~ Literacy Bar ~

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ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、
時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

 

 

 

先月記事にした『翔ぶが如く』の第二部視聴後も継続中の大河リバイバルブーム。『翔ぶが如く』のあとの『花神』はしんどかったです。クオリティは問題ないとはいえ、流石に幕末大河二連荘はメンタルに響くよね。タダでさえ、幕末作品って真面目にやると陰惨な内容になるのに、西南戦争を見終えた直後に少し時代を遡って似たような内紛を見返すのは心が折れそうになりました。『徳川家康』はまだ序盤なのに初回からエゲツナイ程の情報量をマシマシで盛り込んで来て、こちらはこちらで気疲れしそう。当時のスタッフが『これで歴史系大河は終わりになるかも知れないから、やれることは全部やろう!』と張り切ったそうですが、程度ってモンがあると思う。でも、そのおかげで史実の予習や脳内の想像で補完する必要なしに登場人物の言動を筋道立てて理解出来るのは素晴らしいと思いました。近年の大河は面白さや判りやすさを優先するあまり、キャラクターの感情や思考の動きをキチンと表現出来ていないので。好悪は別として『ちゃんとした作品』とはこういうものを指すのかも知れません。

今になって大河リバイバルにハマっている理由を考えると、リアタイの『青天を衝け』に過剰な思い入れをしていないのが大きいかなぁ。『青天』は今では結構楽しんで見ておりますが、毎週記事を書きたいと思う程ではないのも確かです。昨年のセミリタイア宣言もありまして、一歩引いたところからのんびりと眺めている次第。でも、今週は久しぶりに思うところもあったので、当初予定していた記事の前にトライしてみましょう。今回の話題は2つ。まずは『青天を衝け』の簡易感想。

 

 

 

平岡やす「これを受け取るからには、アンタたちキッチリうちの人の家臣になるんだろうね? 家臣になり、一橋に忠誠を尽くして働き、アンタたちの殿を……うちの人をちゃ~~~んと守ってくれるんだろうね?」

渋沢喜作「…………」

渋沢栄一「ハイ、忠誠ヲ尽クシマス(棒)

 

 

涼しい表情で心にもない誓いの言葉を平然と口にする栄一さんマジサイコパスの極み。稼業のアガリを攘夷計画に流用していた息子へ『持ってけドロボー!』とばかりに追い銭を与えた市郞右衛門さんも浮かばれません(死んでない)。先週、長七郎の説得でおれはしょうきにもどった筈の栄一でしたが、今週の後半で早くも路銀を使い果たす&攘夷計画を記した手紙が幕府に見つかるという醜態のダブルコンボ。駄目だコイツ早く何とかしないと……史実とはいえ、否、史実であるからこそ、栄一の置かれた現状は洒落になりませんが、端から見ているとメチャクチャ笑えるんだよなぁ。ここを真面目に描くか、ギャグに落とし込むかで脚本家の力量とセンスが問われると思います。個人的にはギャグに落とし込んだ今回の作劇はアリ。円四郎の『へぇお待ち』もそうでしたが、私は本作のギャグシーンは概ねツボっているので、クオリティの優劣は別として、作劇のセンスには共鳴するものがあるように思います。前回&先述のおれはしょうきにもどった発言も最終回で漸く己の人生の過ちに気づいた尊氏君に比べたら可愛いものですからね。

さて、栄一の本格的な志士活動の始まった今週の『青天を衝け』。やはり全体的な政局描写の不足は否めないとはいえ、主人公視点の物語と割り切ると普通に面白かったです。遅れて来たポッと出の攘夷志士が京の都で先輩の浪士たちにいいように集られ、自身も浮かれてどんちゃん騒ぎを繰り返し、気がついたら路銀が底を尽いて二進も三進も行かなくなるという尊攘浪士あるあるネタをキッチリとやってくれました。勿論、冷静に見ると色々と疑問に思えるシーンも多く、例を挙げると栄一たちに集っていた連中が何藩の人間か非常に気になるのよね。ああも過激な言葉を口にする点から察するに九分九厘西国雄藩の脱藩者でしょうけれども、作中でもちょこっと触れられていたように八・十八政変の直後ですから、長州や土佐の連中は京都にいるだけで相当ヤバイ状況な筈なのに、どうにもそういった切羽詰まった感に欠ける印象は否めない。でも、栄一の目にはガラの悪い連中が酔ってつるんでクダを巻いて、彼らの唱えることは空理空論ばかりで、しかも、自分たちにはそれを反駁するだけの知識がなく、ズルズルと時間と路銀ばかりが浪費してゆく京都の現状が作中のように映ったという演出と思うと、彼らが何藩の人間かは重要ではないのかも知れません。あくまでも栄一視点の印象を第一に制作されている。この辺、戦国全体の政局や戦略よりも井伊谷の日常シーンを第一に撮られていた『おんな城主直虎』に通じるものがありますが、直虎が井伊谷に固定された定点カメラであるのに対して、本作は栄一の視線に同期したウェアラブルカメラの映像がメインでしょうかね。これで作劇すると普通は大して面白くもない映像にしかならないのですが、本作は栄一周辺の出来事の描写は非常にクオリティが高いので、納得してしまうところが悔しくもあり嬉しくもあり。

