結局、俺は馬場イズムの信奉者なんですよ | ~ Literacy Bar ~

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ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、
時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

『どうする家康』の簡易総評の執筆が佳境を迎えている今日この頃ですが、時事ネタは早目にいっちょ噛みしておくに越したことはないので、軽く触れておくことにします。代わりに来週の更新はお休みの予定。話題の枕はこれ。

 

 

 

 

 

 

先月の名古屋遠征の往復で読んだ書籍。共に下半期ベストの候補作のため、詳細な感想は控えるとして、本文で結構印象に残ったのは『証言 橋本真也』の現福岡市長・高島宗一郎氏の、

 

「私たち、テレ朝の実況アナウンサー陣というのは、過去から現在までも試合展開とか、今後の流れだとか、いわんや当日の勝敗に関わることなども含めて、一度たりとも事前に聞いたことはありません」

 

という証言。試合と視聴者の橋渡しを務めるポジションの実況アナウンサーが、事前にブックやアングルを知っていたら会場にいるファンの熱気や興奮とシンクロ出来ないので、妥当な対応と思いますが、裏を返すとプロレスにはブックがあることが話の前提にあるとも取れます。別に今更プロレスのヤオガチ論争をやらかす気は毛頭なく、プロレスのブックの存在を批判するのは大槻ケンジ氏の言葉を借りると『ゴジラに向かってぬいぐるみと叫ぶ』ようなものであり、誰もが本質を承知しているけれども、敢えて突っ込まないことで業界全体が滞りなく回っている事象が存在するのは、オトナの世界には幾らでも例があることでしょう。違法性がないかぎり、相手の痛い腹を探るのは無知で無邪気で無分別なマセガキのやることです。

 

 

日本のプロレス界に真剣勝負&最強幻想を持ち込んだ実質的な人物はアントニオ猪木ですが、後年は兎も角、当時のアントンが自身の理論を心底信じていたは些かならずとも疑問であり、身も蓋もない物言いをするとショーマンプロレスの日本人最大の成功者にしてアメプロ輸入の総元締めであるジャイアント馬場との路線の差別化を迫られて打ち出した苦肉のビジネス方針であったことは、ほぼほぼプロレスファンの一致する見解です。プロレスに対する世間の『八百長』という視線を跳ね除けるために馬場は戦勝国アメリカでの成功を、アントンは真剣勝負のフレーズを掲げたともいえるでしょう。アントンは自らの路線をアピールするためにモハメド・アリとの異種格闘技戦を筆頭に幾度かセメントマッチを行い、そのビジネス方針(≠理想)は道場でのスパーリング技術を売りにした『UWF』へと引き継がれました。新日本プロレスは武藤、蝶野を中核としたエンタメ路線に回帰したものの、UWFの後継団体の一つ『Uインター』をツブす(実情はUインターが自身の団体の解散資金を得るためにブックを飲んだ)ことで、形式上はUWFに引き継がれていたプロレス真剣勝負&最強幻想を改めて取り込んだといえます。

尤も、この騒動と同時期に世界ではグレイシー柔術を台風の目としたヴァーリ・トゥード(≒総合格闘技)旋風が吹き荒れており、総合格闘技に出場したプロレスラーがグレイシー柔術を筆頭とした他流アスリートに、赤子の手を苦もなくリストクラッチされる現象が頻出。プロレス真剣勝負&最強幻想を掲げる日本のプロレス界はイデオロギー上の危機に瀕していました。

 

