昨日までの記事の主旨にプラスして、それをもう少しわかりやすくするために、要約の形でメモ調にしたのが、今日の記事です。
人間には生まれてくる前に決めた魂の計画があり、それが占星術のホロスコープや、たとえば四柱推命表などの中には、この世の人間が読み解くものとして示されている。
じつはこれを、これまでの多くの占術家は、「運命」だとか「宿命」だとか判断し、「決められたもの」のように解釈してきた。
魂の計画というのは、そうそう簡単に変更が効くものではない。
たとえば今回の人生では、結婚相手との分かり合えない関係の中から学ぶ、というようなプランニングがあった場合、さしたる苦労もなくうまく行くようにはならない。
が、人には必ず学びと成長の時が用意されていて、そのタイミングで設定された学習を卒業して行ける(その段階が来れば、その問題は解決することがある)。
卒業できるかどうかは、本人次第。
個人の責任にゆだねられている。
(時期を早めることも遅らすことも本人次第)
人間にはカルマの法則があり、良いカルマを積めば、それはわかりやすく言えば「徳」となり、より幸せになるための準備が進む(逆ももちろんある)。
天から携えてきた魂の計画と、この地上に生まれてから積めるカルマの法則。
この二つが人の未来を形作っていく。
(カルマには前世から持ち越してきたものもあるが、生まれてから積めるカルマは、すべて本人の意志によって選択できる。人を許すカルマも積めるし、怒りや憎しみのカルマを選択するのも自由)
魂の計画は、がちがちにすべてが決められているわけではない。
これは生まれ変わりの研究にありますが、未熟な魂ほど詳細に決め、道を外れないように設定していて、高度に成長した魂ほど選択の自由が広いという報告もあります。
よく「運命」を自分で変え得るもの、「宿命」を変え得ないものとして、言葉を分けている方もいらっしゃいますが、生まれ変わりの科学的な研究報告は、人それぞれ変え得る部分と変え得ない部分に差があることを提示しています。
宿命的な変え得ない部分は当然ある(でないと、何のために今回生まれてきたのか分からなくなる。魂の計画は意味あってのものなので、今の現実が気に入らないとしても、みだりに変えるべきでもないし、普通、根本的に変えることはできない)。
しかし、個人に差があるとはいえ、「運命」の変え得る部分とカルマの部分は、人間が自分の責任においてコントロールできる。
人間には自由意思が与えられ、宇宙という親は大きな愛で、私たちを包んでくれている。
つまり、じつは好きなようにやらせてくれている(魂の計画でさえ、自分でプランニングするのだから)。
今ある現実がどうであれ、魂の計画とカルマの法則の中で起きていることは、「すべて順調」である。たとえそれが今の自分にとって都合が悪いと感じられても。
すべて順調であり、そして未来は自分で創造できる(魂の計画を放棄できるという意味ではない)。
だから、巡り来る時にゆだねて生きてばよい。
心配しなくて良い。もともと自分が決めたこと。
自分を本当の意味でどん底に突き落とす計画は、普通はない。
苦しいことも悲しいことも、乗り越えて行ける。そのようになっている。
だから、ゆだねて生きればよい。
そうして肩の力を抜き、焦りをなくし、天と自分の命運を信じて生きれば、むしろその時点で気持ちが楽になり、心にも余裕ができてくる。
心のゆとりは、人を幸せに近づける。
(今の現実はすぐには変わらないかもしれないが)心が変わることですでに幸せになれる人もいる。
というのが、昨日までの主旨でした。
過去の記事からしっかり読んでくださっている方は、理解してくださっているものと思います。
ただ最近、読者になられた方などは、伝わらない部分もあったかと思います。
私も過去にいわゆる「どん底的な不幸」は体験してきました。
具体的なことをここに書くことは好ましくもないし、不幸自慢もしたくないので、それは致しません。
ブログの過去記事の断片を拾い集めてもらっても、全体像には遠く及ばないとお考え下さい。
では、なぜそういうことがあったんだよということを、ここに記しているかというと、同じことを書いても、そういった経験があった人間が書いていると思われるのと、苦労も知らない人間が書いていると思われるのとでは、当然、受け取られ方が違うからです。
私は普段、時にはグルメ的な記事を書いたり、かわいいペットの画像とか、家族での行動とか、いえば明るい部分をおもに見せているので、よく人に言われるのです。
「zephyrさんのところが羨ましい」と。
でも本当は、じつはこのブログを始めた頃、すでにもう崩壊的な状況だったのです。
つまり、2005年ですね。
それ以前にも、何か月も笑うことさえできなくなる苦しみや、長く苦しいあることとの闘い、窮乏する財政の中で極限的な労働なども続けてきましたが、最終的な山場が2005年以降の数年間に用意されていました。
つまりこのブログで発信していることの裏側では、そんなことがあったのです。
「巡る時とゆだねる心」は、そんな自分の実感が生み出した記事です。
主観だけではなく、背景には長くホロスコープを見てきた研究成果と、そして生まれ変わりの研究報告があります。
自分が変わること、心の在り様が変わることが、じつはもっとも重要。
不幸せな状況にフォーカスして、自分の感情に呑まれていると、逆にそこに留まり続けるということになってきます。
自分が変われば、状況もなぜか変わってくるし、導かれる。
もちろん、すべての方に理解してもらおうとか、受け入れてもらおうとかいう考えはないです。
万人が喜ぶ記事はないので。
ただ、受け取っていただける方にメッセージになればと思うだけ。
生まれ変わりの科学的な研究報告については、飯田史彦先生の「[完全版]生きがいの創造」に詳しく触れられていますので、興味のある方はご一読ください(PHP文庫)。
明日は、この数回の記事の中で置き去りにしてきた問題について、書こうと思います。
それは
人と環境によって異なる運命の自由
というものです。
ポチしてくださると、とても励みになります。ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
9月札幌出張鑑定についてはこちらへ。
このブログの執筆者であるzephyrが、占星術鑑定の窓口を設けているのはFC2ブログにある<占星術鑑定に関して>の記事のみです。