ただ、幕末ものは戦国以上に政局描写が重要な作品なので、一定量の情報をキープして欲しくもあります。この時期の水戸藩の動きとか、ちょっと掘り返すだけでエゲツナイお宝がゴロゴロ出てくるのに勿体ない。まぁ、水戸藩の内紛をガチで描くと視聴者のメンタルが死ぬので、控え目を心掛けているのかも知れませんが、今回の参与会議の件も『その中心にいたのは武力に勝る薩摩でした』の一言で片づけるのは惜しい。幕末の政局は様々な思想や政策が入り混じっているようで、実はシンプルな軍閥政治と見ることも出来るんですよ。その時々で京都に大軍を駐留させた藩の意見が通る。その辺は薩摩も会津も同じで、長州の意見が通らなくなったのは八・十八政変で京都に兵力を駐屯させる大義名分を失ったからに他なりません。恐らくは次回描かれるであろう、

 

徳川慶喜「酔って騒いで何が悪い! ジゴロー! ジゴロー!」

 

に代表される慶喜の突拍子もない言動の数々も、彼には背景となる固有の武力がないために奇計的な政治手段に出るしかなく、その発言が上滑りしてしまう事情がありました。慶喜に薩摩に伍する兵力があれば、二心殿とかいう不名誉な仇名をつけられることもなく、堂々と自らの政策を推進し得た筈で、そこは同情の余地がありますね。こうした諸勢力のパワーバランスの機微も描いて欲しいンゴねぇ……。

尚、この『都に武力を置いた者の意見が通る』という傾向は明治初頭にも引き継がれて、廃藩置県という一大改革も戊辰の勝者である薩摩の御親兵が首都で『逆らう者は叩き潰す』との姿勢を見せたから、大きな抵抗もなく遂行されました。逆に征韓論で大揉めに揉めたのは西郷という軍閥の首魁が政府の方針に異を唱えたからで、西郷下野直後に各地で士族の叛乱が頻発したのも西郷と共に薩摩の御親兵が大量辞職して、明治政府の武力が大幅に低下&地方への影響力が減衰したためです。征韓論で西郷が大久保のような政略的策謀を弄しなかったのも西郷が奇計を嫌ったからでも何でもなく、シンプルに『武力で脅せば、政府も譲歩するやろ』とタカを括っていたからでしょう。いや、別にそれが悪いという訳ではありません。当時はそれが当然の時代であったというだけのことです、念のため。

 

続いては当初予定していたガルパンの感想記事。

 

※ネタバレ記事ですので御注意下さい!

 

 

 

ミカ「うちには魔女がいるんだよ……白い魔女がね(ポロローン♪

 

軍 神 西 住 殿 不 覚 !※ネタバレ反転です

 

TVシリーズのVSプラウダ戦と同じく、戦車道の準決勝には魔物が棲んでいることを証明した冬季無限軌道杯。クセが強くてツボにハマったら強そうな雰囲気はあるものの、黒森峰やプラウダに比べると強豪感に欠ける継続高校とのバトルを如何に描くか、不安と期待を抱きながら見た『最終章第三話』でしたが、戦車戦にシモ・ヘイヘの再来という反則級のワイルドカードの前に軍神まさかの序盤轟沈。いや、流石にフラッグ車を庇うための捨身飼虎の窮余の一策としての被弾と思いますが、完全に出し抜かれたのも事実。ウサギさんチームは何のために偵察にいったのか。多分、アリサの失恋話を聞くのに夢中になっていたんやろうなぁ……継続の勝ちを予測していた紗希ちゃんはいわずと知れたアイゼナッハやし。ともあれ、事実上の総司令官を失った大洗は恰も魔術師退場後のヤン艦隊に等しい状態。絶対的エース西住殿の指揮を離れた大洗が烏合の衆と化すのか、はたまた次期主将候補の呼び越えも高いあずにゃんの奮戦 or お飾りの主将という汚名を返上するべく河嶋パイセンが覚醒するのか。個人的にはあずにゃんルート推しですが、ストーリー的には後者のほうが大洗のデタミネがハッキリするよね。ここでヒキとはやはり酷だ、残酷です。

