おみくじを引くということ |  ZEPHYR

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昨日、子供たちと一緒に初詣にようやく行ったzephyrです。

おみくじを引いたら「末吉」でした。

「毎回大吉男」の息子は、なぜか今回は「中吉」で残念がっていましたが、こういうおみくじであまり良いのに当たることがない娘が「大吉」でした。

今年、就職が控えているので、本人は喜んでいました。


毎年、地元で有名な由加山というところへ行くのですが、何年か前から、いつも気に入って引いていた「神教おみくじ」がなくなってしまいました。
それがなくなって、七福神やパワーストーンが入ったものとか、キティちゃんのとか、なんかバリエーションだけが増えて、逆にありがたみが減ったような……。

神教おみくじは、昨年行った八重垣神社とか熊野大社にも置いてあり、なんとなく古式ゆかしい正当派っぽい感じがします。
少なくともキティちゃんおみくじなんかより、ずっと信じられる気がする。

子供の頃からなじんでいたものなので、なんか、あれじゃないとちゃんと引いた気がしないんですよね。

おみくじを引くという行為は、タロット引くという行為と似た部分があると思います。

だからそれなりに意味があるのかも知れないのですが、やはりそれも信心の問題だと思うのです。

たとえばタロットカードには、それを引いていくルールがありますよね。

上から何枚目を引くとか、ペンタグラム・スプレッドとかケルト十字法とか。

しかし、自分なりのアレンジを行っているケースもあります。

つまりルールを自分なりに合理的と思うように作り替えているケースです。

これが間違ったこととは、私は考えません。

タロットを引くという行為は、自分と相談者、そしてタロットカードの間になんらかの一定のルールがあればよいので、その設定がいちいちぶれなければそれで良いと思います。


おみくじの問題もこれに近くて、自分が一番しっくり来るものを引いた方がよい。

だから、次にどこかの神社で神教おみくじを見つけたとき、引き直してみようと思っています。

また「末吉」かもしれんけど(笑)。

でも、おみくじはその吉のランクよりも、書かれている内容のほうを重視なければ意味がないとも言われます。

私は全般に慎重に、日常の積み重ねをしなさい的な内容でした。

でもね。

今年の私の運勢って、結構激しいはずなんですよねσ(^_^;)

なんだかんだいって、やっぱりホロスコープ・チャートとタロットカードほど、露骨に示してくれるものはないです。

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