14日、米コネティカット州ニュータウンの小学校で起きた銃乱射事件。
詳細が知れるにつれ、事件の痛ましさが何倍にもなって伝わってきます。
児童20人、職員6人が犠牲になったこの事件ですが、児童の身体には3発から10数発の銃弾が撃ち込まれたいた……。
自殺した犯人は、いったいなぜこんなむごいことをしなければならなかったのでしょうか?
なにがしたくて、こんなばかげたことを。
どうしてか弱い子供たちを標的にしなければならないのか。
私にはとても想像が付きません。
今朝のTVは選挙選挙で、ろくに一般のニュースも流しませんでしたが、この銃乱射事件のことだけはわずかに触れていました。
子供を失って嘆き悲しむ親御さんの姿。
同じ子供を育ててきた親として、なんとも言えぬ思いがしました。
一方で、子供たちをトイレに連れて行き、「愛している」と呼びかけ続け、子供たちを救った職員。
迫ってくる犯人に気づき、児童をクローゼットにとっさに隠し、体育だから子供たちはいないと言って、機転を利かせて子供たちを救った職員……この人も殺されてしまいましたが、極限状態の中で、子供たちを守ろうとした先生たちの貴い行動も伝えられてきます。
極限状態のときにこそ、ある意味で、人間の真価も問われるというのか、否応なく現れてくる。
この犯人もきっと、こんなばかげたことをしようと思うほどに、きっと追いつめられていた。
それは間違いないとは思うのです。
私たちも、この基本的には平和な日本に生きていてさえ、追いつめられてしまうことはあります。
もう死にたいと思ったり、誰かを傷つけたいと思ったり、憎んだり、悲しんだり、絶望したり。
でも、追いつめられたとき、この犯人のように他者を拒絶し、傷つけた挙げ句に逃避するようなことだけはしたくない。
追いつめられたとき、そばにいる人を守れる行動が取れる自分でいたい。
そう願いながら。
亡くなられた子供たち、職員の方々のご冥福を祈ります。