内容的には前回から続く知波単戦に相当比重を置いてきましたね。『退却』の二文字を知った知波単の柔軟かつ獰猛な攻撃には西住殿ならずともいい意味で辟易しました。公式戦でここまで大洗を追い詰めたのは知波単が初めてではないでしょうか。しかも『退却』に加えて『機動力の駆使』と『一点集中砲火』を覚えた知波単……ヤン艦隊かな? 西住殿を仕留めれば事実上の勝ちと読み切り、あらゆる戦術を西住撃破という目的に投じたのもよかった。『将兵に常に具体的で明確な目標が提示せよ。さすれば兵士にとって将帥は神のように映る』とは海江田四郎の言葉だったかな。事実、先述のように継続高校も序盤でフラッグ車か西住を狙う作戦で来た訳ですから、知波単の戦術は正しかったといえるでしょう。まぁ、途中から西住撃破という手段が目的と化してしまい、それがために九分九厘確定していた勝利を逃してしまうのですが、

 

手段と目的の混同による敗北は現代にも引き継がれる知波単学園のモデルの国の御家芸

 

だからね、仕方ないね(遠い目)。知波単戦に関しては、あまりにも西住機の戦闘能力が強過ぎて、見ている時には『流石にチート過ぎやしないか』と多少白けなくもありませんでしたが、この圧倒的な強さを誇る軍神がいなくなったら大洗はどうなるのかという継続戦の展開に繋がったのでOK。知波単もそうであったように、そして、黒森峰ではエリカが自分の戦車道を見出したように、組織には変化の時が必ず訪れる。大洗も何時か必ず西住殿がいなくなる時が来る。その変化に備える試練としての、継続戦になるのではないかと思いました。ちなみに来場特典のフィルムはそのエリカ。えぇい、ハンバーグはいいハンバーグは! それよりもローズヒップを出せ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視聴前は三月に放送された『プロフェッショナル・庵野秀明SP』のディレクターズカット版と想像していたので、心の中では『勿体つけずに最初から完全版を流して欲しい』とか考えていましたが、豈謀らんや、同じ人物を取材して同じ映像で構成された作品とは思えない程に異なる印象を受けました、いい意味で。

身も蓋もない物言いをすると『プロフェッショナル』は、スケジュールが万策尽きる寸前なのに『納得がいかないから脚本を全部やり直す』という巨匠監督あるあるネタを筆頭に、トンデモない偏食家で肉が嫌いなのにサッポロポテトBBQ味は好きといった具合に『如何に庵野秀明が変人であるか』を強調することが目標で、煽情的なナレーションや庵野監督の知人へのインタビューも概ねそれを軸に構成されていたのに対して、今回の『さよなら全ての~』は全編ノーナレで視聴者に余計な先入観を持たせることなく、インタビューの内容も庵野監督の人柄の『強調』よりも『理解』に重きが置かれていたように思います。先述の全部やり直し&偏食家の件も、

 

樋口真嗣「食べるものだけじゃなく、作るものも全部同じように好き嫌いがある訳ですよ。嫌いなものは絶対要らないし、自分の作品に混入されるのも嫌な訳ですよ。ただ、やっぱり、ああじゃないこうじゃないっていう中で『こうだっ!』っていう風に……こうじゃないものの死屍累々とした屍が『本当はこうだった』という形を浮かびあがらせる訳よ。そのためには破片で満たさなければいけない」

 

というように好き嫌いへの拘りこそが創作意欲の源&『名作』の高みに到達するには累々たるボツネタを積みあげなければならないことが明かされていました。庵野監督は芸大在学時代からネタを考えている時に周囲(主に山賀博之)に『こういうオチはどうだろう?』と提案されても『それだけは避けたい』と容易に首を縦に振らなかったそうで、今回のドキュメンタリーでもスタッフの提案を『それじゃないのは判っている』と一蹴するシーンは誇張でも虚構でもない庵野監督の本質であることが窺えました。

