太陽と月が見せる愛の違い |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

<恋愛と結婚は違って普通>の続編です。

男性にとって、月は配偶者であると共に自分の内面、感情ですから、男の方が好き嫌いで配偶者を選びやすく、内的に取り込める女性を求める傾向がある(つまり自分が支配して取り込めやすそうな相手を選ぶ)。
女性には太陽は自分であり配偶者ですから、女性の方が自分と一体化してくれるパートナーを求める傾向があり、感情ではない部分で選んでいる可能性がある。


というところには、異論もあろうかと思います。
「そんなことはない! あたしは今の旦那を好き嫌いで選んだぞ!」
という女性も多いかと。
また男性の中にも、はっきりと意識して、「配偶者を支配しよう」として選んでいるという人間はごく少数だと思います。

昨日の記事は長くなったので、あまりくどくど書くことはしなかったのですが、ちょうどちぃさんからのコメントもあったので、この点について詳しく触れておこうと思います。
まず男性の方から。
月は人の内面、感情部分なので、それが配偶者像に結びついていると、内的に取り込める女性を求める。これは法則通りなら、その通りと受け取って頂けるかと思います。
問題はその表現部分なのですね。
この法則のきわめて一般的な男性側の行動、もっとも分かりやすい行動が「自分が支配できる女性を求める」というもので、これは実際、古来からあったと思います。
男尊女卑的な時代にはもっとも目立った行動で、女性が反抗しようものなら当時の世間的な常識、「女はこうであるべき」「口答えをするな」「家庭におさまっていればよい」などの理屈を持ち出して、頭を押さえつけてしまう。
でも、今時こんな言動に終始するような男性は希と言っていいでしょう。
まあ、私の身のまわりにもいないことはないのですが。

「支配する」というのは、じつはもっとも現世的で露骨な表現なのです。
実際は男は配偶者を月のイメージと一致させて、内的に取り込みたいわけです。
これは現実的に支配するかどうかという問題とは、じつは関わりがありません。

すっごくわかりやすい例を挙げると、月が射手座に入っている男性がいるとしましょう。
この男性はもともと射手座的な配偶者像をイメージとして持っていることになります。
射手座の本質は自由です。
実際、射手座に金星や月、また太陽など、自分の性質や愛情傾向に影響を与える星を持っている女性は、独占されることを好まず、縛られるとその枷を振り払おうとする傾向が全般に見られます。
追われるより追いかける方が好き、というケースもあります。
つまりこのようなタイプの女性は、もともとおとなしく支配されるようなタマではないのです(失礼あせる)。

ところが射手座に月を持つ男性は、このおとなしく支配されない女性を配偶者のイメージとして持っていて、結婚してみたらそういう女性だったということは、当然起こってきます。

つまり。

この男性は、自らの内側に取り込める女性を選んだことになります。
射手座的なイメージにぴったり当てはまる射手座的な女性を。
実際に支配するとかしないとかはさしたる問題ではなく、内的に取り込めるかどうかが問題なのです。
このようなケースでは、自由奔放に振る舞う奥さんに、男は場合によっては手を焼きながらも、それでも内的には満足しているのです。
そういう女性でなければならなかったのですから。

次。
女性のケースですね。
太陽は女性にとっては自分自身であると共に配偶者でもある。だから、自分そのものといっても過言ではない(占星術的には)。女性にとっての結婚は、「一体化」のほうに主眼がある。
男は内的に取り込めることが主眼。
女性は自他の境界を排除して、一つになることが望みなのですね。

女性の場合はとくに、この「一体化」を得ようという対象を見つけ出すときに、同じ太陽イメージでつながった「父親」を触媒にするというか、フィルターにするというか、単純にいえば「見本」にしてしまうというのが、占星術的な法則です。
父親の影響は当然、自身の中にもあり、これが女性の中にある男性存在、ユングのいうアニムスと言っていいと思います(逆に男性にとっての月はアニマ(男性の中の女性存在))。

ここで太陽と月の機能の差が出てきます。
月は内的な充足であり、心理面、動機面です。
それに対して、太陽は全人生的な統合された力です。目的の達成であり、完成であり、すべてです。そこには他の星のエネルギー全部が含まれている。
なぜなら、どのような星もすべて太陽の光を受けて輝くのだから。

太陽との婚姻を行う女性は、だからこそ昔から愛する人にすべてを捧げるような愛し方ができるのです。
なぜなら相手の男性は自分でもあり、その人がいて自分の人生は完成するからです。
もちろん個体差はありますよ。
全般的傾向です。
対して、男にとっての配偶者は、あくまでも自身(太陽)の光を受けて輝く星(その中でももっとも視覚的な大きなもので重要なのだが)の一つに過ぎず、配偶者は自分の人生の一部なのです。
しかし、女性にとっては配偶者との関係は人生の全部に匹敵するほど大きなものになり得るのです。

男と女の愛の違いは、この太陽と月の機能差から来ていると、私は考えています。

だからこそ、男のように月(感情・好き嫌いなど)で配偶者を選べない。
女性は自らの人生の体現者、補完者としての配偶者を求める。それは感情というよりは、運命的なものの要因の方が強い。
だから、その選択は好き嫌いであるようでいて、実際には自分自身の全人生的なものが選ばせている、というのが個人的な考えです。

もちろん異論はあろうかと思います。
観点を変えれば、男性にしても「一体化」は確かに目的なのです。
内的な一体化ですが、それは自身の月との関連。
男にとって、女性や配偶者は人生のすべてにはなり得ない(個体差はありますよ)。
女性にとってはある意味、残酷な結論かも知れないのですが、しかし、現実に照らしたときには多くの方が納得されるのではないでしょうか。

だからこそ。
女性には幸せになってもらいたい。
これはzephyrの個人的願い。

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