息子と私の、両方です。
リミテッド・エディション15。

「ダークネス・ネオスフィア」の効果もすごいけれど、あの初代・遊戯を倒したことのあるカード、「ガーディアン・エアトス」に惚れてしまいます。
効果はかなり限定的なものになっていますが。
これを使えるデッキ、組んでみたいです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
というような、どこか子供みたいなzephyrです。
私の中には、成長しきらない子供の部分が、たぶんまるごと残されています。
自己に大きな影響を与える1ハウスに月(幼児)を持つ人間には、まま見られる傾向です。
昔、読んだことのある漫画のあるキャラクターのせりふに、すごく印象的で好きだなあと感じるものがあるのですが、それは以下のようなものです。
「大人をなめてはいけない。子供が育っただけなんだから」
これは私には実感です。
いまだに息子と一緒にカードゲームができるとか、仮面ライダーやウルトラマンや、ガンダムが見られる、といった現実面もあります。
ただ、これはたとえば遊興・娯楽の部屋である5ハウスに重要な星がある人にも見られる傾向で、1ハウスに月があれば、誰もが子供っぽい遊びや娯楽物が好きになるというものではありません。
一面的な表れに過ぎない。
もっと多様な現れ方があるということです。
1ハウスに月がある女性は、母親の人生をリピートしやすいと言われます。
私はこの実例も見ています。
両親は離婚。
母親は二人の娘を自力で育ててきました。
育ったその子はやがて結婚しましたが、そう間をおくこともなく離婚。
子供を一人で育てています。
その彼女にも1ハウスに月がありました。
なぜこのようなことが起きるのでしょうか?
月は幼児期を支配する星で、人間のほとんどの情緒はこの幼児期の月に蓄えられています。
幼児期の体験、刷り込みは強力です。
たとえばあなたが色を選ぶとき、「赤」ではなく「青」を選ぶとします。
しかし、その好き嫌いを論理的に説明することは難しいでしょう。いろいろ後付の理屈をつけることは可能かもしれませんが、本当のところは「なぜかわからないけれど青が好き」なのです。
こうした無意識の選択に影響するのが、月なのです。
そして、どんな人間にも無意識領域は甚大な影響を与えます。
幼児期、母親が離婚して自分を育ててくれるという体験をした娘は、自分の人生の100%にも近いものを、この時期に母親に預けている、依存しているという経験を持ちます。
母親が絶対的な基準になってしまう可能性もある、ということなのです。
これがどこか潜在的に、母親の人生をリピートさせることにつながる、と考えられます。
月は蟹座の支配星で、模倣性があります。
その模倣性の根本は、対象となる事物への親和であり、一体化なのです。
昨日のちょっと続きになるのですが(トウカさん、コメントありがとうございます。ちょっと補足しますね)、蟹座、蠍座、魚座の本質は、私は「一体化」だと考えています。
しかし、それぞれに意味合いが微妙に異なっています。
4ハウスに該当する蟹座は、母性や家族関係に深く関わっています。これは生まれた子供が、母胎に回帰したいというような欲求ではないかと思うのです。
そういう意味での「一体化」です。
蠍座の本質、愛情は相手との「一体化」だと書いたことがありますが、8ハウスに該当する蠍座は、セックスや死、死後の世界などと深い関連があります。
性的な行為の中で「死」を体験する人はいます。
性交というのは、他人と自分が交わることですが、これは他人と合一したいという欲求の肉体表現がセックスなのだということです。
その行為の中で「死」を感じるというのは、つまるところ自分が死ぬことで相手と一体化するから。
しかし、それは瞬間的なものです。
刹那的です。
肉体が別々に存在する以上、人と人は決して一つにはなれません。
夫婦でも親子でも、厳密な意味では他人です。
そのプロセスの果てにあるのが、魚座だと私は考えています。
魚座が献身や自己犠牲の星座だと言われるのは、この「一体化」のためには、本当は何が必要とされるかわかってしまたからではないかと、私は考えます。
そう。
自分が「無」にならなければ、本当の意味で「一体化」を遂げることはないからです。
私の妻は魚座生まれですが、以前はよく「自分がなにをしたいのか分からない」「自分の存在意味が分からない」といったことを口にしていました。
自己確認というのが、できにくいのが魚座なのです。
トウカさんのコメントにもあったように、魚座は
混沌としていてぐじゃぐじゃだとか、天才ダンサーとアルコール中毒者が同居しているとか、12室を意味する「隠された場所・隠居生活・刑務所・病院」とイメージがよくありませんでした。
人と人との距離を測り違えて、深入りをしすぎたり、それを求めたり、逆に遠すぎたり、大切な人が、大変な思いをしているときは、同じように感じたいと思ったり、同じように悲しくなったり、感情のままゆらゆらする
といった傾向を持ちます。
それは、なぜか?
当然なんです。
魚座の本質的欲求は、「自分を無にしたい」ことなので、これはそもそも生きて存在している人間のエゴと相反しています。
普通は「自分とはこうだ!」という形で自己主張したい。
それが普通の人間です。
しかし、真の意味で他者との一体化を果たしたい魚座は、自分を無にすることをどこかで目的にしているようなところがあります。
だから生きている人には矛盾や葛藤があります。
そして、だからこそ、魚座の人は、他人のために尽くしているときにこそ、精神的な安定を得たりするのです。
夢中でダンスを踊っているとき、無我の境地になったとき、至福を感じるのです。
酒におぼれるのも、同様な衝動(自失)かと思われます(そべての魚座がそうだというわけではりません。念のため)。
人の感情に共鳴してしまうのも、魚座の本質と無関係ではなく、完全合一にもっとも近いところにいる星座ですから、シンクロしやすいのです。
水のエレメントは、どこかで「一体化」ということを求めています。
それが蟹座では「母胎回帰」のような衝動であり、蠍座では「性交」で表現されるような一体化であり、魚座では「自分の無化」によるものだということです。
月はこの水のエレメント、蟹座の支配星ですから、やはり根底には「一体化」の衝動を持っていると考えられます。
これが1ハウスにある人は、何かとの一体化に漠然とした衝動、欲求を持ち、それが時には母親であったり、また幼児期に抱いていた夢であったり、幼児期に取り残されてきたおもちゃの残骸であったりするのかもしれません。男性の場合は、配偶者との一体化ということもあるでしょう。
私はたぶん、他人から見ると「いつも冷静で、すごく落ち着いた大人」と思われている節があります(そうでもないか? 自分で思っているだけだったりして)。
たぶん勤務しているホテルでは、そうではないかと。
けれど、私の中には育ちきらない幼児の月が強く存在しています。
きっとたぶん、それは無理矢理育てようとしなくても良くて、ただ月は月として存在しているだけでいい。
そういう子供の部分が、きっと私に夢を見させ、小説を書かせたりしている。
子供が育っただけ。
それでOK。
べつに、それでいいもん。