尤も、本質を誇張したからといって、前回の『プロフェッショナル』がドキュメンタリー失格で、今回の『さよなら全ての~』が優れているという訳ではありません。これも庵野監督の芸大時代の同期である島本和彦センセが自身の作品で、

 

「あいつら、ものすごい時間ずーっとカメラ回しっぱなしですよ! で、自分がもともと欲しかったセリフとか変なセリフとか、うまくしゃべらせて切って繋いで、別人格とか平気で勝手に作っちゃいますからね!」

炎尾燃「ほう! それはクリエイティブな! でも、ドキュメンタリーだぞ?」

「ドキュメンタリーってのは! 実はそういうクリエイティブな『作品』なんです!」

 

と述べているように『嘘はつかないが、情報の取捨選択はするし、場合によっては切り貼りも辞さずに面白いモノを作りあげる』のがドキュメンタリーの一面であり、その辺は庵野監督も今回の取材の中で、

 

庵野秀明「ドキュメンタリーって『ある』ようで本当は『ない』から。結局使えるところだけ切り取る訳だし、その時点でドキュメンタリーという名のフィクション」

 

との見解を示していました。『プロフェッショナル』でも『さよなら全ての~』でも庵野監督が今回のドキュメンタリーの取材を受けた理由は商売のためとキッパリ断言していた訳で、映画が公開された直後に放送された『プロフェッショナル』のほうは、話題性を煽る意図も込めて誇張優先の構成を取材された側が受容した……というか、もっと積極的にディレクションにも参画したといったところでしょう。実際、両作品共に後半になるとアカラサマにカメラアングルが庵野テイストになっていましたので。そして、封切りから暫く時間が経過したので、素材にあまり手を入れていない状態の映像を出したというのが今回の作品と思われます。

繰り返すように前回の『プロフェッショナル』がドキュメンタリー失格で、今回の『さよなら全ての~』が優れているということはありません。純粋なエンターテインメントとしては前者のほうが明らかに面白かったというだけのことです。ただ、両作品を見比べることでTV番組、就中ドキュメンタリーというものの本質を一端でも垣間見られる気がしたのも事実であり、現今の情勢下の報道に関しても受け手側のリテラシーが重要になってくるとの思いを新たにした次第です。

あ、ちなみに『シン・エヴァ』の感想で触れた私に本作を紹介した友人も、私が記事をUPした時には既に映画を鑑賞していたそうです。感想を聞いてみるといい意味で息子の学芸会か卒業式かを見ている気分になったとのこと。どういう意味かと尋ねると見ている途中から、

 

「ほら、もう少しだ! もう少しで皆が納得出来るエンディングになる! 頑張れ! 頑張れ! そのまま! そのまま素直に落とせ! そうだ! そうだ! そのままいけ! よぉーしっ! よく出来た! よかった! おめでとう! よく頑張った! これで万々歳だ!」

 

ストーリーそっちのけで庵野監督本人を応援&祝福してしまったらしい。相変わらず物語を見る目が捻くれまくっていて最高に草でしたが、私の作品に対するレビューも大概、彼の影響を受けているからなぁ。そらぁ、こういうブログになるのも道理ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の記事で超簡易総評をUPした『花の乱』に続き、大河リバイバルのマイブームが止まらない今日この頃。先日、第一部を見終えたところです。主人公が藤原純友と出会ったところで視聴が止まっている『風と雲と虹と』とどちらを選ぶか迷いましたが、現役大河が幕末作品&栄一のパリ留学の件では確実に薩摩藩とのアレが描かれると思いまして、こちらをチョイスした次第。流石に本作では万博の件は触れていませんけれどもね。腰を据えて見るのはリアタイ放送時以来となった本作は『黄金の日日』が放送されている日曜早朝枠での再登板を期待する声も多いと思われますが、第一話の時点で、

 

①  薩摩弁がガチ過ぎて聞き取れない

②  大久保正助「ペルリが琉球の島にクレオパトラとかいう女の名前をつけただと! 何て穢らわしい!」

③  主人公の妹がのり【ピー!】

 

と主にコンプライアンス方面での再放送のハードルの高さを実感しました。一部伏せ字が伏せ字になっていないのは気にするな。私も気にしない。

さて、本作はリアタイで見た初めての幕末大河で思い入れが強いのですが、実は今までも&再視聴した現在も大河ドラマの私的ランキングでは意外と上位に食い込んでこない作品でもありました。その原因を探る意味も込めての今回の視聴でしたが、理由として思い当たったのは本作がいい意味でも悪い意味でも幕末維新大河の教科書的ポジションであるからでしょうか。

