~ Literacy Bar ~

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ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、
時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

どうやら、今回が拙ブログの大河ドラマ記事の500本目に当たるようで、それなりに感慨も一入ではありますが、その記念すべき節目を『豊臣兄弟!』の感想に費やすのもモヤッとするので、作品自体は意識しつつも大河ドラマを取り巻く幾つかの案件について語ってみようと思います。取っ掛かりはこの話題。

 

 

 

 

何かとトラブル続きの今大会を象徴する出来事。この反応は充分に予想出来た筈なので、もうちょい何とかならなかったものかと思います。別段、秀吉の評価や国際政治云々の話ではなく、純粋に『接待』におけるホスト側の配慮の問題。特別審査員に馬主がいたら馬刺しは避けるという『美味しんぼ』の生肉対決と同じですね。まぁ、オーストリアも参加した大会でマリーさんを首チョンパしたパリ五輪の開幕式よりはマシだと思います、思えない?

とはいえ、この話から一足飛びに『大河ドラマで文禄・慶長の役をやらないから日本人は事の重大さに気づかないんだ』という私は歴史の授業で寝ていましたと告白したのも同然の妄言が出て来た時には流石にビビりました。私は大河で文禄・慶長の役を一年間ガッツリやって貰っても構わんのですよ。郭再祐とか李億祺とか好きな武将も多いし。ただ、取り上げた時点で内容関係なく左右両翼からイデオロギーで叩かれると判り切っている題材を、批判を承知でやれというのは無理な話。この件に関しては『大河でやらない』こと自体を批判しようとは思いません。いっそ、この騒動を機会に日本でも李氏朝鮮側の武将の知名度があがって、一挙に大河ドラマ化してくれたら嬉しいけど、残念ながら、このテの話はそうした建設的な方向へは進まず、

 

『そもそも残虐で猜疑心が強い秀吉は偉人と呼ぶに相応しいのか?』

『信長や秀吉のような虐●者・侵略者をアイコン化してよいのか?』

 

という治五郎おじさんも吃驚の極論まで出てくる始末。上記の理由で偉人化・アイコン化するなという方は是非、アレキサンダー大王、項羽、曹操、劉裕、楊堅、李世民、武照、リチャード獅子心王、源頼朝、チンギス汗、朱元璋、朱棣、ティムール、ナポレオンにも同じことを言って欲しい。勿論、彼等彼女等の地元で。特に『信長のような虐●者が金の像になって街一番の象徴として燦然と輝く岐阜』みたいな発言を目にした時は『ああ、こういう人間がポリコレの名の元に世界各地の偉人像を破却して回っているんだな』というクソデカ溜息で酸欠を起こしかけたものです。仮に私が『上杉謙信のような関東への出稼ぎ侵略者が銅像になって街一番の象徴として燦然と輝くJE市』と言われたら、謀叛の動きを示した家臣に『これは眼病の薬である』と偽って相手の目ン玉に一味唐辛子を振りかけた景勝と同じ衝動に駆られるでしょう、実行はしないけど。郷里の英雄に対する地元民の思いは、他の地方や、ポリコレという人工の光に目が眩んだ人間には見えない程に深く、重いもの。

 

 

尤も、謙信公は歴史上の人物の中では知名度の割に悪評が表面化していな……あ、いや、少ないので、現時点ではそうした心配をせずに済むのは幸いです。私の好きな歴史上の人物は足利尊氏、山川浩、郭再祐、曹丕、侯景、英宗(明)、キケロ、カミーユ・クローデル、カール14世ヨハン(ベルナドット)、ニルス・カタヤイネンと人格面でランキングをつけると山川がベスト3に入る偉人というよりは『チームびっくり人間』のようなメンツですが、そういうチョイスになるのは郷里の英雄の人気の高さへの『甘え』もあるのではないかと考えている今日この頃。地元の偉人が功罪相半ばする、或いは不当な悪名を背負わされているとしたら、歴史好きはその評判を糺さねばならないという使命感が先に来るでしょうし、自然、その感情は他の歴史上の人物に対する嗜好にも反映したでしょう。私個人の奇人変人好きは『謙信公人気』という親のゴンぶとのスネをカジりながら『腐った体制をブッ潰す!』と絶唱するボンボンのロックシンガーに近いものがあるようにも思います、思えない?

