先日、二重の虹を連続で見る、ということがありました。
8日と10日に。
とくに8日のは、これ以上はなかなかないぞ、というほどの完璧なアーチでした。
二重の虹を見ると幸運、というのは、私は取材に行ったハワイで知らされました。
ハワイはスコールみたいに雨が降った後、からっと晴れ上がることも多いので、虹に遭遇しやすいのですが、そんな土地柄でも二重の虹は珍しい。
そのレア度で、「幸運」ということが言われているみたいですね。
めったに見られない美しいもの。
たしかに見るだけでも気分が洗われる気がします。
でもね。
私は虹って、世界が自分に見せてくれているものだ、と思っているんです。
そう思うようになったのは、経験的なものの積み重ねなんですが(私は本当によく虹を見ます)、それを目の当たりにした瞬間、なにかの回答を与えられたような気がすることが多いからです。
二重の虹も、過去に何度か見ているのですが、きわめつけの二重の虹体験はかなり古いものですが、<そこにもここにも><1999年に起きたこと>の二つの記事にしています。
よかったら、読んでみてください。
この元伊勢を訪れたときに見た二重の虹は、生涯忘れられないでしょう。
この頃から、私は虹は世界と自分との関係の中で「目撃」ということが起きるのだと感じるようになりました。
考えてもみてください。
虹というのはまず多くは降雨の後の水蒸気が大気中に必要です。
その降雨の直後、あるいは最中でも良いのですが、別な方向から太陽光線が差し込む必要があります。
そうすると、太陽の光を受け、水蒸気の中に七色の光が散乱します。
もとは真っ白い、いや、透明な一つの大きな光。
それが分離する。
それを目撃できるには、まさにそこにいなければなりません。
条件が満たされる場所は、かなり狭いです。
その地域、何キロメートルか。
もう少し広範囲で目撃できる場合もあるでしょう。
しかし、気づかなければ見られません。
そもそも、私たちが目で見ている世界とは何でしょうか?
山々の緑。
空の青。
花の色。
これらはすべて太陽光線の中の特定波長を散乱させているのです。
緑は緑の波長を。
赤い花は赤の波長を。
その見ている色や形は、それで太陽が視覚的に私たちに与えてくれているのです。
だからこそ、占星術的にも「太陽はすべての天体の統合的な力」なのではないか。
木星にせよ、金星にせよ、その輝きは太陽の光の反射です。
見えるもの。
それは太陽の姿の変じたもの、とも言えるでしょう(あくまでも視覚的な話)。
私たちの隣にいる人。
愛する人。
これも黒い髪、肌の色、瞳の輝き、唇の色、すべてが太陽の波長を変じて、私たちにシグナルを送っています。
人もまた太陽。
なのではないか?
でも、出会わなければ、その人を見ることはありません。
その人を愛し、見つめていなければ、その人の表情や目の色から何かを読み取ることはできません。
そう考えると、虹を目撃するというのもまた、世界と自分との間に発生した、何か特別な出来事という捉え方もできます。
なぜなら、普段そこに普通にあるものではないからです。
いくつかの条件が整ったとき、初めて成立する関係だからです。
世界が自分に見せてくれている。
私はそう感じていますし、そのときの虹の意味づけをどう捉えるか、それは個人によって異なるでしょう。
でも、きっと、何事かのシグナルを与えてくれている。
それも良い意味で。
だから、虹を見るのは幸運と考えて良いでしょう。
いや、正確にはただラッキーなのではなく、幸運へのシグナルを送ってもらっている、と。
最後に、8日に目撃した二重の虹で、まだUPしていなかったショットの一つを。
8月8日は、ちょうどこのブログをスタートさせた日。
ちょうど5周年の日でした。
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