情のエレメントについて |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

今朝の「仮面ライダー・ディケイド」を見て、仮面ライダーBLACKと仮面ライダーBLACK RXは別な世界(多次元宇宙)のライダーなんだと知ったzephyrです。
主人公は同じ南光太郎なのに、どうして一緒にBLACKとRXは出てくるんだろうと疑問に思っていました。
ふーん。そうなんだあ。
昭和ライダーの世界観っていうのは、1号からRXまでつながっていましたけど、結局、全部別々の世界の話にしちゃうのね。
ふーん。
ふーん。
(息子と一緒に劇場版仮面ライダー・ディケイド、「オールライダーvs.大ショッカー」を見に行こうと大人げない思考回路を働かせているのであった。どっちかというと、息子はダシ?)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

昨日の記事で、私にも人の「情」はあるということを書きました。
まあ、なかったら何者? て感じですが。

ちょっと前から「情」のありようについて、気になっていました。
情が薄いとか濃いとか、よく言われますよね。
情の濃い女性、とか、情の薄い非情な男、とか。
これは占星術的にも表示されるのですが、この世間一般的な認識の「情」というのは、じつは多くは水のエレメントによっています。

蟹座、蠍座、魚座の三つですね。

占星術のいろんなテキストにも書かれていますが、情が濃いのはやはり水のエレメントだという認識が、占星術師たちの間にもあるようです。
実際、鑑定でいろんな人にお会いしてみても、この常識は覆らない。
太陽や月、愛情に関わっているので金星などが、水のエレメントにある女性はたしかに情の濃い側面が認められます。もちろんこれだけではなくて、アスペクトも重要で、それ次第では水のエレメントに金星があっても冷めている女性もいますし、風のエレメントのようにさらっとした星座にあるのに、恋愛行動になるとメーターが振り切れてしまう女性もいます。

現れ方は人それぞれなので、個別のチャート解読が必要ですが、全体的な傾向としては「水のエレメント」には愛情の深い人が多いようです。
とくに太陽と月が水に位置する場合、顕著に思えます。

じつは私は、そういう観点では「情の薄い男」なのです。太陽は火、月は風、ASCは地、ASCの支配星も地、といった感じで、この配合だと「情熱や情理はあるけれど」という感じです。
実際、私は自分のことを情の濃い人間だと感じたことは、あまりありません。
むしろ冷たいところがあると思っています。

妻は水のエレメント、魚座の生まれです。
やはり情にもろいというのか、情の濃い女性です。
つまり私の欠損部分を妻は持っているわけです。
だから彼女とつきあっていると、「ああ、情の濃さっていうのはこういうことなんだ」とよく認識させられることがあります。
妻は金星も魚座に持ちますから、女性としてのありようも水のエレメント、それも魚座の美質を強く持っています。
献身的な愛、自己を滅して相手に捧げる愛。
そういったものでしょうか。本当に魚座的な愛情なのです。

私は水のエレメントに、金星・海王星・木星のみを持ちます。
愛情の星、金星です。
ゆえに完全に「情」を持たないわけではありませんが、どうしても全体的には希薄です。
むしろ愛情の交流(金星)を通じて、愛や情を学んでいくというプロセスなのかもしれません(ちょっと変な表現ですが)。
金星は「好みの女性」として表現もされているので、私の場合は自分よりもむしろ自分が好きになりそうな女性は「水のエレメント」の要素を持っている、という解釈で良いのでしょう。
実際、自分は情がそんなに濃いわけでもないのに、愛する女性にはそれを求める、というのがあるように思います。

誤解してほしくないのですが、水以外のエレメントの星座が、劣るというわけではありません。
それぞれのエレメントの特質・美質を持っているので、一概に良い悪いはないのです。
水のエレメントの情が悪く働くと、嫉妬・恨み・執拗といった形で表現され、周囲をうんざりさせることもあります。

ちなみに、他のエレメントにはそれぞれ違った「情」があるように思います。
つまり世間一般で、情が濃いとか薄いとかいわれるのとは違うタイプの情です。
火のエレメントには、まぎれもなく「情熱」があります。熱情というべきかもしれません。
この燃焼率、瞬間的エネルギーの高い情は、火のエレメントの真骨頂です。
情というのは、「心がものに感じて動く働き」をいうので、つまりところ、その感応するポイントがそれぞれに異なっているわけですね。
風ならそれが「理」であったり、地なら「実」であったりするわけです。

こうして考えていくと、その人を動かすにはどこを刺激したらよいのか、というようなテクニックにもつながっていくのですが、占星術などによらなくても、人は皆、このような応用を無意識にやっています。
相手から受ける漠然とした印象で。

もっともそんなに人間は一面的でもないし、複雑多様な要素を内部に抱え込んでいる人もいますから、あんまり安直な見切りは危険です。
根本的にはこちらが愛を持って接することだ大事なのではないでしょうか。

情の濃い薄いに関わりなく、誰もが愛は抱けるものなので。

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