左右神社と占星術 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

ちょっと前にPC作業のディスプレイを大きなものに換装したことをお伝えしたのですが。

(ノートパソコンの画面を転送している)

このところ、目の疲れが格段に違うように思います。

やっぱり楽なんですね。

 

とはいえ。

すでに目の焦点を調節する機能の衰えはすでに進んでいて、先日も大学でギリシア神話に関する講義しているときに、その書物の細かい文字を追うのが結構きつかったり。

(思わず眼鏡をずらしたくなるのですが、年寄り臭く思われそうで頑張って抵抗している)(笑)

 

目は大事ということを、とみに痛感するこの頃。

 

ところで、古事記や日本書紀には、伊弉諾尊(イザナギノミコト)が黄泉から帰還した時、その汚れを祓うために禊ぎをし、

左目を洗ったときに天照大神(アマテラスオオミカミ)

右目を洗ったときに月読尊(ツクヨミノミコト)

鼻を洗ったときに素戔嗚尊(スサノヲノミコト)

が生まれたと記されています。

(表記は日本書紀のそれに従っています)

 

目や鼻を洗ったときに神が誕生するというのは、世界的にも珍しい物語です。

ギリシア神話では、軍神で処女神のアテナが、父ゼウスの額から甲冑姿で生まれるという逸話がありますが、さすがに目からは生まれない。

 

甲冑姿のアテナは、どことなくスサノヲが高天原に登ってくるときに、戦姿で迎えたアマテラスを思わせるところがあります。

アテナと仲が悪く、都市をかけて戦ったのはポセイドンですが、海の神。

アマテラスと仲が悪く、高天原で乱暴狼藉を働いたのはスサノヲで、もともとは海の神。

 

ギリシア神話と日本神話は、ほかにもいろいろと似ているところがあって、とても面白いのです。

洋の東西で、なぜこんなに似た物語が語られたのだろう。

どこからか伝わってきたのか。

あるいは共有する何かがあったのか。

 

考えると、ワクワクします。

 

 

ところで、占星術でも次のような法則があります。

太陽は、男の右目・女の左目

月は、男の左目・女の右目

を管理しているというのです。

 

アマテラスは太陽神で、ツクヨミは月神というのは、まあ、一致した見解なのですが。

アマテラスは左目、ツクヨミは右目から生まれた。

この記紀の記述に一致するのは、占星術の女性のほうなんですよね。

 

目から神が生まれるという神話は、日本以外ではあまり聞いた記憶がないのですが。

(ただの浅学で、ほかにあるのかもしれませんが)

 

少なくとも占星術とは、何気に接点がある。

 

面白いと思われませんか??

 

 

淡路島の伊弉諾神宮には、ご本殿の横に境内末社として左右(さう)神社があります。

これは左右の目から誕生したアマテラスとツクヨミがお祀りされているそうで、眼病治癒にもご霊験がある神社だそうです。

 

前回参拝した時には、ここで目の状態が悪くならないようにお願いさせていただきました。

目がダメになってしまうと、もはや今の仕事はできませんから。

 

淡路島、また近いうちに訪れたい土地です。

定例の関西鑑定会は、また来年、京都で行うと思いますが、それ以前に一度、神戸あたりで小さな鑑定会をやろうと思っていますので、その時に足を延ばしたいものです。

 

 

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