法則と意志・選択は別 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨日の記事の補足で、ちょっとだけ。

 

男女のホロスコープの中で、月と太陽がそれぞれの配偶者を表示したり、親を表示するようになっているのはなぜなのか。

それはこの世に生まれること自体が、現世でしかできない出会いや分かち合いをするため、というのが、昨日の記事の主旨でした。

 

ホロスコープというのは、本人が認識する世界なので、自分のことだけが表現されているわけではありません。

配偶者や親はもちろん、兄弟姉妹やおじおばといった存在も、表現する箇所があります。

 

ホロスコープっていうのは、そもそもいろんな関係性がいっぱいちりばめられているんですよね、もともと。

 

だから、これは配偶者に限った話でも何でもない。

ただ、やはりパートナーとなる人物との分かち合いというのは、とても大きいので、昨日の記事がわかりやすいかなと思った次第。

 

そして、お伝えしたかったのは、太陽や月に配偶者の情報がすでに含まれているような定理・法則が存在する理由を語りたかっただけ。

 

誤解して欲しくないのは、こういった法則が存在することと、ご本人がどう生きるかというのは、まったく別問題です。

水が高いところから低いところに流れるのは、一般的な法則です。

リンゴが木から落ちるのも一般法則。

 

そこには善し悪しなどありません。

ただ、人の魂はどんな水の流れを選択するかくらいはできるはず。

 

太陽や月の情報を他人と分かち合うことが学びとして、今回の人生の予定に組み込んでいる人もいらっしゃる。

こういうケースでは、たいてい結婚されるわけです。

 

でも、今回は独りで強く生きることを学びとしている人もいらっしゃるわけで、あえて結婚を選択しない水の流れを選んでいるケースだってあるわけです。

結婚したとしても相手に頼らない、みたいなカリキュラムだってあるでしょう。

 

相手に渡している天体を自分のほうへ取り戻し、自分で使いたいと思うのも同様です。

女性はとくに太陽情報を配偶者に渡してしまっている傾向が、まま見られます。相手との間にいろいろあって、「自立したい!」と強く思うようになることがあるとしても、それもまた自分の太陽の使い道の一つです。

 

 

かりに配偶者との間に太陽や月の情報共有がない場合、それらが持つ傾向は自分が多くを使えるわけで、そこには実際には損も得もない。

今回はそういう体験をしたかったか、しなければならなかったか。

その上で、自分がその太陽や月をどう使っていくか、というのは、本人に与えられた自由だし、権利だし、責任だということ。

 

でも。

申し上げましたように、親はそもそも人生のスタートから存在していて排除できませんし、私たちの周囲には他の親戚や友人、師、職場の人間なども含め、絶対に認識する相手、情報共有する相手がいます。

こういったものは、まずゼロにはできない。

 

だから、どのような人もかならず、誰かと分かち合っているはずなのです。

分かち合いの中には、厳しいことや辛いことも含まれますが、当然、喜びもあります。

でも、そういう大きな法則性の中で、やはりどの水の流れに入るのかというのは、本人に与えられた自由です。

 

どのルートであっても、人はそれぞれに無数の選択肢があるし、いろいろ変更も利くはず。

 

法則が存在することと、人の意志や選択、それに基づいた「行い」はまた別であることを、ちょっと追記しておきたかったのです。

 

これにて! (^^)/

 

 

 

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