 

この辺で話を大河ドラマに戻すと『豊臣兄弟!』の賤ケ岳回での中川清秀、及び、小牧長久手の前哨戦での今川親子の扱いについて、一部ネットで結構な話題になったことがありました。

 

 

 

 

 

この件に関する私のスタンスは『前者の改変はアウトで後者の改変はセーフ』です。理由は単純明快で、前者は犬千代の権六に対する背信をマシに見せるためだけに瀬兵衛に史実とは真逆の汚名を着せたのに対して、後者は家康が秀吉との決戦を覚悟するに足る動機づけとして機能していたから。尤も、瀬兵衛に関しては山崎の戦い直後に浮かれていた秀吉に対して『もう天下人気取りか』と聞えよがしに皮肉った逸話が前フリにあれば、これはこれで面白くなったとも思います。要するに前者は準備不足でつまらなくて、後者は一話丸々使って面白かった。面白いか否かが全て。異論は認めます。

ただ、今回の事件の興味深い点は自治体が瀬兵衛の汚名返上に動いたことですね。実際、中川清秀が大河ドラマや歴史バラエティ番組に登場する機会は三英傑に比べると決して多くはなく、そこで史実に反するイメージが定着してしまうのは好ましくないという判断に至ったのも頷けます。関係者である地元自治体の抗議は正当なものでしょう。それが創作の制限にならない範囲においては。制作陣も陳情を受け止めつつも、それはそれとして面白いものを作って貰えればと思います。地元の偉人愛は踏まえたうえで、その先を目指す姿勢がないと良質な歴史創作は難しいでしょう。

一方、この騒動で目にした『子孫の反対があった創作箇所は取り下げるべき』という意見は、感情的には理解出来るものの、実に際どいところを掠めているとも思います。それこそ、前回の記事で触れた『開戦前夜』のようにガッツリと裁判沙汰になっているケースもありますが、創作である以上、どこかで割を食うキャラクターが出るのは避けられない訳で、抗議や陳情の域を越えた要求は、どうしても表現の自由とカチあってしまう。とはいえ、未だに『忠臣蔵』の所為で吉良上野介に悪人のイメージがつきまとう現状も上杉家の旧・御膝元のJE市民としては釈然としないのも確かです。

しかし、それでも、創作に対する『子孫カード』というのは禁じ手に近いとの疑問符が拭えないかなぁ。『豊臣兄弟!』の登場人物だけでも織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、浅井長政、明智光秀、細川忠興、蜂須賀小六の血を一身に受け継ぐ御方がおわすからね。創作は創作と割り切って受け止めるか、現在のイメージを塗り替える創作や研究で上書きするしかないんじゃあないかと思います。実際、この三ヵ月でファーティマやドレゲネやボラクチンやオゴタイに対する一部の日本人の認知度やイメージは確実に向上・変化した筈ですし……というか、こういう役割を果たすのが大河ドラマの筈ですが、今年は完全に『天幕のジャードゥーガル』にお株を奪われてしまいました。少なくとも、今年の大河ドラマで『魅力的な新しい羽柴秀長像』は微塵も描かれなかったよね。ホンマ、マジで反省しろ。

 

 

 

 

 

 

毎年恒例の開設記念日記事。16年間の御愛顧に改めて御礼申しあげます。とはいえ、ブログに関しては昨年の15周年で完全に一区切りというところですので、今年も例年以上にタダの徒然日記風に淡々と日々の思いを綴っていく予定。

 

まずは個人的なところから。昨年、ウチの現場猫が本部による謎の一本釣りで引き抜かれて以降、多忙ながらもメンタルの負担が激減して、ここ数年では比較的マシな職場環境を満喫しておりましたが、今年後半は更なる人手不足と勤務体制の激変により、再び相応の修羅場と化す予感。新しい環境に順応するまでは私生活で大きな動きは出来そうもないので、今年のオフ会は9割方開かない方向で行こうと思います。上京の可能性はありますが、現地の友人一人~二人と顔を合わせるくらいのササヤカなものになる予定。一つには昨年の上京前に起きた諸々のトラブルが結構なトラウマになっていて、再びオフ会主催の音頭を取れるまでには回復していないのもあるかも。流石に携帯故障・PC不調・手術宣告・自主隔離・警察沙汰の連続コンボはガチでグロかったので。まぁ、今年前半も、

