな役立たずの役人や政治家は出て行ってくれ!」

 

の件。確かに物凄く心に響く台詞ではあったのですが、台詞の説得力の源泉が作品の内部よりも外的要因に依存しているように思いました。ぶっちゃけると来年のアレね。この期に及んでマラソンコースを津軽海峡の向こうにブン投げるという、神火リレーや木造競技場構想が可愛く思えるレベルのちゃぶ台返しを現在進行形でやらかしている真っ最中なので、この河童の台詞に共感した視聴者も多いと思います(私もその一人です)が、来年のアレの準備が恙なく進んでいたら、これほどに胸に刺さったか否か微妙。視聴者は2020年を通じて1964年を見ているのに対して、河童は1940年を念頭に1964年を語っているのですが、第3クールで1940年の返上に関する政治家の悪影響を充分に描き切れていなかったので、もしも、百年後くらいに今回のシーンを見る人がいたら、現在の我々ほどの感銘を受けないのではないかと思いました。まぁ、本作は2020年を1940年に仮託して描いているフシがあるので、そういう反応も織り込み済みかも知れません。

 

ちなみに上記のマラソンの会場変更に関して、と或るワイドショーの司会者が、

 

「東京だったら『雷門が見えてまいりました』とか『東京タワーが見えてきました』とか、いろいろ名所を言いながら実況できるわけですよ。これ、どう実況する?真っ直ぐで何もないトコ。『真っ青な空、緑の木々、風が吹いていました』、それ繰り返すしかない。東京だったら、いろいろ言えるんですけど」

 

などとコメンテーターが自身のボキャブラリーの貧弱さを認めるという実に奥ゆかしい発言を口にしておられましたが、この司会者が2020年の開催が決まった時に、

 

「国民全員で東京五輪の気運を盛りあげなければいけませんね!」

 

と宣っておられたことも私はしっかりと覚えています。ついでに私は『いだてん』のファンですが、オリンピックは毎回アテネでやればいい派であることをリンク先に記していた旨も改めて明言致します。『いだてん』視聴者が全員来年のオリンピックを支持していると思うのは、フェミニストが全員、件の献血ポスターに反対していると思うのと同じくらいにナンセンスやぞ。

 

 

 

 

 

3000円のパンケーキがうんたらかんたらというBC自由学園のモデルを連想した話題を契機に、真面目で清廉で使命感に満ちていても結果的に国を滅ぼした明の崇禎帝と、家臣イビリのついでにライチやら葡萄やらと美食のかぎりを尽くしながらも統治に成功した魏の文帝のどちらを支持するかという、政治上の永遠の命題を思索している最中に飛び込んで来た或る漫才コンビの片割れの報道。さて、何を語っていいものやら、この記事も落着点が見えないままに書くべきなのか悩んでいるところですが、何事もなかったかのように『今週も面白かったですねぇ』的な記事をUPする程に人間が出来ている自信はないので、胸にあるモヤモヤを勢いに任せて、キーボードに叩きつけようと思います。尚、この序文は三月の記事のコピー&ペーストを使用しておりません。

 

現時点で私が怒りを抱いている人物が三名います。

一人目は名前を記すまでもありません。冒頭でも述べたテレビや新聞やネットで騒がれている漫才コンビの片割れです。今回のニュースが誤報でもないかぎり、しっかりと国税局の指導に応じることを望みます。それ以外に掛ける言葉はありません……といいたいところですが、大河ドラマに加えて、シーズンオフの楽しみである『球辞苑』にも影響が及ぶのは5点リードからの5点ビハインドというどすこいの火だるまリリーフを見るよりも明らかであり、ある意味では先代のしくじりピエールよりも腹に据えかねています。常連ゲストの代走のスペシャリストと二人並べて、朝からパンツ一丁で弾劾を加えてやりたい。ホンマ、揃いも揃って何してくれてんねん。