幕末とは人材やら思想やら政策やら兵器やら諸外国の思惑やらがぐちゃぐちゃに入り乱れる時代です。昨日までの攘夷論者がコロッと開国派に転向するとか、倒幕論者が前将軍を新政権の首班に推すような政策を提言するとか、攘夷を藩是とする筈の長州藩士がロンドンへの渡航前に留学費用を全て遊郭で使い果たすとか、自分を将軍後見職にヨイショしてくれていた相手に『中川宮、薩摩のカネで食うメシは旨いか?』と当て擦りの皮肉をブチかますとか、将兵に『余も大阪城を枕に討死する覚悟である!』と大見得を切った総大将がその夜のうちに城を脱出するとかいった逸話を視聴者に判りやすく伝えるには相当の力量が必要とされる訳ですが、しかし、幕末維新の基礎中の基礎である『当初は異人を残らず斬ると息巻いていた日本が如何なる経緯で開国を是とするに至るのか』『その反動で何が起きたのか』でさえ、キチンと描いた作品は意外と少ない。

その点で『翔ぶが如く』は朴訥とした薩摩隼人の西郷が島津斉彬を始めとする多くの人材と交わることで自らの思想と視野を広げてゆき、その西郷に感化された大久保は彼の不在時に誠忠組の同志から『裏切り者』『出世の亡者』と陰口を叩かれながらも三郎を軸に薩摩の藩論をまとめ、その過程で彼らが『真の攘夷とは目の前の異人を斬ることではなく、外国に負けない国力を身につけること』と認識するに至る紆余曲折を、中央政界の勢力図や諸外国の動静といった時代背景を絡めて非常に丁寧に描いています。凡百の作品でありがちな『攘夷の非を悟ったのは馬関戦争や薩英戦争で負けたから』とか『倒幕を目指すようになったのは龍馬や勝に説得されたから』とかいうテンプレ結論ありきで片づける飛躍や横着さがありません。逆にいうとそこまでやって初めて幕末維新系のドラマは漸く評価のスタート地点に立てると思います。要するに『翔ぶが如く』は私の中では、

 

幕末維新系大河ドラマの基準点

 

であって、ランキングの対象と認識していないのですよ。幕末維新系大河ドラマは最低でも本作レベルの情報量を保持して欲しいというのが私の切なる願いですが、残念なことに二十一世紀の幕末維新系大河ドラマは全て、この基準点に到達していないのが現状です。これは作品の好き嫌いやクオリティとは別の純粋な情報量の問題。そもそも、この『翔ぶが如く』も西郷や大久保が直接関与してないとはいえ八・十八政変をほぼほぼナレーションでスッ飛ばすという思い切ったことを仕出かしており、これも本作は基準点ではあっても合格点ではないと認識する要因となりました。ホンマ、八・十八政変スルーは今回見直してびっくりしましたわ。『西郷どん』も視聴時に何で八・十八政変をスルーしたのか気になっていましたが、ひょっとするとアレのスタッフは自分たちで幕末維新史を調べたのではなく、本作を安易にコピペ(≠リスペクト)しようとして馬脚を現したのではないかと邪推しております……というか、そう考えないと『八重の桜』以降の薩摩系大河ドラマで八・十八政変をスルーした理由の説明がつきません。大河ドラマ視聴者の中には十年以上も昔の作品は今の大河ドラマの批評の参考にはならないとの意見もあるようですが、とんでもありませんね。今の大河ドラマを分析するうえでも充分勉強になることが判りました。

 

そこで、ここからが本題なのですが、今週の『青天を衝け』は栄一視点の物語としては『一粒種の息子に先立たれたことで攘夷熱をぶり返す&新たに息子が授かったことで後顧の憂いなく、攘夷運動に専念出来る』という心情描写は非常にクオリティが高かったとはいえ、幕末の時代背景の根幹を為す政治情勢に関しては、

 

ナレーション「長州藩や薩摩藩はイギリスをはじめとする諸国の艦隊との戦いに敗れ、攘夷は無謀であることを知りました。京でも過激な攘夷を唱える公家や志士たちが突然追放され、事態は混沌としていました」

 