 

旧知からの宗教勧誘

妖怪便器洗いとの遭遇

 

というなかなかの目に遭っていて、そのダメージが抜けていないのも原因。

『妖怪便器洗い』は遭遇した私自身、余りにも衝撃的な光景で未だに本当にあったことなのかと自分で自分の記憶を信じられない&読んだ人間の食欲を確実に失せさせる&詳しく書いたら身バレする話なので、ここでは伏せますが、もう一つのほうは井河アサギをゲーム画面から出してくれたら神様を信じてもいいという、信仰とVR技術を混同している私を宗教に勧誘した意図が判らず、非常に困惑しております。しかも、久しぶりに食事に行こうと誘い出して騙し討ち同然に見ず知らずの家に連れ込んで、茶菓子もそこそこにパンフレットを見せられてもなぁ。もうちょい『接待』というものを心掛けて欲しい。改宗とは来世の保険の見直し作業ですから、せめて、デカいパイオツのパツキンねーちゃんに『蓮華化生』とデコレートしたケーキを『あーん』して貰うくらいのオプションを期待してもバチは当たらないと思う。まぁ、本格的な話になりそうな時点で『あ、すんません、我が家の御宗旨は代々お西さんで私個人は不信心者なので、ホンマにすんません、これでドロンさせて頂きます』と早々に議論の舞台から降りて、平身低頭でそそくさと帰りました。取り敢えず、VR技術を磨いてからまたおいで。

そんな訳で今年中盤以降は例年以上に更新が滞りがちですが、それなりに建設的な理由もありまして、ここ十数年間温め続けたオリジナル女捜査官もののエロ小説とか、英宗で一区切りをつけた筈の歴史記事とか、色々なものをアウトプットしている最中。まぁ、エロ小説のほうは10000字以上書いているのに未だに誰一人脱がないどころか、ヒロインが売人のタ●キンを蹴り潰すシーンを描くのに夢中で一日一行進めばいいとことか、歴史記事のほうは男女共にフランス人の有力候補がいるのに書籍資料が殆ど入手出来ず、構想ばかりが徒に膨らんで中身がカラッポ状態とか、双方共に全く完成のメドが立っていませんので、どちらも数カ月で飽きて投げ出す可能性が濃厚ですが、暫くの間は更新が滞っていたら色々と察して頂けると幸いです。しかし、エロ小説って実際に書いてみると意外と照れずにやれるものやな。お清めエッチというトゥルーエンドを大前提としつつ、そこに至る過程を重視するニッチなジャンルなので、絶対に今の名前で発表する気はないけど。あと、誰とは言わんがジャン=バティスト、お前は功績の割に日本の書店で手に入る資料が少な過ぎる。ここまで人気がないとは思わなかったぞ。

 

 

さて、次はこの時期恒例の8・15前後の話題。

今年は大岩陵平の初優勝となった8・16のG1クライマックス。小川良成の外弟子を応援したいのはヤマヤマとはいえ、ウルフアロンと同じく、もうちょい身体を絞って欲しい。社長的には色々な意味で『絞れ』と言いにくいのかも知れませんが、パワーファイターの見た目でクラシカルなテクニシャン路線で行かれるとチグハグ感が拭えないというか……ファイプロのエディットで作るとすぐに呼吸が乱れるタイプよな。大体、フィニッシュホールドが事実上のヘッドロックというのは小川良成よりも小橋建太の路線じゃないのか。いや、流石の小橋も渕から取っていたくらいで、それ以降は殆どやらなかった筈。正直、その方向性はイバラの道やぞ。頑張れ。超頑張れ。

世間的な意味での8・15前後で気になったのは、

 

 

 

 

