小さなことからでも、成功体験を積み重ねることが大事だと、よく言われます。
それがやがて大きな成功につながるし、自己肯定にもつながる。
たしかにそういう側面はあります。
しかし、これには思いがけない落とし穴があるのです。
学力レベルの低い高校でいい成績だったとか、その時に小説も書き始め、長編を三本も書き下ろすことができた。
これらは私の小さな成功体験です。
が、レベルの低い高校の学力など、世間に出せば埋没する程度のものです。
私にはそれがよくわかっていて、子供のころ以来の自己肯定感の少なさは、用心深く私を「この程度のことでうぬぼれるなよ。たいしたいことないんだから」と戒めていました。
皆さんの目線からは、
「でも、あなたは小説家になったじゃない。有名な賞だってとったじゃない。それは小さな成功体験ではなく、人がうらやむような大きなものでしょう。それで、あなたは自己肯定ができるようになったのでしょう」
と、思われるかもしれない。
しかし、こういったものに依存した自己肯定は、じつはとても脆いのです。
なぜなら、小説で業績を上げることで自己肯定ができるようになったのならば。
その小説の道が閉ざされてしまったら?
事実、私はそうなったのです。
ある日、すべての風向きが変わり、私は事実上、干されたような状態になりました。
このことについても、私は恨み言などここで発信したくて書いているわけではなく、これはたんなる事情の説明です。
出版社側には、私に対するそれなりの見方・評価があったはずです。
とりあえず、事実として作家として未来が閉じてしまった。
陰りが見えたとたんに切られてしまった。
そうなると、どうなるか?
成功体験は、それがあった分だけ、裏返って、今度はマイナスに働くのです。
じつは成功体験に依存した自己肯定は、結果がついてこなくなると足元から崩壊してしまうのです。
成功することはもちろん良いことなのですが、成功することが「まことの安心感」に至る道ではないのです。
それとこれとは、まったく無関係なのです。
若いうちにデビューし、しかし、すぐに扉が閉じられてしまった私は、もちろん不安にさいなまれましたし、やはり自分が悪いのだと考えました。
これは20代の後半のころのことです。
それ以降、先の見えない状態が長く続きました。
しかし。
私はすでに中学校以前の自分ではなくなっていました。
この変化がなかったら、私はその後に占星術師として再起するということもできなかったかもしれません。
実際、その閉ざされた心理的なトラウマのようなものは、今も残っています。
これはというような、思いっきり自分がテーマとするような大きな物語を書き上げ、二度、チャレンジしましたが、それでも扉は開かなかったのですから。
でも、私は
自分が悪い。
しょせん自分はこの程度。
望むような幸せはない。
など、そんな思考へ徹底的に傾くことはありませんでした(理性ではもちろんいろいろ考えました)。
とてもネガティブな時期だったにもかかわらず、私の心はどこかに「避難場所」を見つけていたのです。
逃げていたというのではなく、なんとなく「いずれなんとかなるのではないか」というような、あまり明瞭な言葉にできない感覚があったのです。
それは、自分がこの世界とか宇宙とか、そういったものと、ちゃんとつながっているんだという感覚です。
世界も宇宙も(あるいは神仏というような表現でもよいと思います)、自分のことを見離していないし、いつでも自分はそこにアクセスできる。
今はそれがうまくアクセスできないだけだ、というような……
つまりそれは現実的には、いつかちゃんと立ち直れるし、いつかちゃんと幸せにもなれる、というような言葉に置き換えられるのかもしれません。
しかし、そのときはそんなふうに言語的な思考はしていませんでした。
でも、なんとなく自分は宇宙とつながっていて、この命に溢れた宇宙の、一つの命でもある自分も、ちゃんと光れる。
夜空を満たす、鮮やかな星々のように。
それが、心のどこかにずっと安全弁のようにあったのです。
どん底でも、そのような考えがあったことは、不思議です。
未来など、まったく見えなかった。
作家としての道がないのならと、まっとうに就業しようとしても、何かと邪魔が入り、拒否されました。
どうすりゃいいの???
ねえ、神様。
妻や子供を抱え、これから老いていく両親の面倒を見ながら、私はどうなるんですか?
そんな感じです。
そんなときでさえ、私は出版社や特定の企業から拒否されたとしても、誰か個人とうまくいなかったとしても。
この宇宙とうまく行っていないとは、一度も考えなかったし、いつもどこかでつながっていると感じていました。信じていられました。
そう。
幼年期から少年期、支配されたりいじめられたりしながら、それでもそんな相手とでもつながっていたいと思っていた私が、そのときにはもっと大きなものとちゃんとつながっていたのです。
そのつながりができたのが、高校時代だったのです。
そして、そのつながりは、誰でも得ることができ、つながりを実感できた人は、どのような状況でも真の意味では孤立しない。
すみません。
うまく伝えるために、この一回が必要でした。
次回は最終回。
まことの安心感の秘密を、すべてお伝えいたします。
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