の一言で片づけるのは流石にどうかと思いました。大体、薩摩は負けていませんし、長州は外国に敗れたくせに全く攘夷熱が冷めませんでしたからね。事実認識としても問題アリ。『青天を衝け』は事前の予想を超える面白さがあり、三話目以降は毎週楽しみに見ている作品ですが、以前の感想でも述べたように大河ドラマというよりも『渋沢栄一物語』の域に留まっている印象を受けます。判りやすさと引き換えに大事な要素を斬り捨てるのではなく、判りにくいことを判りやすく伝える技量こそがプロの神髄ではないかと思う次第。まぁ、確かに難しいことを伝えようとしてつまらなくなるよりは単純な面白さのほうが重要とも思いますが、来週以降はサイタマーを離れた栄一が日本どころかパリにまで行動範囲を広げる訳で、今後は難しいことを伝える努力も大事になってくるよというお話です。

 

そうそう、八・十八政変以外にも改めて見直した『翔ぶが如く』は意外なことが多かった。まずは三郎こと島津久光。大抵の作品では先代・斉彬へのコンプレックスを拗らせた頑迷で因循な保守派の頭でっかちというイメージで、司馬さんの原作でも概ねそういう描かれ方をされており、私もリアタイ視聴時の記憶では怒ると怖い狭量な人物との印象が脳裏に焼きついていたのですが、今回見直すと稀代の英傑とはいかないまでも充分な器量を備えた名君として描かれていました。私は西郷よりも三郎のほうが好き(ひょっとしたら大久保よりも好き?)なのですが、本作の三郎はほぼほぼ私のイメージと重なっていたのが嬉しかった。西郷や大久保に騙されて神輿にされた印象あるけれども、史実の三郎は三郎なりの明確な政治ヴィジョンを持って主体的に動いているんだよな。本作では西郷と三郎は『不幸な出会いをした』というナレーションがありましたが、あれは初対面の主君相手にマジレス蛮族した西郷が八割悪いよね。残り二割は西郷に因果を含めておかなかった大久保の手落ち。つまり、三郎は無罪。しかも、面と向かってカッペと罵られたにも拘わらず、のちのち西郷の嫁取りまで周旋してやる三郎さんマジエンジェル。この時の三郎がま~たいい笑顔しているんだ。

次に有村俊斎。歴史上の人物では滅多に嫌いなタイプはいない私の中では例外に属する……要するに好きではない男で、作中でもロクでもないことしかやらかさない悪い意味でのトラブルメーカーですが、キャラクターとしては本当にいい味を出しているんだ。俊斎って頭は悪いし分別はないし愛嬌もないし反省はしないし憎めない奴でも何でもないんだけれども、何か羨ましいんだよな。周囲が蒙る被害や迷惑は半端ないのに本人は至って幸せそうな点でおめでたい奴と評するのが一番好適かも知れません。佐野史郎の有村俊斎って大河史上でも十指に入る神キャスティングだよね。サブキャラとしては長門裕之の鬼作左と双璧だと思う。この俊斎は絶対に大村益次郎を殺している。間違いない。

そして、大久保一蔵。こちらはメインキャラのキャスティングで大河史上五指に入る存在。五指が三指でも入るかも知れませんし、唯一人を選べといわれても彼になる可能性が高いでしょう。何が凄いって明治の大久保利通ではなく、幕末の大久保一蔵という原作でもほぼほぼ描かれていない&そもそも滅多に取りあげられない人物像を見事に演じきった点。髭生やす前の大久保がシックリくるとか本人以外あり得んやろ。ただ、今回見直すと意外とポンコツなところもあり、それはそれで可愛かったりします。薩英戦争で有名なスイカ売りに化けて英国艦に乗り込もうとする作戦。事前の軍議で格之助や俊斎や信吾や弥助が、

 

「スイカ売りに化けて船に斬り込もう!」

「でも、エゲレス人に日本語通じるか?」

「日本語が話せる通訳がいたから大丈夫だ!」

「でも、刀を下げていたら怪しまれない?」

「お前、いいところに気がついたな!」

「そうだ! 百姓に化けて懐剣を忍ばせておこう!」

「それ、いただき!」

 

と議論(?)する物凄い知能指数の低そうなシーンがあるのですが、直前に三郎に呼び出されて軍議を中座しなかったら大久保がこの作戦指示を出すことになっていたんですよね。流石に脚本家も大久保に言わせる訳にはいかないと思って、敢えて中座させたんやろうなぁ。あ、第二部は今夜から視聴予定です。