2025年下半期ベストにランクインした昨年放送のドラマ。劇場版として再編集されて公開されています。見に行ける人は行って。ドラマとして面白いから。地元? 当たり前のよーに上映するシアターがねーよ! どーせ『ガルパン』も『まどマギ』も新幹線で隣の県まで見に行くことになるんだろーよ! チケット代よりも交通費のほうが高くつくとか、本当に田舎は地獄だぜ。

ところで、本作と共に昨年放送された、

 

 

 

 

こちらもTV放送されたドラマに追加分を上乗せした劇場版が公開中。こちらは何故か地元でも上映されています。『八月の~』と逆にしろや。登場人物のお孫さんが『史実とちゃうやろ!』と訴訟を起こしたことでも話題になりましたね。私個人は昨年の本放送の時点で既に、

 

史実とかイデオロギーとか云々する以前に純粋に会議ドラマとしてクッソつまんねーんだよ!

 

と一刀両断しましたが、今回の劇場版の感想は好意的なものも多く、作品の評価は人それぞれだなぁとの思いを新たにした次第。その辺に異論反論オブジェクションをつける気は毛頭ありません。

ただ、本作を絶賛する界隈は政治や戦争について一家言も二家言もありそうな雰囲気を醸し出しておられる割に、今回の上映で初めて本作を知った方がおられたことが気にならなくもありません。勿論、純粋に視聴の都合が合わなかったケースもあるでしょうが、一般家庭向けのオーディオビジュアルにも『録画機能』という便利な装置がついて久しいこの御時世、私のように近現代戦アレルギー体質の人間でさえ事前にチェックしていた番組の本放送を、常日頃から他人のアンテナの低さを嘆いておられる方々がスルーしていたのは意外といえば意外ですね。知らないことは罪ではなく、知ることは万人に与えられた喜びとはいえ、たまには自身のアンテナの高さと角度を顧みるのも悪くないのではないでしょうか。

尤も、歴史創作に対するアンテナは多少なりとも気にかけていたつもりの私も、

 

 

この作品については同枠前季の『あかね噺』から惰性で録画を入れておいたレベルの、全くのノーマークでしたので、あまり他人のことをトヤカク論うのもどうかと思わないでもありません。兎に角、毎週毎週、

 

 

の連続で、今年の本放送が『アレ』で不足している大河ドラマの栄養素を、こちらで補給しているところです。

歴史劇では『主人公の負の側面を如何に切り抜けるか』が重要なファクターで、ド正面から悪行を描くか、已むに已まれぬ事情を創作で補うか、主人公が絶対正義と開き直るか、色々な方途があるのですが、どうやら、本作は主人公の行動原理を早々にパニッシュ&デストロイと定義した模様。正義派主人公では史実での失敗や悲劇をどう糊塗するかに相応の知恵を巡らせる必要があるのに対して、ハナから平和や体制の崩壊を望む主人公の場合は悪循環や惨劇は寧ろ望むところ。この点を鑑みても大河ドラマも今後は『風林火山』の初期勘助のようなパニッシャー路線の主人公をチョイスする意義は充分にあるんじゃあないかと思います。

ただ、パニッシャー路線では序盤のうちに主人公の復讐に感情移入させるに足る動機づけが重要になりまして、それは生半可なことでは難しいのですが、本作では初回1時間SPで第一話の安寧の日々~第二話の転落の日々の連続放送というボーナスステージを存分に使い切ることで、ガッチリと視聴者の心を鷲掴み。マジで初回SPは英断であったと思う。この辺、初回拡大SPを小一郎が侍を志す最初の契機になった信吉の首チョンパ騒動に使わなかった今年の大河ドラマのアレっぷりと比較してしまうわぁ……というか、信吉のことを覚えている視聴者、いる?

