今、死にたくなるような人に知ってほしい |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨日、お会いしたご夫婦。

この方々が、私にあることを思い出させてくれました。

いや、忘れたことなどなかったのですが、そのときの自分の苦しみというのを、非常にリアルに思い出させてくれました。

ちょうどそのご夫婦の、とくにご主人の方は私の数年前の運勢と非常によく似た状況でした。ホロスコープ上は。

起きていることも似ていました。

とくにご心配されているのは経済的な問題で、不安を強く感じられている。

ご主人は運勢的にも、自分の存在が危うくなるようなもので、仕事上にも重大な障害が生じている。

それらの星の配置が、まさに私の過去に非常によく似ていた。


ですが。

数年前の私の方が、はるかに事態は深刻でした。

以前にもちらっと書いたことはありますが、死のうとまで思い詰めたほどでした。

それはもう、第三者から見れば「なにを、そんなばかな」と言われることは間違いないのですが、その渦中にある人間にとって、他に手段はないと思えるような苦境だったのです。
これは、実際にその体験をしないかぎり理解してもらえないかもしれません。

リアルな、たとえばどうにもならないような金銭問題だったりすると、本当に死にたくなるというのはあるのです。

当時の私にしてみれば、当時かけていた保険金、自分が死ねばこれが入る。

そんな選択肢しかないように思えたのです。


起きている現実、これは理不尽なものでした。

客観的に説明すれば、私に責任があるわけではなかったはず。
たぶん、だいたいの人がそう言ってくれるでしょう。
降って湧いたような災厄なわけで。

しかし、そんなことを言っても、どうにもなりません。

誰に相談しても、言葉では「大丈夫」とか「なんとかなる」と言ってくれても、そんな言葉では何も状況は変わらない(といっても、相談した相手などほとんどいないのですが。相談したところでどうしようもないと分かっていたので)。

そんな言葉では救われないのです。


情けなかった。自分が。
この状況を打開できるだけの力、経済能力がない。

八方ふさがり。
自分の人生に未来はない。

そのように思えたときに、何が私を救ったか?



自分です。

他に救ってくれるものなどいない。


起きている現実は理不尽ですが。

でも、よくよく考えれば、うすうすは分かっていた。

もっと早くになんとかすべきだった。
私は無責任だったのです。

そのツケを今、払わされているんだ。

この現実を受け止めて、自分が全責任を負わなければ。


そう、理不尽であろうとなかろうと、起きている現実。

これは自分の責任。

この責任を自分が取るということを決意したときに、ようやく事態は動き始めました。

世の中には自分が何とかしようと、本気で思い、行動しなければならないときがあるし、そんな問題もある。


金銭的な問題ばかりではありません。

自分の容姿とか。

性格とか。

家庭環境とか。

ひどい人間関係や異性関係。

理不尽で、怒りを覚えるようなことも非常に多い。

実際、そんなことで死にたくなるように思い詰めている人が、今この瞬間にもいます。


でも、そのすべてのことには、本当は自分に責任がある。

自分が何とかしなくちゃいけない。

何とかしたいならば、何とかしなければ。


そう本気で考え始めて、突然、私の周辺では「奇跡的な動き」が起きました。

まず抜けようがないと思っていた、そのときやっていた仕事から一時的に抜けることができ、そのおかげで逆に収入を増やす形で、やがて復帰することができた。

これはそのときは無我夢中だったので、奇跡のような出来事とは考えていませんでした。

しかし、今振り返ってみると、それらが今につながる流れとして起きていたことが実感できるのです。

そして今、私は同じような見えざる援助を感じながら、占星術師としての活動を拡大し続けています。


人によっては、同じような経済的な問題だとしても、別な解決方法があるでしょう。

仕事を変わることがかならずしもいいわけではないかもしれないし、同じ場所で別な活路が開けることもあるでしょう。

何か無理矢理アクションを起こすことをお勧めするわけではなく、私は覚悟を持ち、問題に立ち向かっていく気持ちになること。

これが何よりも重要だと思います。

つまりこれが、自分で責任を取っていくということです。



苦闘の数年間が過ぎ、事態が終わったわけではない。

それでも今、私はようやく平穏な暮らしにたどり着きつつあります。

あのとき責任を負うという決意をしなければ、今の自分にはたどり着けなかった。


自分を救うのは自分しかいない。

自分の人生に起きることは、自分で背負っていくしかない。

そう決意することで、事態は変わる。

かならず。