アマチュア時代から含めると、もう30年以上も、いわゆる占いという作業を続けていると、本当にいろんな人にお目にかかります。
寛大な人。
やり手の人。
剛直な人。
気の弱い人。
情の深い人。
冷たい人。
不器用な人。
誠実な人。
いい加減な人。
陽気な人。
すがすがしい人。
恬淡とした人。
人間を表現する言葉は、無限に思えるほどあります。
性格というのも、本当に無限に近いバリエーションがあります。
今日、記事にする「ゆるすこと」はどの部分に関わっているのでしょうか?
ゆるすこと。
これはとても大事です。
人間同士、この社会の中で生きていくと、かならず合わない人間もいますし、意見の対立や利害の対立もあります。
誤解や些細な行き違いが原因で、離反してしまうことも。
あるとき私は、ハードアスペクトの非常に強い、私よりも少し年上の女性のホロスコープを拝見したことがあります。
さぞかしご苦労が多かったのでは?
そのように質問すると、その女性はけろっとして笑いました。
「そうかなあ。でも、わりと幸せでしたよ」
ホロスコープを見る限り、そんなに単純なものではなかったはずです。
しかし、詳しくホロスコープを解析していくと、やはり彼女がそのように口にする理由があるのですね。
こだわりがないのです。
いつまでも一つのことにこだわって、ある部分に膠着することがない。
誰かを憎むとか、ある失敗を後悔し続けるとか。
これは主に二つの星が、かなりのこの機能を握っています。
寛大で自由なる星、木星。
無限に受け入れる海王星。
この二つの星は、似た機能を持ちます。
木星は拡大と繁殖の作用があり、「広がる」傾向を持ちます。
海王星も際限なく受容することで「拡散する」「霧消する」傾向を持ちます。
この二つの星の質は微妙に異なりますが、形としては似たような傾向を持つのです。
他人を受け入れる度量の広さや寛容さは木星そのものですし、海王星はどんなものでも受け入れて、広い海に川の水も降る雨も溶け込ませてしまうように、消し去ってしまいます。
これらの星がキャラクターの中にもいい形で色濃く反映されると、人は少々の問題など長い目で見たときには意に介さなくなってしまいます。
普通の人なら、異常な困難も、乗り切ってしまえば自分の中に取り込んでしまっています。
ある出来事に遭遇したときに、人によって受け止め方は様々です。
<今、死にたくなるような人に知ってほしい>の記事を書いた後、ある人から感想が届きました。
これで恨まないのはすごい、というのです。
自分だったら恨み続けるし、ゆるさない、と。
たしかに同じ体験をしたならば、自分に苦しみをもたらした相手を恨み続けるというケースもあるでしょう。
この問題は程度や起きる問題の中身によっても違ってくるでしょう。
たとえばたとえ私でも、妻子を殺されて、その犯人が罪を悔いてもいない、というような状況下で、相手をゆるすということは、絶対に出来ないと思います。
どこまでが受容できる範囲か。
それは人によっても異なるし、人間としてとうてい受容できないレベルの問題もある。
おそらく妻子を殺されるというような出来事が起きたら、私も今生の中でそれを解消する自信はありません。
しかし、そのような極限的な出来事でない限り、人をゆるすことは、私にはそんなに難しい課題ではなさそうです。
ある意味、それ以外の極限に近い出来事は、けっこう体験させてもらいました。
それに比べると、
私にも過去、いろんな怒りや憤懣をつのらせる相手との遭遇はありましたが、実際、今、どうしてもゆるせないような人間は一人もいません。
私はもともとが射手座なので、寛容さというのは強い星座です。
ほかにもいくつかの要因があり、つい「いい人」になろうとする傾向は強い。
でも、それだけではないような気もします。
結局、ゆるしてしまったほうが、幸せになれるのです。
これは他人だけでなく、自分も対象になり得ます。
じつは、私が一番腹が立ったり、悔やみ続けることが多いのは、自分自身に対してなのです。
自分の過失や愚かさ、失敗がいちばんゆるせない。
そういう性格なのです。
だから、周囲の誰かの問題よりも、その人間にそのような行動を取らせてしまった自分の方を責めてしまう。
だから、私は本当の意味で、達観などしていません。
本当は自分のことも、ちゃんとゆるすことが必要なのです。
人をゆるすことはもちろん。
自分のこともゆるしたい。
自分のことをゆるすためには、するべき反省をちゃんとしないと難しいのですが。
その上でないと、なかなか人は自分をゆるすことができません。
でも、たぶん木星の寛容さを持つ人は、それがやりやすい。
人をゆるすことと自分をゆるすこと。
それが出来る人は、きっとすごく得な性格。