この現象に馬場は無関心でした。少なくとも、表面上は無関心を貫きました。奇しくも馬場とはイデオロギー上は対極にあったUWFの嘗ての旗手・前田日明がプロレスはスタントマンのメロドラマと評したように、プロレスラーの役割は自身に与えられた役割をこなすことにあって強さを競うものではないと認識していたからです。ただし、流石に三沢、川田といった馬場の団体の若手は危機感を抱いたものと思われます。興味深いのは彼らはセメントのスキルを磨くのではなく、ハードヒットの打撃や頭から真っ逆さまにマットへ突き刺す垂直落下式の技を多用する所謂『四天王プロレス』で、スタントマンのメロドラマを極限まで追求したこと。『例えブックでもこんな技を食らい続けたらタダでは済まない』という生物学的な見地でヤオガチ論争を封じると同時に、総合格闘技との更なる差別化を図りました。『四天王プロレス』は最終的に三沢自身のリング禍という悲劇的結末を迎えましたが、彼らの思想は技のインフレを抑制された形で温存され、現在の日本マット界の主流となっています。三沢の理想は団体の垣根を越えた、謂わば風媒花として根づいたといえるでしょう。

 

その後、日本のプロレス界の真剣勝負&最強幻想はUインター出身の桜庭和志がホイス・グレイシーを107分に及ぶセメントマッチで撃破したことで一応の面目を保ちました。高田や船木といった桜庭の『先輩』を破り、グレイシー最強と謳われたヒクソンとの対決は遂に実現しなかったものの、総合格闘技旋風の嚆矢にしてグレイシー柔術の一番槍を務めたホイスを完封したことでプロレスファンは最強論争から解放されたのです。のちに中邑真輔がアレクセイ・イグナショフを『PRIDE』で破ったとはいえ、プロレス史上における桜庭ほどのインパクトに乏しいのは、別に中邑が役者不足というワケではなく、既に桜庭の勝利でプロレスがリアルファイトで為すべき証明は終わっていたからでしょう。ただし、純プロレスとの二足の草鞋を履く中邑のセメントマッチでの勝利が桜庭の証明に更なる補強を加えたのも事実です。そして、真剣勝負&最強幻想を掲げるアントンの手を離れた新日本プロレスは、棚橋弘至やオカダ・カズチカを主力に、既存のストロングスタイルをベースに四天王プロレスと古き善きアメリカンプロレス、更にルチャ・リブレのムーブを取り入れたハイブリッドな現代路線に移行します。

 

ざっと日本マット界の流れを掻い摘んで紹介して参りましたが、アントンの新日本プロレスの旗揚げ(1971年)から桜庭和志のホイス・グレイシー撃破(2000年)まで、およそ30年が経過しています。言い換えると、

 

日本のプロレスが真剣勝負&最強論争から解放されるまでに30年もかかった

 

のです。

 

 

そこで、先日の女性議員の『プロレス』発言ですが、私個人はアングルやブック前提のやり取りの比喩として『プロレス』という言葉を用いるのは間違いではないと思います。寧ろ、先達たちが30年の長きに渡り、文字通り血と汗と涙と生命と引き換えに漸く封印したプロレスのヤオガチ論という名のパンドラの箱に業界最大手が迂闊に手を触れたら、それこそアントンの言葉のように今後も『いつ何時、誰のプロレス発言にも噛みつかなくてはならなくなる』うえ、ヘタをするとプロレスヤオガチ&最強論争が再燃した挙句、業界が事態の鎮静化のためにまたぞろ混沌の30年を費やすハメに陥るような気がします。他者を貶めるために自分たちの生業や趣味を利用された業腹は理解出来るとしても、発言に関しては生暖かい目で見ないフリするのが無難な対応ではなかったのかと思えなくもありません。それこそ、某事務所のように過去の問題が放火の対象になる御時勢、逆怨みでコンプラなどなかった時代の業界のアレコレを蒸し返されなきゃいいけどと他人事ながら心配している次第。

発言者に対しては過去の言動を思うと積極的にフォローや慰めの言葉を並べる気にはなれないとだけ申しあげておきましょう。彼女を擁護するために現・石川県知事の直近の失言を並び立てる連中もおるけど、プロレスラーとしても政治家としてもアントンに比べたら馳ピーは聖人クラスやからな、マジで。