人が幸せになる三つの要因。
今日は最後の記事です。これと似た記事を過去に書いたことはありますが、今回は違った観点でアプローチしています。
最初に示しておきたいのは、この三つの要因は以下の三項目だということです。
①魂の計画(ホロスコープ)
②カルマ(行い)
③ゆだねる心
占星術師としての私がもっとも深いかかわりを持つのは、①です。
人は生まれてくる前に今回の人生の計画を立てる。そこにはどんな性格、容姿、どんな親元に生まれるか(親も子が選ぶ)とか、どのような育てられ方をして、どのような人生を生きるか、アウトラインとしては決めている。
それが生まれ変わりに関する研究報告です(数多くの医者や科学者による真面目な研究報告がある)。
そのような魂の計画(ブループリントと呼ばれることもある)があるのであれば、人間の運勢を非常にうまく表現しているホロスコープは、その魂の計画がこの世的に表示されたものだというのが、私の立場です。
つまりホロスコープにある運不運は、神様や天が強制的にあなたに与えた運勢ではなく、何らかの目的があってあなた自身が設定したものだということ。
それがどんなに今、不満だらけに思えても。
どんなに理不尽に思えても。
お母さんが良い日時に生んでくれなかった、というのはナンセンスな不満で、じつはそこまで計算に入っている。
(親が生まれて来た子を殺すというような特殊な事例、あるいはその地に生まれたらかなりの確率で飢えや病気、戦争などで死んでしまうかもしれない環境を選ぶというような事例については、また別な考え方が必要ですが、生まれてくる子が親を選ぶというのは基本的な決め事としてあるようです。こういった特殊な問題について、この物質的な観念世界に生きている私たちのヒューマニズムでは、すべてを理解・解説することは、おそらく難しいでしょう。したがって、ここではこういった事例については論じないことにします)
そこでもし結婚とか家庭環境に大きな課題が表示されていれば、それはそのままその人が計画したものであり、そういった課題を体験し、クリアすることが、今回の人生の中でどうしてもしておかなければならなかった経験なのだということができます。
多くの場合、こういった課題はクリアされれば、その後は幸せになれます。
ただ過去の経験から学び、成長する必要があると考えておいたほうがいいでしょう。中にはとにかくある体験を一度経験することで過去のカルマや課題を解消してしまう場合もあります。この場合は経験することそのものに意味がある。
でも、どちらかというとその経験から学ぶことを求められていることのほうが多い。
たとえば自分の中にある問題点に気づくとか。父親のことが大嫌いで、なぜかその嫌いな父親に似た男を選んでしまって失敗する→父親への許しが求められている、とか。
計画は多様ですので、こういった個人の運勢的事情は、ホロスコープを見なければ何もわかりません。
他人の事例を、自分にすべてを当てはめようとするのはやめておいてくださいね。
しかし、過去の自分の体験の意味について、しっかりメッセージを受け止め、考えてみてください。
どこかで、ストンと胸に落ちる瞬間があるはずです。
こうした幸せになることを阻害する困難な課題は、どこかでその「ストン」でかなり解消されるはずです。
占星術で鑑定することの意味も、じつはそのへんにあります。
しかし、こういったものはご本人のコンディションが整って、受け入れられる時が来ないと、なかなか難しいことが多いのです。
それが結局、「巡ってくる時」なのです。
その巡ってくる時については、ホロスコープである程度は見ることができます。
しかし、それだけですべてが解決するわけではありません。
ここで問題となるのは②のカルマです。
カルマというのは仏教用語では「業」と訳され、なにやらネガティブな印象が強いのですが、じつはサンスクリット語で「行為」「行い」という意味です。
つまり人は日々の行いを積み重ねている。
この行いというのは慣性の法則となります。
ある方向へ転がる運動作用が起きると、それが持続するのです。
わかりやすく言えば、「癖」になるのです。
煙草や飲酒の習慣と同じで、習慣化したものをやめるのは相当な努力が必要ですよね。
ただ、これが個人の癖のようなものだけであるのなら問題は小さいのですが、酒を飲んだ挙句に人を殴って傷つける、殺してしまった、ということになると、このカルマは相当大きなものになります。
また酒に溺れ、家族を苦しめるとか。
これもまた、相当大きなマイナスのカルマになります。
人間はマイナスのカルマだけを積み重ねるわけではないのですが、このプラス・マイナスのバランスがあまりにもマイナスに偏ると、どこかでその解消作用が起きてきます。
結局それは自分に跳ね返ってきます。
これが因果応報の法則なのです。
良い因縁は自分の良い果報をもたらす。逆もまたしかり。
このカルマについては、生れ落ちてからの私たち個人個人がその時々で積み重ねているもので、これは結局、本人の責任にゆだねられています。
このカルマは、広い意味での行為なので、たとえば「何もしない」というのもカルマですし、人を呪ったり怨んだりするというような精神的なものもカルマです。
たとえば学級で、クラスメイトがいじめられているのを見て何もしないというのは、いじめに直接加担していないけれど、これもマイナスのカルマです。
成功している人を見て羨み、妬む。
今ある自分の状況を呪い、周囲のせいにばかりにする。
こういったものも、精神的なものですが、マイナスのカルマです。
つまり良い時が巡って来ても、自分が自分を貶めていると、幸せになれないかもしれない。
負のカルマを積み重ねてしまうと、幸せになりにくいわけです。