まぁ、それはさて置き、話を8・15近辺に戻すと『ジャードゥーガル』の原作者が某国擬人化漫画のファンであったことに『差別』とか『反省』とか難癖をつける界隈を見て戦前の跫がハッキリ聞こえる恐怖で涙と震えと吐き気が止まらない毎日です(棒)。描くどころか単純に読んだだけで何かやらかした訳でもなく、そもそも履修していた作品自体に何ら法的問題があった訳でもないのに弾劾を受けるとか、今の本邦はジョージ・オーウェルも真っ青の全体主義国家ですね。右も左も上も下も19世紀に逆戻りしているようで、私のような老荘的ノンポリには生きづらい社会になっていることを改めて実感した昭和101年でした。

 

 

最後は先項で触れた『ジャードゥーガル』以外も大豊作の今季アニメ&国民的漫画作品の劇場アニメの寸感をば。

 

 

 

 

見た目は可愛いが、液晶画面越しにも饐えたニコチン臭さがプンプンと漂ってくる獣人喫煙アニメ。ある意味で『ジャードゥーガル』と並ぶ今季の双璧と評してもいいと思います、思わない? いや、でも、本作が今季にアニメ化された意義はデカいよ。これと『ジャードゥーガル』が同時期に放送されている、それ自体が社会の多様性を象徴しているように思います、思えない? 一週間のうちに『世界史に暗躍する魔女の一代記』と『ウ●コに刺さった部分だけを切り取ってでもヤニに執着する末期的チェーンスモーカーの日常』が見られる世の中で本当によかったです、マジで。ただ、二話目以降は初回のキレッキレのテンションが維持出来ていない印象。一つには私が見たかったヤニ中ヤ●中アル中あるあるネタが影を潜めて、獣人たちのナンセンスギャクがメインになったので、そこのキレが合わないと『ん~』となってしまうのかな。ぶっちゃけ、第一話だけを見たら今季の覇権アニメと評していい出来でしたので。覇権といえば、

 

 

 

 

『ジャードゥーガル』がなければ私的今季覇権が約束されていた本作。いや、でも、充分に面白くて大満足しています。サビに入るところでタイトルロゴが出るOP映像は今季随一の出来ですね。肝心の『舞』に関する作画動画も善き。尤も、本作で一番グッと来たのは『主人公』でも『舞』でも『歴史』でもなく、父親の観阿弥。或る白拍子(CVみゆきち)の、窮死を目前にした鬼気迫る舞を見た鬼夜叉が、初めて舞を『善い』と思い、この舞をもっと見たいと願いますが、観阿弥が白拍子に相応の礼金を渡してしまい、彼女はフツーに戻ってしまう(といっても元々衰弱していたので、フとした弾みでコロッと逝ってしまう)。鬼夜叉は『あの白拍子はあそこまで追い込まれていたから私の心を打つ舞が出来たのだ!』と激高するのですが、観阿弥は『お前は芸人から芸を見せてもらったのだからカネを払うべきだ!』と息子を一喝&ボッコボコにするのよね。芸術関係にかぎらず、生命を削ることで生み出される創作を是とする風潮は存在するし、作り手が覚悟のうえで望むのであれば、それを一概に否定しませんが、受け手はそれを当たり前と思ってはいけない。

 

窮地に追い込まれた人間が生命と引き換えに捻り出す藝を是と見做すのは帝愛の鉄骨渡りと紙一重。

 

常に生命懸けを望み、望まれる環境では健全な藝は発展しないことを観阿弥は息子にカネと腕ずくで諭した訳で、とかく『死ぬ気でやれ』と無茶振りをしがちな漫画の主人公の父親とは思えない常識人ぶりに惚れ惚れしました。声は尊氏だけど。これ、地元だと直前まで『逃げ若』二期をやっているので、両方共本編に出てきたら混乱しそう。

〆は夏らしい映画を一つ。

 

 

 

 

新ドラの大長編リメイク最新作。実をいうと初めてリアルタイムで連載を読んだ大長編が『海底鬼岩城』でした。当然、劇場版で見たのも旧版が初めてで、非常に思い入れのある作品。先日、レンタルショップで見かけて反射的に手に取ってしまいました。

