それに関連して、冥王星に関する記事を二回に分けて書いておこうと思います。
今回は個人的なレベルでの冥王星の扱い方。
冥王星ほど扱いが難しい星はありません。
蠍座の支配星であるこの冥王星。すでに惑星からは降格され、準惑星となっていますが、占星術上の扱いに大きな変化はありません。むしろ私はこの降格は冥王星の力を弱めるものではなく、冥王星がこれから本性を発揮してゆく布石と考えています。<冥王星の本質に関する考察>を参照ください。
冥王星は破壊と創造の星であり、激しい「妬みの星」でもあります。
旧約聖書を読むと、その中に「私は妬みの神である」というようなフレーズを見つけることができます。唯一絶対の神としてユダヤ民族に啓示を下したこの「主」のありようを見ていると、私はつい冥王星のことを思い出してしまいます。
絶滅や徹底的な破壊をもたらした聖書の神というのは、もしかすると多様な顔を持つ神の一つの側面で、それは冥王星的な側面ではなかったのだろうかと考えてしまいます。
いきなり話がそれました

妬みの神である冥王星。これをチャートのアセンダント付近や1ハウスなど、重要なポイントに持つ人はこれを理解しておかないと、後々で苦しいプロセスを辿ることになります。
私がこれまで1ハウス冥王星の人を見てきた限りにおいて、とにかく愛憎の念が非常に強い方が多いことに気づかされます。
私たち夫婦が1ハウス冥王星の娘を育ててくる過程において結果的に良かったな、と思うのは、とくに娘が小さな頃に私が家にいることが多く、十分な愛情を注げたことです。
自分のことですから、多少いいように言っているかもしれませんが、客観的に見てもだいたい間違いないと思います。
しかし、二人目の子、長男が妻のおなかに宿ったと思われる頃から、娘の様子に変化が生じました。
異常なほど愛情を求めるのです。
これは実際、すごい変化でした。まるでやがて親の愛情が二分されることを予期しているかのように。
とくにべったりだった私に対するアピールはものすごく、私は部屋に逃げ隠れして仕事をしなければなりませんでした。
現在に至るも、弟に対する娘のあたり方というのは非常にきつく、何度言ってもこれを直せないということが続いて、はや20年近く。
たぶん理屈ではないのでしょう。自分に100%のものをほしがる冥王星ですから、多少でもそれがほかに分け与えられるというのは耐え難く感じるのかもしれません。
しかし、娘は幼少期に十分な愛情を注がれたことは間違いなく、それによってある程度のバランスが保てたように思います。
1ハウスに冥王星を持つ子供は、ここの部分が非常に重要かと思います。
「私たちはおまえを絶対的に愛している」という時期を持つ、あるいはそのようなことを態度や言葉で示すこと。
これによって救われるように思います。
小さな頃にこれを行っておけば、「妬みの星」「復讐の星」の作動はゆるやかなものとなると考えられます。
もしすでにある程度成長してしまった、いやもう大人である、という場合。
これにはかなり血を流すような苦闘が必要になってくるかもしれません(あくまで比喩です)。
妬みの星をなだめるには、「愛」を差し出すしかありません。
しかし、愛は相手の機嫌を取ったり、言うことを聞いてやったりすることとではありません。人としてこの世で生きてゆく、そのために厳しく教えるべきことを教えるのも愛です。
そして強く抱きしめることも愛。
言葉で伝えることも愛。
すべての行為に、愛が背景にあることを意識しながら、接してゆくことです。なかなか難しいです。私も親ですから、そうそういつもそのようには振る舞えないことは知っています。
こっちの機嫌だって悪いことがあるし、体調が悪いことだってあります。
しかし、それしか道はないと私は考えます。
それが一番できるのは、やはりなんと言っても親です。
親がそれを怠ってしまったら、冥王星の子は他者やモノにそれを向けてゆくでしょう。心の底では、それが決して満たされないのだと知りながら。
なぜなら冥王星は絶対の合一かゼロしかないので。
しかし、この世で生きている生身の人間は、決して一つにはなれません(その代替行為がセックスだったりします)。
本当はやはり心しかないのです。
心でなら、人と人は一つになれる。
一つだと感じさせてくれる愛を共有できる。
遠い太陽系の外遠部を孤独な旅を続ける冥王星。
神々の列に温かく迎えられることこそ、彼の凍り付いた心が解けるときなのかも。
