娘2のコメント |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

以下の文章は、娘2である神奈女凛が昨日に私に送ってきてくれたメールを、ほぼそのまま転載したものです。
あきらかに脱字したと思われる箇所や改行の調整を除き、私はいっさい手を加えていません。
最初、彼女は昨日の記事にコメントしてくれようとしたようです。
しかし、文字数が超過し、投稿できなかった。
なので、私の携帯にメールで送ってきたものです。

べつに私は自慢話がしたいわけではありませんし、神奈女凛と自分の関係を誇示したいわけでもありません。
「父」として、彼女のメールを読んで、ちょっと感動してしまったのです。
そして、人と人のつながりってやっぱり大事なんだ、やっぱり愛なんだってことを、強く実感しました。
それを他の人にも感じ取ってもらえたらと、彼女の了承を得て、ここに全文を掲載します。
昨日の記事のコメントとしてお読み下さい。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

そんな馬鹿な(゜Д゜)

そんなんで結婚できるかっちゅーの(゜Д゜)


なんて思うよね♪
普通(笑)


けど実際体験したわたしの経験を少し。


居ないはずの父親が、埋まってから

20数年、保育園からずっと母の日と父の日両方、わたしは母に絵や手紙を書いてきました。

大人になってからは父の日は完全無視で、母の日のみにプレゼントを買い、感謝をしてきました。


しかし、『父ちゃん』という存在が出来て、

しかも今まで生きてきた年数から言えば、たかが数年間の父親存在。


なのに不思議なことに父の日には『父ちゃん』が頭に浮かぶ。

今までたくさん占ってもらい、たくさん心配をかけたこと、感謝の気持ちが溢れた。



昨日『父ちゃん』が

(愛してるよ。)ってメールをしてくれた(*´д`*)

(キャ~やっぱりZepherさん怪しい関係なの~ぉ)って声が聞こえてきそうだが(笑)



父親に愛された記憶もなければ

父親がいない私も、

同じく父親不在で産まれた娘も、本当に幸せに育ってきた為、


父親の存在すら意味を持たないと思っていた。



そんなわたしがその
(愛してるよ。)
のメールに、


あ!父親に愛される、父親に守られているって安心感ってこういう気持ちなんだ!


と、産まれて初めての感情を抱いたのです。




自分でもビックリしました。

世の中には、こんな感情があるんだ、と(笑)




思い返せば
恋人には、

常に嫌われないように
好かれるように

尽くして尽くして


愛されるより
愛したい、ま*じ*で!
byKinKi Kids

みたいな(ぇ


父親に感謝をしたことがない。

父親に愛された、守られた、記憶がない。


それが反映して

恋人に対しても、
わたしが必死になって愛することしか出来なかった。


感謝する
愛される


それがわかったことにより、

感謝できる
愛してくれる
そんな旦那に出逢えた。


出逢えたっていうより

父親のように、感謝と愛を感じることが出来る男性を選んだヾ(^▽^)ノ



コメントのくせに長くなりましたが、感謝や愛は反映する。

そういう気持ちを忘れてはいけないですね。



ってわたし、旦那と只今喧嘩中でした((((゜д゜;))))


感謝感謝っ(汗


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

なんというのか、神奈女の文章は理路整然としているわけではないのに、いいたいことは明確に伝わってくる不思議なものがあります。
読み返していると、さらに理解が深まったりします。

不覚にも涙がこみ上げてきた…(ノω・、)…というのは嘘ですがにひひ
でも、感動しました。

男が他人の女性の父親になるなんて、口で言うほど簡単な事じゃない。
とっても微妙です。
非常に正直な告白をすると、神奈女にはどうも男の煽情をかき立てるようなところがあって、いかに「男として終了した」自分でも、その辺が妙に揺さぶられたこともあります。
もう枯れ果てたおじいちゃんじゃないんだから。
たぶん普通の男性にはできないことかも知れません。

父親になるって、どういうこと?
自問すると「見守り続けること」「何かあれば力になってやること」なんていうのがすぐ浮かびますが、友達とどう違うの?
私は「絶対に見捨てないこと」「その人の絶対的な味方になること」ではないかと思います。
たとえその人が道を誤り、重大な罪を犯して、世間から非難されるようなことになっても、自分だけは、気持ちはその人の側についてあげられる。
もちろん善悪や、愛は甘やかすだけじゃないというようなこともあるんですが。
でも、親だったら決して見捨てないし、心情的にはその人の側についてあげると思うんです。


自分が果たした役割など、きっと神奈女の全人生の中ではちっぽけなもの。
でも、あのときあの人がいてくれたから…と、私が死んだときにでも思い返してくれたら。
きっと私は本望だし、とても嬉しいと思うのです。

人の心は、きっと誰かに捧げてこそ価値がある。
だって、一人じゃ、キャッチボールもできない。
受け取った人がまた投げ返す。
そんなことが無限に繰り返されて、それはきっととてもとても大きなものに変わってゆく。
それがきっと周りの人も変えてゆく。

そんなふうに思いたい。
信じたい。

それから神奈女に感謝したい。
君が幸せになってくれたことで、父はまた一つ、心豊かになれました。
たとえ、今、喧嘩してるとしても(笑)。

人気ブログランキングへ