前世もきっと占星術師 |  ZEPHYR

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私は霊能力者ではないので、いかにホロスコープが読めても、前世を見通すことはできません。

しかし、<魂の計画としてのホロスコープ>の中で触れたように、人間の魂が幾度も生まれ変わり、そのプロセスの中で「今回の人生」の計画を立てているのは、様々な研究から明らかになってきつつあります。

その計画は、ブループリントなどと呼ばれているのですが、ホロスコープはその魂の計画を表示したものだというのが、私の基本的な考えです。

ホロスコープにはその人の性格や運勢、家族や配偶者、仕事など、様々な特徴がいろいろな星々によって表示されています。

これを詳しく解読することで、今回の人生の中でその人が何を計画しているのか、何を学び、何をもって生きようとしているのか、なにげにわかってくるものもあります。

前世そのものを示す星というのは、月のノードがそれであるとか、いや、冥王星だろうとか、いろいろな意見がありますが、実際にはそんな単純なものではないだろうと、私は考えています。

ホロスコープの特徴をトータルで解読したとき浮かび上がってくる今回の計画。

それがイメージできた時に、逆算的に前世はこうだったのではないかという、いくつかの可能性が推理できるケースはあります。

もちろん、これはあくまでも推理に過ぎません。最初に申しあげたように、霊能力者ではないので。

それでも、時折、その推理が相手の方の琴線に触れるようなこともあります。

まあ、このへんのことは、まだまだこれから、私も磨きをかけていこうというところです。
もっと経験を積み、前世の記憶を持つ人などの鑑定をして、少しずつつかめていくものと思っております。


前にも一度書いたことはあるのですが、たぶん私は前世のどこかで「占星術師」であったと思います。
タロット使いであったこともあるというのは、ほとんど確信に近いものがあります。

ものすごく有名な人を引き合いに出して恐縮なのですが、モーツァルトは幼少期から神童ぶりを発揮していたといいます。
このような特別な才を、ろくに教育もされない段階から、すでに身についていたもののように使いこなしてしまう人間は、稀ですが、存在しています。

こういったタイプの人は、たぶん前世のどこかですでに十分な蓄積があるのではないでしょうか。

子供のころには前世の記憶が残っているというケースもありますし、その頃にすでにピアノがそばにあれば、前世から引き継いだように華麗に鍵盤をたたくことも可能でしょう。

そのような天才的な例では決してないですが、私と占星術のかかわりは、なんとなくそんな感じがしなくもないです。

そもそも高校生くらいの男の子が、星占いの興味を抱き、海外から本を取り寄せたりする、というのは、かなり異常な傾きです。

夢中になって勉強していました。

占星術の本など、当時はあまり数多くはなく、それでも良書に恵まれ、その文字を拾いながら、現実のホロスコープに突き合わせ、確認し、身に着けていきました。

一を聞いて十を知るという言葉がありますが。

そこまで行かなくても、一つのことが理解できたら、すぐにほかのことに応用させていました。

お師匠さんがいたわけでもないのに、こういった学びが単独でできたことは、ある意味、かなり珍しいだろうと思いますし、前世的な経験の中に「星を読む」ということがあったからこそ、というふうに考えても、個人的には何の違和感もありません。

というか、あれほどの熱意で占星術に取り込まれ、その後、幾度もやめようと思う時期はあったのに、結局離れることができなかった経緯には、なにやら因縁めいたものを感じてしまいます。

マルセイユタロットとの出会いも、かなり不思議に自分を導いてくれたと感じています。

マルセイユ、南フランス。

そして西洋占星術はシュメールあたりをルーツとし、その後西洋に広がったものであることを考えると、私の前世のどこかはかならずヨーロッパ、それもフランスなど地中海沿岸の地域がかかわっているような気がします。