真の分かち合いと共有はワの中に |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

 

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ご訪問ありがとうございます 🌟
 

一昨日の記事に、一部、加筆を致しました。

書こうと思っていた土星と天王星についての記述が抜けていました。

 

あと、11月の12星座占いは作成が遅れております。

明日になると思われます。

 

 
一昨日、面白い空模様の中、新月からちょっと経過した、うっすい三日月が夕方の空に見えました。

 

 

明けて、昨日の朝。

 

 
そして、今朝の日の出。

 

 

これは、時々お出ししている歩道橋上からのショットですが、いよいよこの位置からも、蟻峰山の山頂に日の出が近づいてきました。

 

 

真に共有する、ということ

 

よく、親の背中を見て子は育つとか、いいますよね。

 

これはある意味、真実だろうと思います。

問題はどんな背中か、というだけで。(笑)

うちなんか、背中じゃなくて後頭部のハゲを見ているかも知れませんが。(笑)

 

いやいや。

要するに生き様、ということですよね。

生き様、なんていうと、激しい印象がありますが、普通に穏やかに生きるのも生き様ですから。

 

子どものホロスコープには、子から見た親の情報があります。

それは、親の背中を見ている情報、ということにもなるのでしょう。

 

この親子関係というのは、しばしば、「上」と「下」の関係に取り違えられます。

つまり親が上で、子が下。

 

この意識は人類的にすっっっごく根深いもので、親は子のことを支配したがるし、子の上位に立ちたがる。マウントを取るというか。

私にも、そういった意識はゼロじゃない。

どこかに、かならずある。

 

ですが、もともと私は子を一人の存在として認める、という意識がかなり強く、ある意味で、ちょっと突き放しているところがあります。

そういう部分が、娘や息子からしたら、「もっと関われや、オイ!」みたいな気持ちにさせるところはあるかもしれません。

 

でも……

できないんですよね。

 

私は、〝人の迷惑にならないように好きに生きろ〟という考えで、ある程度の迷惑は親である私たちがひっかぶっても良いが、

独立した人間として、今生、頑張ってね~~!!

という考えなのです。

 

こうなって欲しいとか、そういうのもありません。

子どもたちの人生を、自分の思惑でコントロールしようなどと、夢にも思いません。

むしろ、コントロールなど「気持ち悪い」としか思いません。

 

願うのは、人様のご迷惑にならぬこと、のみです。

 

だから、極端な話、さっさと独立してくれたらいいのに……

くらいに思っているのですが、そういうふうに思っているからなのかどうか……

 

なかなか独立しない!!(二人とも)

 

……困ったもんだ。(笑)

 

でもまあ、やがて私たち親はこの世を去りますし。

そうなったら、嫌でも自立でしょうし。

 

こういう私という人間の親情報が、子どもには刻まれていくわけです。

(あまり親の影響を受けない子もいる)

親子の場合、これは、どのような形であれ、否応なく起ってきます。

(時には「拒絶」「否定」みたいな傾向になる子もいますけど)

 

 

ただ、このような関係性は親子以外でも起きえます。

起きえるというか、普通にあります。

 

上司と部下、先輩と後輩、師匠と弟子……

いくらでもあります。

 

「ガイアの法則」や「0フォース」(著:千賀一生氏)には、重要な示唆やその根拠となるものが示されていますが。

じつは、こういった関係性も、上下とか、あるいは「教える側」「教えられる側」といった二元的な構造ではなく、融和的な関係性へと変化していくことが述べられています。

 

「ガイアの法則」を拝読して以来、もう何年も、

 

う~~~~ん、どうしたらいいのだろうか?

