親友の母がこの世を去る |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

親友のお母様が他界された。

 

……私には「親友」と呼べる人間がひとりだけ存在しています。

 

ひとりだけ?と思われるかも知れませんが、

たぶん、親友という存在認定の基準がすごく厳しいんだと思います。

 

普通の感覚だと、もっと親友認定の間口が広いんじゃないかな。

 

たとえば講座の生徒さんたちなんかでも、卒業した後にどんどん親密になっていって、いわゆる親友になってもおかしくはないんですが。

 

うちの講座って、女性が圧倒的に多いんですよね。

そのせいかな? よくわからないのですが、自分の中での親友という感覚にはならないんです。

友人、仲間、同志同胞。

という感覚は、非常に多くの方に抱いています。

 

それと、すごく多いのは、そうして親しくなった人間関係でも、なんかこう、自分の子供とか、親族的な感覚になることが多くて、それは親友じゃないんですよね、自分の中で。

あ、自分の母親的な存在というのを感じる人もいます。

 

そういう人たちすべて、「友人」という言い方はできます。

現世的には「友」なんですよね。

 

これ、本当に微妙な感覚の話なので、いろいろ異論はあろうかと思いますので、そのへんはごめんなさい。

お許しくださいね。

 

多くの人たちに親愛の情とか博愛的なものは感じています。

 

でも、親友という感覚を抱く存在は、今までの人生で一人しかいなかったわけです。

 

 

みっくすさんによる写真ACからの写真 

 

彼は高校で出会いました。

一年の時同じクラス。

二年以降は別なクラスでしたが、ずっと交流はありました。

 

彼と私は、たぶん他人の目線では、全然違うタイプに見えたでしょう。

私はひょろがり。

彼はどっしりがっしり。

 

高校時代の私は、柄にもなく優等生タイプ(優等生になったというよりも、自分のやりたいことをとっくに見つけていたので、それに集中していたため、やんちゃする理由などなかった)。

彼は、どちらかというと、はみ出し側?に近いところ(ボーダーライン)にいたような気がします。

 

なのに、小説とか、関心事は一致していた。

ある日の教室で。

 

「それ面白いか」と、彼。

「面白いよ」と、私。

「そうか」

「読むか? 貸すよ。シリーズだから、最初から読んだら面白いよ」

 

どちらも、わりとぶっきらぼう。

 

適度な距離感が常にあり、しかし、友情はあり、私が大学に行き、彼が就職した後も交流は、続いた。

旅行に一緒に行ったことも。

 

夢が叶って小説の賞を受賞した年、東京にいるときに、彼から電話があったと、実家の両親が伝えてきた(ケータイなどない時代)。

「どうした?」と電話すると、

「○○が死んだ」と。

 

亡くなったのは、彼の末の弟だった。

 

ショックを受けた。

しばし、呆然となった。

当然、自分よりも若い、未来のある、イラストなんかも描いていた弟だった。

バイクの事故だった。

 

仕事のためすぐに帰れず、葬儀にも出られなかったが、後で家を訪ねた。

 

彼と彼のご両親の悲しみは、深かった。

 

 

その後も濃淡はありながら、ずっと彼とは続いてきた。

 

互いに親友として。

 

ここしばらくは、年に一回か二回か、メールかSNSのやりとりをするくらい。

数年に一度くらい、一緒に呑んだりもする。

 

 

そんな間柄でした。

 

久しぶりに葬儀で会いました。たぶん二年ぶり以上。

 

まあ、それぞれに年を取っている。

 

どっちも髪も薄くなっているし。

 

 

彼の子が、びっくりするくらい成長していました。

当たり前なのですが。

 

棺に横たわる彼の亡母は、私の記憶の中の姿とは全然違っていましたが、きれいなお顔でした。

 

葬儀の最中に思うことは一つでした。

 

彼に会わせてくれてありがとう、という想いでした。

 

だって、他にいまのところ「親友」としての代わりはいないんですから。

 

 

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