内容的には単純なリメイクというよりも、本当に初めて本作を見る人(主に子供)に向けて作り込まれた快作。常に海中を意識したフワッとしたキャラクターの動作、スタイリッシュにブラッシュアップされたバトルフィッシュや鉄騎隊に代表される画のカッコよさ、海底人サイドの事情にも踏み込んだ描写など、なかなかに巧緻で新鮮でした。実際、原作は『ジャイアンとスネ夫を助けた時点でどこでもドアで逃げればいいんじゃね?』とか『カメレオン帽子の中でバギーを走らせれば早いんじゃね?』とか結構ツッコミどころが多く、子供心にも『あれ? これ、こんなに苦戦する展開だっけ?』と思っていたので、その辺をキチッとフォローしていた本作に思わず、唸りながら膝を打ってしまいましたよ。一番ツボに入ったのはエルの『カビの生えた法律』という台詞が『牡蠣殻の生えた法律』に変わっていたこと。確かにこちらのほうが海底人らしいわ。あと、決戦でもドラえもん一行におんぶに抱っこではない海底人たちの作戦をキッチリと描き、バトルシーンはエルに比重を置くことで、子供が最前線に立つ不自然さを避けていましたね。原作ではヒラリマントしか与えられなかったスネ夫は流石にどうかと思ったので。

一方で意外というか、これは新規客向けを重視した構成だなと思ったのは、

 

バギーのしずかちゃんへの恋心が半分近くオミットされていたこと

 

でしょうか。恋心というよりものび太としずかちゃんへの友情に近い感情になっていたのが、既に形骸化している命令を遵守するポセイドンと、訳の判らないことをやってしまう『ニンゲン』に近づきたいバギーとの対比でしょうけど、バギーとしずかちゃんの関係は私が人生で初めて見た人間に恋をするコンピューターというSF王道シチュエーションなので、ここはガッチリとキープして欲しかった。声優も『ユニコーン』のハロの人で、やや女性寄りの声色なのも、ちょい気になった。男性声で旧劇場版オリジナルのオイル漏レデスを聞きたかった。

 

大河ドラマの感想? ないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

またしても何も知らない明智十兵衛さん。

 

あまりにもギャグの完成度が高かった安土城での家康饗応シーン。要潤の表情が『二度目のブンブン流し』に気づいた大泉洋か、或いは『お笑いウルトラクイズ』の人間性クイズでハメられた中堅芸人のリアクション過ぎて腹筋に候。それでも、ここまでは何とか声に出す笑いを堪えたのですが、

 

 

このシーンで深夜の録画視聴にも拘わらず、家族の迷惑を顧みずに大爆笑してしまった。フフフ、ダメだって、こんなの。言い訳の仕様がないレベルのプロレス技やんけ。織田信長のドロップキックが見られるのは『豊臣兄弟!』だけ! これを褒めていいことか否かの意見は分かれると思いますが、しかし、個人的には面白かったのでOKです。

いや、でも、冗談抜きで今回の本能寺の変『は』21世紀の大河ドラマで一番クオリティが高かったと思いますわ。織田信澄黒幕説という大河ドラマ……というか、既存の戦国ものでは初トライと思われる設定に相応の説得力を持たせた筋運びは賞賛に値します。何が凄いって、実行犯の十兵衛、教唆犯の信澄、被害者の信長の当事者三人が、

 

全員悪意だけで動いていない

 

ということ。思いッくそ巻き込まれただけの十兵衛は元より、信澄の動機も今後の展開を考えると唸らされるものがあるし、信長本人も(少なくとも信澄に対しては)一方的なパワハラ上司ではなく、謀叛人の子としては十二分に厚遇している訳で、それでも全員に引けない事情があったからこそ悲劇に到達してしまったの、ドラマとして見応えがあった。

また、饗応シーンの家康の動向もいいアクセントでした。一早く毒に感づくという『健康ヲタ家康』のイメージから逆算した展開もですが、常に胸中に毒を忍ばせて『身の破滅さえクリア出来れば、何時でもやれる』と思い込むことで、自分の無念や怨念を飼い馴らそうとする設定のリアリティよ。実際、私も似たようなシチュエーションで10年以上も怨みを制御していたのですよ。いや、流石に毒じゃないけど、法律の許す範囲で色々とアレしてコレして、ソイツが原因の不眠症で苦しむ時期に『ああ、俺、何時でもやれるんだ』と夜中にベッドで妄想して辛うじてメンタルを保っていた時期があったからね。