 

と、漠然とした悩みを抱えています。

というのは、占星術講座などがわかりやすいのですが、

この講座の中で、私は先生であり、受講される方は生徒なのです。

 

講座だけに限定されず、私はなぜか、これまでの人生で「教える側」に立ちやすいという傾向がありました。

前にもブログで書いたことがありますが、すでに高校時代、同級生に〝教えて〟いました(半ば担任にやらされていたのですが)。

 

これは作家になった後もそうですし、占星術研究家としても同様なのですが。

 

知識の伝授というのは、どうしてもそうした二元的な対極構造になりやすい。

伝える側と受け取る側です。

 

わかりやすく図で示すと、こうなる。

 

 

紫が教える側。

青が受け取る側。

教壇に立つ先生と、講堂に並ぶ生徒みたいな構造で、これは基本的に教師からの一方通行的な側面が強いし、

かりにゼミとか、なにかディスカッションする場であっても、この基本構造は維持されます。

 

しかし、「ガイアの法則」には〝円〟というのがキイワードとしてあり、真の伝授というのは、なにげない日常の中で、自然と親や上の世代から受け継がれ、言葉とかいうよりも、体験として共有されていく、というのがあるのです。

 

その形が結構、重要らしい。

円です。

ワ=輪=和です。

 

縄文時代の集落の〝円形集落〟では、殺されたような遺体(骨)が出土しない、という実証的な根拠もあるようです。
 
つまり、〝ワ〟となっていた集落では、長老たちの生き様、智恵といったものが、自然に子や孫らに自然に伝授されていた。
背中を見る、というのではない。
円で向き合っているので、対向関係ではなく、循環の中で通じ合っていた。
 
 
この〝円〟の構造には上下がないのです。
紫が村の長老的な存在だとすれば、その長老の持つ知恵とか経験は、この円の構造の中で循環し、共有されるようになる。
 
中年世代も青年世代も、その子や孫たちも、このワの中で自然と体得していく。
下の世代は長老や上の世代が身に付けているものを見て覚え、そしてワの中で自分のものとしていく。
 
そこには上下もない。
ただ存在の共鳴がある。
 
自然に伝わり、共有される。
 
これが〝真の教育〟だとは思うのですが、なかなか大学の講義でそれをやろうとしても難しいし、占星術講座でもそれは同じ。
 
これは双方の意識の持ち方が、そもそも問題となります。
伝授する側が〝教えてやるんだ〟とか考えていたらもう「自分が上だ」と考えているわけで、
受け取る側も、先生から〝教えてもらうんだ〟とか考えていたら、自分を下に落としているのと同じです。
 
まあ、私の場合、そんな上から目線で大学の講義もしていなかったし、占星術講座も自分の持てるものと分かち合うというのがそもそもの動機。
だいたい大学の講義も楽しかったんですよ。生徒さんたちと接することは。
占星術講座もまた、楽しい。
楽しくやってきたわけです。
 
ただ、自分がそういうコンディションであっても、受け取る側の意識が、今までの常識のままだったら、一方通行、二元的な構造はなにも変わらない。
 
今はもう大学の仕事はないのですが。
占星術やタロット講座で、より縄文的な共有を実現するためには、どうしたらよいのか。
キャラ崩壊したら良いのか?(笑)
 
いやいや、そんな問題じゃないでしょ。
という気がします。
 
じつは、こういう二元構造ではなく、円の融合構造に一番近かったのは、1期の講座だったようにも感じます。
みんな、それぞれ好き勝手に発言したりして、やや混沌としながら、でも、そのカオスが、実際には最終的には本質的な伝授になっていたとか……
1期2期頃は、こういう傾向があった。
 
今、11期が不思議と1期の状態に近いというのは、なんだか10年が巡り巡って面白いのですが。
 
ただ、それでももちろん、縄文的な共有には至らない。
これは、なかなかに難しい課題ですよ。
 
それには、やはり〝場〟が必要なのかも知れない。
 
ネット上の情報交換だけでは、不十分なのだろう。
中身の人間として、ワとなれる〝場〟がないとうまく行かないのかも知れない。
 
由加の旧宅なら、それも可能になるかも知れないけれど……
さて?
 

 

 

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