なぜ神話ミュージカルなのか |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

日本神話を題材にしたミュージカルにする、どんな物語にする、なぜそれを選ぶか……など作品全体のトータルなイメージは、すべて一瞬で決まっていました。

これを言葉に分解するのは、ある意味難しい。
というのは、この決定にはものすごくたくさんの情報が、一点に集まってできあがってしまったからです。
決定された内容を言葉で説明するのは簡単なのですが、決定されるプロセスはうまく説明できないかもしれません。

単純に言うと、「最後の五匹」の時と同じように、テーマもストーリーもいっぺんに「降りてきている」のです。

人がワとなる世界。
共生する世界。

共生、融和、祭り。
こういった世界を見たい。そのステージを、かつて「和」「倭」と呼ばれた私たちの島国に設定し、この島国に伝えられていた神話・伝説を背景にして再構築する。
この発想の大元になったのは、私が以前に書いたミステリー論考、「デウス・エクス・マキーナ」でした。

この論考を著していく過程で、私は日本の文学の発祥は、「母系文化」を背景していると直観することができました。
「竹取物語」「源氏物語」など、内容的にも男性的文学ではなく、女性を中心にした社会の名残があったり、母性への憧憬といったものが読み取れます。
日本は世界的に見てもかなり特殊な国で、もっとも長くこの母系文化が生きていた社会だったのです。

魏志倭人伝の卑弥呼という女王の存在。古事記や日本書紀には、「女酋」を討伐したというような記述も多く見つけられます。
大和朝廷が征伐し、服属させた相手のリーダーが女性だということです。
本来強さを誇示するのなら、相手が強い男の軍団だったと記述したほうが、理にかなっています。そこをあえて「女酋」と言っているのは、真実、そこに女性をリーダーとする集団がいたからだと考えられます。

実際、古代においては天皇でさえ、多くの女帝が立っています。
ましてや日本神話の最高神、天照大神も女性です。太陽神は世界的に見ても、「陽」であり、「男」であるのが通例です。
これもまた不思議なことです。
天照大神が女性とされたのは、記紀編纂時の持統天皇時代の政治情勢が反映されたものという見方も有力なのですが、こういったことが真実だとしても、現実に女性リーダーがかなりの確率で存在したのですから、母系が強い土地柄であることはゆるぎないと思われます。

つまり日本は、卑弥呼のような女性巫女を中心に形成されていた、母系社会が主流としてあったのではないかと見ることも可能なのです。

これは現代の男性優位の父系社会、権力志向社会とは、対極に位置するものではないか。

現代社会をもたらした欧米文明は、地球環境の破壊や戦争の拡大、民族間や宗教的な対立を生み出し、次々に地球の国々を自分たちの都合のいい理屈で征服し、植民地化して行ったという歴史的な流れがあります。
この欧米文明に、明治以降、日本もどっぷりつかってきたわけですが、このやり方はもはや限界にきているのではないか?

共生や融和のためには、こんな自己主張ばかり繰り返す、剣の文化ではだめだ。

ワの文化こそが再生されるべきではないか。
和であり輪である文化。
それは形としては、鏡や勾玉の文化に象徴されるもの(勾玉も二つ組み合わせたら円となる)。
欧米の父系文化ではなく、母系の文化。

そのために日本神話を使おうと考えたのですが、これは懐古趣味でもなければ、戦前のような思想へ引き戻すためでもない。

日本神話は、じつは世界中に多くの類似した神話が存在していて、はっきりと他の国や土地から人や文化を受け入れた結果、それらが融合して生み出されたものだと思われます。
もちろんその土地のオリジナルストーリーもあるとは思いますが、

たとえば
日本の天岩戸神話は、ギリシア神話のデーメーテルとポセイドン、デーメーテルと娘のペルセポネーと冥界の物語などを組み合わせると、基本構造が非常によく似ています。
姉神が弟神に乱暴され、その時に馬が関わること、またその女神が怒り、隠れることによって世の中に混乱が起きるが、やがてある別な女神の努力によって呼び戻される、といった構造です。

皆さんもよくご存じの出雲大社に鎮座する大国主命。
この因幡の白ウサギの説話は非常に有名ですが、マレー半島にはこれとそっくりなお話が伝わっています。それはウサギではなくシカだったりするのですが、だます相手はワニなのです(ワニだまし神話と言われ、数多くある)。
日本神話で白ウサギが、離れた島から本州に渡るために騙す生き物は、やはりワニなのですが、これがなぜワニなのか? これはワニザメ(サメの一種)だというのがよく言われる説なのですが、物語の類似性を考えたら、もともとワニを騙したという話が伝わってきたので、そのままワニという表現が残ったと考えるほうが自然です。

天孫降臨神話も朝鮮半島に同種のものがありますし、死者をよみがえらせようとして冥界を訪ねる神話は、ギリシアにもメソポタミアなどにもあります。

つまり神話というのは、共通背景が存在している。

そして、それだけではなく、日本の神話は大陸から伝わって来たもの、東南アジアから伝わって来たもの、南の島から伝わって来たもの、あるいは北方から伝来したもの、それらが融合されてできた物語だということです。
これは逆に言えば、古代の日本列島に住む人々が、いろんな民族やいろんな文化を、物語と一緒に受けて入れきたということを意味するはずです。

アイヌという先住民も日本列島には厳然と存在するわけですが、それだけではなく、もともと日本は単一民族などではない、と私は物語の作り手として確信しています。
多くの民族が集まり、そしてワの国となっていた……

という考えが、背景にあったわけです。
だからこの物語は、日本神話を題材にはするけれど、決して日本オンリーのものではない。

ワの国というのは、このミュージカルの中で想い描いた共生と融和の国ですが、それはこれからの地球のお話なんだ、というのが、ヤオヨロズの真意です。

ただ……
日本神話を題材にしたことで、その後、私はとても大変な思いをすることになるのです。


これからの時代を開くかたがたへ。
見て頂く価値のあるミュージカルですぞ!
今週末の土日、是非、お越しください。

公演情報、当日チケットはこちらで!
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ヤオヨロズ制作委員会