巡る時とゆだねる心 2 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

人は皆、自分が幸せになりたいと思っていますよね。

その幸せの基準は人それぞれ。

慎ましく最低限で良いから生活が平穏に過ごせたら幸せという人もいれば、高層マンションに住み、仕事もバリバリして、リッチな暮らしができることを幸せと感じる人もいる。

これは人それぞれなので、その価値観が人を根本的に傷つけたり、人の命を損なったりするものでなければ良いはずです。

幸せは多種多様だという前提でのお話です。


その幸せを獲得していくプロセスもまた多様です。

割と早い時期にそれを得られる人もいれば、かなり人生経験を積んでから得る人もいる。

これは極めて少数派だと思いますが、とくに苦労もせずに得る人も中にはいます。

多くの方は、やはりその幸せを得るための努力をなさっているものです。

それは気を遣ったりとかいう精神的なものから、社会的な成功を得るための労力であったり、投資であったりするかもしれません。

それを得るために、何かほかのものを犠牲にしてということもあります。

なにもかもすべてが満たされているということは、なかなかないかもしれません。


ところが。

じつは人間は、皆、ちゃんと幸せになれます。

その人がいつ幸せになるかということは、じつはホロスコープには示されない問題です。

たとえば「成功して出世したい。自分の社会的な地位が上がりそうなときはいつ?」という質問を受けたら、それについての答えは用意できます。

地位が上がりそうな運勢というのは明示されますので、あくまでも確率的な話ですが、「このへんで出世しそう」というのは指摘できます。

これは出世することが幸せと考えている場合の話です。

でも、出生したからと言って、じつは真実、幸せになれているとは限りません。

出世したことで「さらに上を」と望む気持ちが強ければ、その地位にいる幸せも長くは続かないでしょう。むしろやがては不満が出てくるかもしれませんし、不満でなくともハングリーな気持ちが継続的になって、幸せ感にひたるどころではないかも。

また出世したことで、その地位から転げ落ちることに怯えるようになるかもしれませんよね。

そうなったらこれもまた、幸せどころではありません。

地位を守るために日々、汲々としなければなりません。

ほどほどのところで満足するのなら、そこでOKかもしれませんが、多くの場合、社会的な地位や物質的な豊かさを求める幸福感というのは、長続きしにくいものなのです。

人間の欲には限りがないからです。

これ、わかりますよね?

ところが、苦難の中でも幸せな人はいます。

たとえば毎日苦しい生活の中で切り詰め、節約に節約を重ねながら、それでも夫婦や家族で仲良く暮らしているとか。

あるいは親の作った莫大な借金を背負って返済しながら暮らしているとか。

自分や家族の病気と闘いながら暮らしているとか。

そんな中でも、「苦しいけれど幸せ」という人も、実は大勢います。

「幸せ」とは、本人が感じるもの。

それは心が満たされることです。

それが満たされるなら、逆境の中でもいますぐ幸せになることができます。

そしてその幸せになるタイミングというのは、社会的な成功と違って、ホロスコープには明示されません。

出生図でどんなハードアスペクトが強くても、今どんな星のどんな強いハードアスペクトがあっても、人は心が満たされることがあります。

「わたし、幸せになれますか?」という質問を、よく受けますが、じつはこの質問自体、とんでもなくナンセンスです。

誰だって幸せになれるのです。

心が満たされれば。

そして幸せになれるかどうかは、ホロスコープは何も語りません。

自分次第、あなたに任されている問題なのです。

そして、心を満たすものはなんなのかといえば、やはりそれは多くの場合、人とのつながりの中にこそあるのです。


またちょっとだけ、横道にそれますが……人間、タイプはいろいろ。

上記のような一見、社会的な地位や成功を求める人でも、

「いや、俺はそうやってチャレンジし続ける状態が幸せなんだ」と感じる人もいます。

これはこれでOKです。

この方の場合、つまり成功や裕福さというのはふろくみたいなもので、働き続けること、トライし続けることの中に充実と幸福を感じているわけです。

カーレーサーみたいな人が、こういうタイプかもしれません。

優勝できれば一番うれしい。それは刹那的な幸福。

しかし、じつは車に乗って思うままドライヴし、人と競い合うことそれ自体に生きがいを感じているというようなものです(のんびりとした平安な幸福ではなく、燃焼の中に幸福がある)。

結果だけではなく、そう……。

人はプロセスの中でも幸せになれるものです。

ここにも考える手掛かりがありますが、じつは人生はすべてがプロセスなのです。

どこかに到達することは「終わり」ではありませんし、その後のすべてを保障するわけでもありません。

結婚という幸福がゴールではないというのは、もはや手垢のほど言われている言葉です。

実際には結婚した後のほうが大変なのです。

付き合っていた時のときめきも、ずっと一緒にいれば薄れてきますし、互いの存在が違った意味を持って成長してこないと、なかなか幸福は持続しません(稀にときめきが継続するご夫婦もいることは言及しておきます)。

結婚後には子供のことや経済のことや、いろんな問題が噴出してくるかもしれません。

「ごく普通の慎ましくても最低の生活が維持できて、家族が仲良く暮らせれば」という願いは、じつは実現させるのは結構大変なのです。

むしろ最高難度の課題だと言ってもいい。

人間、じつは独りぼっちになるほうが簡単なのです。

しかし、それぞれに違った環境で生きてきた二人が夫婦になって一緒に暮らす、それも分かり合って、認め合って暮らすことは、昔からずっと最高難度の課題なのです。
だって、他人だから。

生まれてきた子供だって、自分とは別人格を持っています。言うことを聞くとは限らないし、とんでもなく手を焼かせるかもしれない。
病気になるかもしれません。

家族が仲良く慎ましく暮らせたら幸せ、というのは、じつは、社長になりたい、という願いよりも難しいかもしれないのです。

仕事で成果が出せたら、金持ちにさえなれたら、というような物質的な部分で塗り固めてしまえるものではなく、常に人間対人間の問題と向き合わなければならないからです。

もちろん自然にそれができている人もいますし、なぜかうまく行かない相手ばかりに遭遇してしまう人もいます。

今日は数多くの幸せの中で、こういった当たり前の幸せを得たいと思う方へ向けた記事だと思ってくださいね。

世の中には、結婚など望みもしない、そうしたがる人の気持ちがまったくわからない、という方もいますので。

しかし、結婚という形を望まない人でも、たった一人で生きることはできませんし、本当の意味でたった一人になってしまったら、そこには幸福もなにもありません。

無人島で自給自足して、誰とも接触せずに生きていくのが幸せだという人は、このお話の中では例外だということです。

やはり人は、誰か必要なんです。

人と結ばれて、つながっていたい。

それが当たり前ですよね。

そういう願いを持ちながら、それがなかなか実現しない。

「なぜ、なかなか幸せになれないのか」
「どうやったら幸せになれるのか」

皆、そう思います。

これにはいくつかのことが絡み合っていることがあります。

それが魂の計画ですし、またすべてがプロセスで、じつはいつでも幸せになれるということ、またカルマ(行い)などに関係しています。

次回、最終稿…にしたいかな。



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