つまりホロスコープが、天から自分が携えてきた運勢だとすれば、このカルマはこの地上で生成される運勢なのです。
同じ生年月日、生まれた時間も場所も近い。
それなのに違った人生になる。
一卵性双生児なのに、違った人生になる。
この違いは、結局、カルマが作り出すことも多いからだと考えられます。
時は誰にでも巡りくる。
これは間違いなく言えます。どのようなハードアスペクトの強い運勢だとしても、自分自身の計画で「幸せを得るために苦労したり時間がかかるように設定しておこう」と決めていたとしても、誰もが「時を得る」ことはできます。
幸せを得るための時です。
このときに花を咲かせられるかどうかは、生き方に関わっているということで、どんな生き方をしても自動的にそれが得られるわけではないのです。
たとえば自分の欲望のために何人も殺してしまい、刑務所に入っている人が、やがて巡ってくるその時を刑務所の中で迎えたとしても、そこで得られるものは刑務所という環境の中でしか起こりえないものに限定されます。
それは、世間一般の幸せとはかけ離れたものにならざるを得ないのが現実です。
したがって、カルマの積み重ねは、人が幸福になれるかどうかの大きなカギを握っていると言えます。
しかし、これは考えようによっては、大きな福音でもあります。
なぜならカルマはすべて自分が作り出すもので、全部自分でコントロールできるからです。
過去世の自分のカルマはもう変えようがありませんが、今回の分については100%自分の責任です。
魂の計画は、魂としての自分が決めたもの。
今この世に生きている自分が、「ああしてほしい、こうしてほしい」といっても通用しない部分があります。
魂の自分は
「お前、そんなこと言うけど、これをクリアすることもお前の大事な課題なんだよ。じゃないと、この段階を卒業できないよ」
ということになります。
受け止めて行かないといけない出来事が、人の人生にはそれぞれに必ずあります。
それが理不尽に感じられても、です。
こういった魂の計画には、やはり不動の部分が必ずあります。
あ、念のために申し上げておくと、ホロスコープに表示される星の力は、すべて運命的に決まっているものではありません。やはり決まっているのは大枠で、本人の意志や選択はその枠の中でいかようにも違った使い方ができます。
運命よりも意志のほうが強い、というのは、意味合いとしてはそういう部分が大きい。
つまり魂の計画も、がちがちに何もかもが決まっているのではない。
本人の意志や選択で変えることができる部分がある。
ましてやカルマは自分ですべて作り出すことができる。
このような理解を持つと、未来はかなり明るく開けてきます。
じつは、人間には自分の運命について、これだけ幅広い選択の余地と自由意思が与えられているんです。
ものすごく大局的な視野に立てば、宇宙はそれだけ人を大きな愛で包んでいる。
やりたいようにやらせてくれる親なのです。
そこで③の「ゆだねる心」です。
時は誰でも得られる。早いか遅いか、ハードルが高いか低いかの差はあります。
しかし、かならず幸せになれる時は巡ってくる。
それは今この世に生きている小さな自我となっている自分が望むような時期ではないかもしれない。が、いつかは用意されている。
カルマも自分でコントロールできる。自分の裁量で積み重ねられる。
ならば、あれこれ不安に思う必要は、本当はないんです。
全ては順調なんです。
計画も本当は自分が立てていて、辛いことや悲しいことも、自分で設定しているもの。
とことん自分を苛め抜き、不幸のどん底に突き落としてやろうと計画する魂があるでしょうか?
まあ、ごくまれにそのような役目をあえて背負う魂もいるかもしれませんが、世の大半の人はそうではないはずです。
じゃ、ゆだねてしまえばいい。
この宇宙の摂理や、自分自身の計画に。
じつは、このゆだねができると、すごく楽になります。
そして楽になると同時に、このプロセスそのものが楽しいものに変わっていきます。
昨日、カーレーサーのたとえ話をしました。
優勝できれば最高。
でも、それは刹那的な悦びであり幸福感。
でも、競い合い、戦い合うその中にこそ、生きている燃焼の喜び(幸福)がある場合もあります。レース中には死と隣り合わせになるような事故もあるかもしれませんし、戦い抜くためにものすごく体も心も鍛えなければならないかもしれませんし、チームの財政のために別に働かなければならないかもしれません。
私たちは皆、この思い通りにはなかなかならない現実をあえて体験するために生きています。
それはこのレーサーと同じ。
そして、同じようにこの現実というサーキットで戦ったり、頑張ったり、時には凹んだり、泣いたり、じつはそれでいいいのであって、ダメなときはダメなんだから無理をしないという選択肢さえ、時には有効です。
無理やり頑張らない。
なすべきことをなす。
善意を人に示し、与える。
泣きたかったら思いっきり泣けばいい。
今うまく行かないからと言って、不幸になると怯える必要もない。
これが続くと疑う必要もない。
時が巡ってくるだから。
なるようになる(自暴自棄ではなく、宇宙や自分の魂を信じてゆだねる)。
そう思えたら、逆に幸せが近づいてくる。
いや、幸せに対する見方や感じ方も変わってくる。
もしかしたら、もう幸せになっているかもしれません。
じつは人は、今すぐ幸せになることもできる。
なるようになる。
ゆだねて生きましょう。
きっと、そのほうが幸せに近づけます。
ポチしてくださると、とても励みになります。ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
9月札幌出張鑑定についてはこちらへ。
このブログの執筆者であるzephyrが、占星術鑑定の窓口を設けているのはFC2ブログにある<占星術鑑定に関して>の記事のみです。