まぁ、個人的な話はさて置き、本能寺本編も迫力がありました。初手から種子島で応戦するオグリンに『おお、舘ひろしのアブ長オマージュ!』とグワッと心を鷲掴みにされ、殆ど束になって突き刺さる無数の矢の雨には『蜘蛛巣城の黒澤リスペクト!』と思わず拍手してしまいました。流石に十兵衛が出て来た時はやり過ぎ感が否めませんでしたが、これは信長が見た幻影と判ってホッとした。尺も充分でキッチリ腹を切るところまでやったからね。『敦盛』を舞わないのもアリ寄りのアリ。主人公が信長か十兵衛、または信澄であれば、理想的な本能寺の変であったと思います。

 

ただ、問題は皆さま御承知のように本作の主人公は信長でも十兵衛でも信澄でも秀吉でもなく、羽柴秀長なのよね。本能寺の変に至る描写や本編自体は非常に見応えがあったのですが、じゃあ、同時期に主人公兄弟がガッツリと関わっていた筈の高松城が、

 

開幕と同時に水に浮かんでいる

 

のは流石にどーかと思うんスよ。これ、信長が主人公でしたらアリですけど、その逆はダメよね。干し殺し・餓え殺し・水殺しの秀吉中国殺し三段活用全部から逃げてはイカンでしょ。一応、中国大返しの伏線になりそうという前提を踏まえたとしても、この時期の小一郎が安土城近辺をウロついているのはフツーに引く。まぁ、世の中には本能寺に主君を討ちにいく秀吉や、それに対して『愛よ』と答える信長も存在するので、この辺は来週以降の展開次第として評価は保留するとしても、他にも小一郎関係では信長に『兄貴に死んで欲しいと思ったことある?』というクエスチョンに対して『しょっちゅうあるで!』と答えるシーンの残念ポイントの一つ。

いや、ここ、凄く惜しいんですよ。信長の、信澄に対する負い目や呪いを主人公が解いてやる展開自体は非常にエモいシチュエーションですけど、問題は小一郎が兄貴を殺したいとしょっちゅう思うほど藤吉郎にコキ使われていないことなのよね。それこそ、信長と義昭の間で板挟みになって、心身共にボロボロになって、ちょっと義昭に背中を押して欲しかっただけなのに、恐らくは『もう俺には関わるなよ』と好意で突き離されてしまったがため、逆に謀叛ゲェジをブッチぎってしまった十兵衛くらいの苦悩が描かれていないと、このシーンの説得力が皆無なんですよ。

 

 

見ろよ、このメチャクチャ美味いうどんのダシが出そうな表情。

 

この極上のカツオ節を思わせる十兵衛の表情から滲み出るグルタミン酸に比べたら、小一郎は見てくれがカツオ節に思えるだけのタダの生木を煮た汁なんですよ。圧倒的に理不尽な境遇に置かれたキャラクターの、煮込んで絞って叩いて滲み出る感情こそが視聴者の共感を生むダシだというのに、小一郎は三流ラノベの転生主人公のような薄っぺらい悩みしかないから、そこから取れるダシも薄っぺらい味にならざるを得ないのよね。

それこそ、今回の信長・信澄・十兵衛のように、制作陣はやろうと思えば、キチンとダシが取れる力量があるにも拘わらず、主人公兄弟に関しては全く旨味成分を抽出出来ないのは羽柴秀長という人物に殆ど思い入れがないからでしょう。要するに『信長公記』と『太閤記』を書きたかっただけで、小一郎は名目に過ぎないのではないかと思います。

 

後半、通常通りに厳しめのレビューになりましたが、繰り返すように今回は21世紀の大河ドラマでは最も面白い本能寺の変になったと思います。ただ、そうであるからこそ、最初から信長や秀吉を主人公にした作品を見たかったという思いも禁じ得ません。総評で『どうする家康』はタイトル設定に答えられなかった作品と評したことがありますが、本作は主人公設定に答える気がなかった作品ということになりそうです。

繰り返すように今回は21世紀の大河ドラマでは最も面白い本能寺の変になったと思います。大事なことなので3回書きました。