偽りの安心感2 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

自分はこの程度の人間だから、愛されることも認められることも幸福を得ることも成功することも、自分の身の丈に合った程度のことにしておくのが無難だ――

これが、つまり

偽りの安心感です。



対人関係的にも。

自分望む未来に対しても。

自分を低いところにおいておけば、嫌われないし怒られないし、極力そういう姿勢でいればびくびくする度合いも減るし、自分はこの程度だと思っていたら、裏切られる結末になっても、「まあ、こういうもんだ」くらいの失望で済む。
 

なにせ、人に愛されない、否定される自分なのですから。

 

 

自分が悪い、能力が低い、愛されるに値しない。

こういう思考は、何の説明もなしに並べられると、何をナンセンスなことを言っているのだと、人によってはお怒りを買うかもしれない代物です。

 

でも、そういう思考にならざるを得なかった人間もいるのです。

 

少年時代の私もそうでした。

その原因を作った、もっとも大きな存在は兄でしたが、それ以外にもありました。

小学生の3年ごろまで、私はいじめられていました。

場合によっては、そのいじめの中に兄も入っているようなケースもありました。

 

こういうことを書くと、私は兄や当時私をいじめていた上の年齢の学友らを、この場を借りてこき下ろしたい、憂さを晴らしたいとか思っていると感じられるかもしれません。

 

それはありません。
その理由は後述します。

 

ここで書いているのは、同じような体験から自分の価値を貶めてしまっている方に、何かのきっかけになればよいと思っているからで、今の私には兄に対する恨みもなければ、当時私をいじめた上級性たちへの憎しみもありません。

そんなことはどうでもいいのです。

 

人は魂の計画をもって生まれてきて、家族も選択していますので、私が兄のいる家庭を選んだのにも、深い理由があるはずです。

それを恨みに思うのは、魂的には、じつは筋違いです。

 

そうなるのはわかっていて、生まれてきているのです。

 

これは兄や親であっても同じです。

 

とはいえ。

当時の自分には、いろいろときつい状況でした。

 

自分が4年生以上になると、むしろ自分が優位に立てるかと思うと、そんな状況でエゴイスティックにふるまったことで、先生に吊るしあげられたり、6年生の時には体育中にひじを骨折したにもかかわらず、その激痛を先生に信じてもらえず、走り高飛びを強要されたりとか、いろいろな事例が積み重なっていきました。

 

このころの私の経験として非常に有益だったのは、自分がいじめをやられていたからといって、自分が優位な立場になった時に自分本位なことをやらかしたら、かならずしっぺ返しを受ける、という経験知でした。

身をもって思い知らされるというのか。

 

これは私の冥王星効果です。

私の冥王星は、因果応報をすぐに打ち出してくるのです。

 

つまり結果的には、子供時代の経験から、私は冥王星への対処を本能的に学んでいたことになり、その伏線として兄やいじめを働いた上級性もいたのです。

彼らはなかなかに重要な役割を果たしてくれていたのです。

 

怖い。嫌われたくない。厳しいこと言われたくない。

そういう想いは、中学になってからも私の中にあり、人とコミュニケーションをとるために、自分をとことん貶めるような行為までさせました。

人から嫌われないように。

最低、当たり前に話ができるように。

そのために、自分を徹底的に安売りしていたのです。

 

私にはいじめの中で、自殺という最悪の選択をせざるを得なくなっていく、そういう少年少女のプロセスが、よくわかります。

 

自分をどんなに低いところにおいても、

やはり人は、誰かとのつながりを求めているのです。

 

それが最悪な相手、どこまでも自分を愛さない相手だと、うすうすわかっていても。

 

罵倒した兄。

なにかにつけて攻撃してきた上級生たち。

 

そういう人たちでも、つながっていたいのです。

 


そういう想いが、私の中で、ひたすらに自分を低くさせ、自分はあまり価値もない、好かれる魅力もない、能力もない、運動神経も悪い……など、ネガティブな部分だけを、しっかりと焼き付けてしまったのです。

始末の悪いことに、こういった幼年期からの刷り込みは、容易に自分から離れませんし、思い込んでいるので、おかしいのではと自覚することもなかなかできません。

私にとってまだよかったのは、曾祖父母や祖父母と一緒に暮らす8人大家族で、とくに曾祖母や祖母がかわいがってくれたので、なにげに自己肯定の素地も、多少は醸成されたということでした。(※)
 

ただ、それは全体の中では、乾ききった砂漠での、わずかな水という印象でした。

最後に逃げ込めるオアシス?

 

 

私は、この幼年期から小中学校時代に至るころの記憶が、じつはあまりありません。

かすかす、というレベルです。

これは私が、現実から離れた世界でいろいろな夢想をすることが好きな、ぼーっとした少年だったから、と自分でも思っていたのですが。

たしかにそれは正しいのですが。

 

じつは、それだけではない。

この記事を書き始めて、すっきりとしてきたのは、なぜそんなに夢想の世界へ逃げ込んでいたのか、ということです。

 

兄も一緒に遊んでくれたり、かけがえのない存在でした。

とくに小学校低学年まで。

その一方で、自分を貶め続けてきた存在でもあった。

学校ではいじめられる。

 

その中で、自分だけの、誰にも冒されない世界で自由に遊ぶことが、少年の私にとっては何よりも楽しく、誰にも傷つけられず、安心していられる行為だった……

 

 

これが、小学校時代に身についたことであり、それがやがては私を小説家にしていったのです。

小説家は思い描くことを言語というツールで、形にしていく作業を行う者です。

 

 

小学生時代を終え、中学時代。

ここでも私はまだ、前述のように自分を貶めることでコミュニケーションを取ろうとしていました。

最初のころは。

 

しかし、この中学時代に、大きな変化があったのです。

 

それが、私を偽りの安心感から、本当の安心感へ導いてくれたのです。

 

続きます!

 

 

(※)

ちょっと注釈というか、補足として書いておきます。
大家族の中のほうが、自己肯定の素地ができやすいというのは、一般論で、極端な事例だと、家族全員の仲が悪いということもないとは言えません。
ただ、多くの人間が存在すれば、その中にも個性が違って存在しますので、自分と合う家族や自分を認めて愛してくれる家族が存在する可能性も増えるという意味です。
そういう意味で、きわめて限定された最小単位の家族構成より、多くの家族やコミュニティーの中で育つ子のほうが、肯定的な安全弁が作られやすいという一面もあるのです。
私の場合も、特に祖父が不機嫌になりやすい人だったので、多くの家族にもマイナス要因はあります。むろん祖父の気質に関しても私にとっては意味があったのだし、それをあしざまに捉えてはいません。
逆に曾祖父は、ほとんど語らないのですが、生き仏のような印象の人でした。
こういう多くの個性の中で育つと、すでに何らかの社会性が身につくし、学べるわけです。
 

 

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