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友達があまりいないzephyrです。
などと書くと、なんだか孤独っぽいですが

じつは私には昔の記憶があまりありません(←あほ?)。
小学、中学、高校、大学。
友達の顔とかもほとんど覚えていないし、何があったのかもよほど印象に残っていることや全体的なことでないとよみがえってこない。
そんな男ですから、過去の歴史の中でも友人と呼べる存在は、記憶と共にはらはらと……。
かといって、私の周囲に人がいないわけではないし、「友達」でもないけれど、濃密な人間関係というのは存在します。
そういう意味では、単純に「友達」という定義というのか印象の中に収められる人が少ないと言うだけなのでしょう。
そんな私でも親友と呼べる男が一人だけ存在します。
彼はまったく自分とは違うタイプです。
とくに外見は。
性格的にもかなり違っているでしょう。
ただものの考え方とか、人生に対する姿勢とか、そういうところには共通項があるかもしれません。
類は友を呼ぶという法則は確かにこの世に存在するのですが、私の場合は女性との関係性が生じやすい(変な意味ではありません)ホロスコープだし、そもそも周囲に集まってくる人たちは非常に多様です。
ひとくくりにできない。
だから、どちらかというと特殊な人間なのだろうと思います。
けれど、普通の場合は、やはり同じようなタイプの人間が集まっていることが多いように思われます。
チャラチャラした男の周囲には、だいたいチャラチャラした男が集まっていますし、粗暴な雰囲気の方の周辺にはやはり粗暴っぽい人が。
エキセントリックな人間の周囲にはエキセントリックな人間が。
主婦の集団などでも、同じようなセンスや性格で寄り集まっているケースは、普通に発見できます。
占星術の鑑定に来られる女性などでも、複数いた場合、彼女らはなんと共通した星の背景を持っていることがよくあります。
たとえば同じ部屋に同じ星があるとか、同じグループアスペクトを持っているとか。
仲の良い友人であればあるほど、なにがしかの共通項は見つけられるものです。
しかし、中には互いに欠けたものを補完し合う親友というのもあります。
こういうケースでは、たぶん何らかの魂のつながりがあったりするのではないかと思ったり。
どっちがよいとかいう話ではないのですが、私は時折、これからつきあいそうな男性が出現したときには、その男の周辺にいる友人たちを見なさいとアドバイスすることがあります。
彼女によく見てもらおうとする男は、自分を装っているかもしれませんが、周囲の友人たちまでそんなことは考えません。
その友人たちがいい加減な連中だったら、その男性の中身も疑わなければなりません。
友人もちゃんと選ぶべきですね、というよりも、まず自分が良い人間になれ、そうすれば自然と良い人たちが集まってくる。
ということですね。
気をつけよう。