尤も『ピエールショック』に慣らされた所為か、今回も『代役と再録で何とかしてくれるやろ』とタカを括っている自分がいるのも確かです。あの時も述べたように、

 

・今後の放送予定は局とスタッフと司法の判断を全面的に支持する。

・放送の継続を望むが、途中で中止になっても怨まない。

・感想記事も今まで通りのノリとイキオイで執筆する。

・スケジュールの遅延による作品のクオリティ低下を一切擁護しない。

 

という当方の方針は既に決まっているので、あらゆる最悪を想定しつつ、気楽に構えましょう。別に視聴者が責任を問われる話ではありませんからね。まぁ、創作と現実と視聴者層を結びつけたバッシング記事を書く輩が出るのは避けがたいと思いますが、それはそれで彼らの解釈の自由でしょう。それをけしからんと否定するのは二次元キャラクターの献血ポスターを性差別と誹謗するようなものです。何も言わずに隣に冴羽さんのもっこりポスターも並べて貼っておけばいいんじゃあないでしょうか(適当)

 

次に二人目。これは個人ではないというか、個人を特定出来ないというか、要するに当該人物のキャスティングに関わったスタッフ全員です。『ピエールショック』とかいう近年の大河ドラマ史上稀に見る醜聞に見舞われながら、半年も経たないうちに&しかも放送中に同じ過ちを繰り返す学習能力のなさは、何時まで経っても味噌汁にダシを入れない大森夫人の料理といい勝負と評さざるを得ません。お前の頭はピストル安仁子かよ。勿論、人間のやることに万全はあり得えませんし、ピエールショックの時には既に彼のキャスティングは内定していたのかも知れませんが、そこで今一度『クリーニング』を徹底しなかったことが今回の騒動に繋がったのも事実。結果論といってしまえばそれまでですが、この事案は結果論が全てです。その点は擁護しようがない。この根拠のない楽観主義&都合の悪い現実をガン無視してプロジェクトを進める姿勢は、第三部で描かれた幻の&現在進行形の東京オリンピックを巡る諸問題に通じるものがあります。折角、脚本家や演出家が知恵を絞って、オリンピックの生臭い要素を丁寧に毒抜きしてくれているも拘わらず、現実の政治や組織のほうが会場の変更とかノープランとかアクシデントとかスキャンダルとか、

 

悪い意味で作品にリアリティをつけようと擦り寄る

 

のはやめて欲しい。そういうのはいいから。本当にいらないから(切実)

 

そんな訳で久しぶりの『いだてん』の放送に先んじて、色々な意見が出る前にいいたいことを全部いっておきました。来月は大きなイベントが控えているので、余力を蓄えるためにも今週は本編の感想は書かない可能性が高いです、悪しからず……というか、本編はちゃんと放送されるんだよな? な?

 

あ、三人目は或る会社の従業員。自分たちの仕事が終わらないからといって、何でこっちの仕事をストップさせてまで手伝わせようとするのでしょうか。しかも、その言い草ときたら、

 

「そっちの仕事、私ならもっと早く終わるわよ」 

 

じゃあ、そのペースでそちらの仕事を早く終わらせたらいいんじゃないですかね。

 

 

そもそも、今回の仕事の割り振りを決めたのは貴方ですよね? こちらは何もいわずに受け入れて、貴方がその仕事に集中する時は必ずフォローを入れていたのに、今になって、

 

「こっちが何もいわなくても大変だと思って手伝ってくれるのが当たり前でしょ?」

 

ときたもんだ。俺らは単なる会社の同僚であって家事の分担で揉めている倦怠期の夫婦じゃないぞ。違うセクションの、しかも、役割分担が明文化されている仕事には指どころか、アホ毛一本動かすつもりはないわ。だいたい、分担されている業務に首を突っ込んだら、組織の命令系統が崩れるだろうが。

 

 

くどいようですが、全部伝え聞いた話です、念のため。